3 ルームメイト
騎士学院は王都にある。
その中心にある王宮のすぐ傍、東側に位置する。教室や校庭から王宮やら貴族やらが見えるのかと思いきや、見えるのは果て無く思えるほど高い城壁だ。城壁が見えても面白いことは何もない。
全寮制を敷くこの学院では、授業や訓練が行われる教育棟以外に寮がある。当たり前だが男女別、女子寮はまるで要塞のような風貌をしている。流石は良家の子女といったところか。貴族も大変だ。
「やあ、また会ったね」
入学式を翌日に控え、新入生は寮前に集められていた。ちなみに俺は入学試験の時と同様、片道五時間の汽車と二時間の徒歩で学院に来た。なにせ実家が辺境にあるので、ろくな道もなければ汽車もない。
煌びやかな服を纏う貴族に囲まれて辟易としていた俺は、不意に肩を叩かれて振り返った。視界に入ったのは、高貴ながら穏やかな微笑み。
「…………試験の時の?」
記憶を探って呟いた言葉はどうやら正解だったらしい。微笑みの主は笑みを深めて頷いた。
「君も合格したんだね。また会えて良かったよ」
背景に星が舞っている気がする。
どうして貴族の行動と言うのは何かにつけてきらきらしいのだろう。
「……こちらこそ」
何と反応するのがいいのか分からない。星が背後で舞っている人間と話したことなどない。まだ牛の方が落ち着いて話ができる気がする。宇宙人かこいつら。
素っ気ない俺に何かを言いかけて口を開いた目の前の少年は、しかし何を言うこともなく口を閉じた。理由は簡単、目の前で教官が話し始めたからだ。
注意も何も受けてないのにさっさと黙るところが、本当にお行儀がいい。
「説明をするから、よく聞きなさい」
前置きの後、いくつか寮についての説明が続く。
寮は基本的に二人部屋であること。その組み合わせについては自由であること。寮の中でも室外では制服を着ること。毎晩点呼があること。云々。
始めはきちんと聞いていた俺だが、途中で飽きた。もともと気の長い性質ではない。それでも欠伸もせずに突っ立てるだけ偉いと我ながら思う。
教官の話は簡潔だったが、それでも長かった。途中から寮の規則の話に突入したからだ。禁止事項が大量でうんざりした。
こいつらは俺たちをいい子の羊にでもしたいのかよ。したいんだろう。
「…………帰りたくなってきた」
唇の動きのみで呟いたはずの言葉は、隣で真面目に聞いていたはずの少年に察知された。
「また明日来るのは大変じゃないかい?」
そっと囁いた少年にぎょっとし、囁かれた耳を抑える。くすぐったい。
「一回帰ったらもう来ないでしょう、普通」
「どうして」
どうしてってお前。
ことり、と自然な仕草で首を傾げた少年に二の句が継げない。わざわざ七時間かけて帰って、また戻って来いとか言うのかよ、こいつ。俺は何がしたいんだ。正真正銘の大馬鹿野郎だろうが、それ。
言いたいことが脳内を巡るのに、膨大過ぎて行動に移せない。ぱくぱくと酸欠金魚になっていた俺は、そのうち諦めて口を噤んだ。
もういい、相手にしない。生まれが大きく違うからと言われればそれまでだが、この少年の思考回路とその結果が本気で読めない。どんな教育してるんだよ貴族って。
「……というわけで、十分後にペアを作って私たちの所に来なさい。部屋の鍵を渡すから、今日中に整理を済ませるように」
ようやく話が終わったらしい。
はあ、とため息を隠すことなく吐き、踵を返して集団から離れるように歩く。集団の中ほどにいた俺は、やっと気を抜いて息をした。
「ねえ、そっちに何かあるのかい」
「……何してんですか、あんた」
貴族から離れたくて出てきたのに、貴族が興味津々に後ろを追いかけてきた。俺の行動の意味はどこにある。
「ペアを決めないと。離れてしまっては決まらないよ」
心底不思議そうに尋ねる貴族の少年に、まあ人数は減ったし、と口を開く。敬語、敬語、と自分に言い聞かせるのは忘れない。不敬罪で殺されるのが庶民だ。呆気なく。
いくら常識だのマナーだのを知らない俺でも、最低限の生きるための術は心得ている。
「申し訳ないんですが、貴族は肌に合わないんですよ。余った奴と組めばいいでしょう」
何なら一人部屋が欲しい。庶民がもう一人いるならそいつと組みたいが、俺以外は全員貴族だ。孤立無援。
「ふうん。じゃあ、行こうか」
極々自然に袖を引かれ、俺は眉をひそめた。
「おい、どこに」
敬語忘れた、と内心で舌打ちを零すのと同時に、袖を引く少年が笑う。
「もちろん、教官の所だよ。ペアを作ったら教官の所に行くようにと言われただろう?」
「俺が訊きたいのはそうじゃなくて、どうして俺とおま……貴方がペアになることになってるのか訊いているんです」
今度こそ忘れずに敬語で言いきり、こっそり息を吐く。目の前の少年は気にしていないようだが、いつ気に障るか分からない。
俺は多分、ここを卒業する前に不敬罪で処刑されるだろう。
敬語を使い、敬意を払った対応をすればいいだけの話だが、俺には無理そうだ。今の状況からして分かる。
「君が言ったんだろう。余った人とペアを組むと」
「まだほとんどの生徒はペアになってませんが」
「十分しか変わらないよ」
結果が変わるだろうが、と内心で零す。
伯爵がどれだけ偉いのかも、この少年がどんな性格なのかも俺は知らない。ただ、貴族として生まれ育ったのならば分かるだろう。
貴族が庶民にかかわったとて、貴族に利益なんてものはない。
なぜわざわざ貧乏くじを引く。まだ選択肢なんて腐るほどあるのに。
ああ、もしかして。
ある可能性に思い至り、俺はそっと袖を離させる。きょとんとした顔は無垢だった。けれど酷く不快だった。
「もしも貴方が気を遣っているのでしたら、ご心配なく」
もしかして、この少年は俺を憐れんでいるのだろうか。貴族の中に一人放り込まれた、寄る辺ない俺を。
俺は憐憫を向けられているのだろうか。可哀そうな奴だ、と。
そう、考えてしまった。ああ、貴族の坊ちゃんは哀れな庶民に施しをやろうとしていると。要するに、なかなかにストレスがたまっていた。
「どうぞ、同輩の方とペアを組んで下さい」
言葉は穏やかに、けれど口調までは取り繕えない。俺は、そこまで大人ではない。
感情を映して波立つ声に、少年が返した反応は困惑だった。怒りも悲しみもない、純粋な困惑。
「どうしてそんな事をいうんだい? 私は君と組みたいと思っているのに」
「本心ですか、それ」
俺は先ほどよりは落ち着いた、むしろ平坦な声音で尋ねた。
「……私が嘘を言って、何か意味があるのかい」
貴族と言うのは、子供のうちから交渉術を学ぶものなのだろうか。本心を隠し、上辺の感情を見せる方法を。
もしそうだとしたら、反吐が出る。
俺はそれを見破る術を持たない。だから、信じるしかなかった。
「俺が考え得る限りは、何も。ただ貴方たちは俺たちとは違う」
この少年が策略から言葉を紡いでいるのではないと。
「なるほど」
ふふっ、と少年は穏やかに笑みを浮かべた。
「大丈夫、私の考え得る限りもないよ。私はただ、君を気に入っただけ」
「貴族様が庶民に何の用ですか」
皮肉交じりに笑った俺に、少年は安心したように笑みを深める。貴族だからだろうか、彼はこちらの感情を容易く読んで見せる。
「んー、面白いところ、かな」
「面白い? 悪趣味ですね」
「君もなかなか毒を吐くみたいだね」
「癇に障ったので」
「ふうん、じゃあ行こうか」
一連のやり取りで、少年に悪意や他意がなかったのは分かった。それならいいかと、袖を再び引かれながら俺は思った。
「自己紹介がまだだったね」
教官への報告を済ませ、鍵を受け取って寮の部屋を探して歩くその途中、不意に少年は口を開いた。一歩先に出て振り返り、右手を胸に当てる。
「私はノア、ノア・ライムライト。前にも言ったけど伯爵家ライムライトの三男だよ。ノアと呼んでくれると嬉しいな」
貴族じみた少年が本領を発揮して美しく自己紹介を終えるのを眺めていた俺は、困惑して眉を寄せた。
「貴族を呼び捨てにしろって? 俺が捕まるだろうが。……捕まるでしょうが」
「君の敬語もいらないよ」
「人の話聞いてますか。俺が捕まるんだって言ってるんです」
ああ、と納得したようにうなずいてノアは口を開く。
「君は気にするんだね。じゃあ、君の名前は?」
何がじゃあなんだよ、おい。前後がつながってないだろうが。
「……レオ・リーベル。リーゼヴェルの鍛冶屋の次男ですが」
「鍛冶屋……」
突如、ノアが目を輝かせた。ずい、と身を寄せるのを避ける。
「鍛冶屋っていうとあれだよね、刀を作る」
「カンカン金属打ってるやつだ。特別でも何でもない……でしょう」
いいなあ、とノアが遠い目をした。
こいつの事をまだ何も知らないつもりだったが、一つ知ったことがある。こいつは変なところがアホだ。天然ともいう。
「何がいいんだよ……いいんですか」
「要らないって言っただろう?」
そうは言われても、と肩をすくめる。それでも、もとから敬語を使う生活に慣れていない。長く話していればぼろが出てしまう自分に苛立った。
ふと、ノアが空気を変えたのが分かった。視線を上げれば、澄んだ黒目が俺を映していた。
「 許可が嫌なら命令にするよ。レオ・リーベル、君が私に敬語を使ったり、敬ったりするのは許さない。対等な友達になりたいからね 」
ぽかん、と俺はしばらくアホ面を晒していた。命令にしやがった、こいつ。
同時に、目の前の少年は紛うことなき貴族なのだと理解した。
高貴で、穏やかで清廉、しかしその根底には隠し切れない傲慢がある。自分はそういう立場なのだと、知っている者の空気だ。
「……光栄だ、と言えばいいか」
口を開けば、満足そうに微笑まれる。
「やっと敬語が取れたね。うん、そっちの方がずっといい」
「それはどうも」
毒があるのは元からみたいだけど、と一言付け足したノアに、うるさいと言い返す。そんな他愛のない一つ一つに嬉しそうな顔をするものだから、俺は戸惑って仕方がなかった。
けれどノアは、そんな俺ですら幸せそうに見るのだ。
「お前はどんな生活をしていたんだよ」
「どんなって?」
あ、とノアが足を止める。視線を上げれば、手にした鍵と同じ番号が刻まれたプレートがあった。鍵を差し込み、扉を開く。
「何がそんなに嬉しいんだ」
「ああ、なるほど。……んーと」
扉の向こうにあった部屋は、なかなかに広かった。二つのベッド、勉強机、クローゼット。その全てに騎士の紋章がある。洗脳でもしたいのか。
「対等な人っていなかったから、かな」
「は? 腐るほどいるだろ」
スタスタと部屋に入ってベッドに腰掛けた俺に、ノアが扉と鍵を閉めてから笑みを向ける。困った時でさえ笑うらしい。
「父上も母上も兄上も、私が従うべき相手だろう? それと爵位が上の貴族の方もね。反対に、侍女も護衛も執事も、あとは領民もかな、彼らは私たちに従ってくれる人たちだから」
「……従兄弟とか友達がいるだろ。そいつら相手に上も下もないだろう」
まず、両親や兄弟に従うという感覚がまるで分からない。
俺にとって父親は剣の師匠で、母親は食事と言う生命線を握っている最強の人で、兄は喧嘩相手。……両親に関しては逆らえないかもしれない。
ただ、従うというのではない。母親の笑顔の命令を受けた時と、父親が剣を片手に怒鳴っている時を除いて。
あれ、俺も案外親に従ってるかもしれない。
「父には弟がいるけれど疎遠で、母は一人娘。従兄弟はいるかもしれないけれど、会ったことはないね。友達も……利害関係がない人はいないかな」
引いた。何だよ、利害関係がない友人がいないとか。
怖い、貴族って怖い。
「……寂しい人生送ってきたんだな」
「何だいその目は」
ノアをまねて意味ありげににっこりと笑って見せれば、戸惑いを浮かべてノアが苦笑する。
冗談だと手を振って態度を戻せば、ノアは安心したように隣のベッドに腰を落ち着けた。それで? と促され、話を戻す。
「友達なぁ……チャンバラしたり悪戯しかけたり山登ったり喧嘩したり、対等以外の何物でもなかったけどな」
さらに言えば、大人と子供の間にも上下関係は薄い。叱る側と叱られる側、教える側と学ぶ側、養う側と養われる側。ただそれだけだ。
「いいなぁ、それ。憧れるよ。ところでレオ、そのチャンバラ? って何だい」
瞬きを繰り返すノアは、本当に知らないのだろう。貴族はやらないらしい。確かにやっているイメージはない。
「何って、木の棒とかで打ち合うんだよ。剣でやるみたいな感じで」
「木刀での訓練みたいなものだね?」
訳知り顔で頷くノアに、やっぱり感覚がずれてるなと思う。
「違う」
「え?」
そんな真剣な要素はこれっぽっちもないのだと説明しても、ノアは不思議そうな顔をするだけだ。俺としては何故騎士にもならない庶民の子供が剣技を磨いていると思うのか、そこを聞きたい。
俺は父親に無理やり会得させられたが、それは置いておいて。
「分からないならいいだろ。お前がやることはないだろうし、必要のない知識だろうし」
「私は知的好奇心が強いと父上によく言われたんだ」
「は?」
唐突に訳の分からないことを言い出したノアに、嫌な予感がした。何をやらかそうとしている。
「というわけで、外へ行こう。チャンバラをやりたいんだ」
こいつ、正真正銘のアホだ。頭のネジ飛んでるんじゃないか。
「なんでそうなるんだ。待て、荷物がまだ」
「いいから、行くよレオ」
「お前本当に貴族か? 行動が早すぎるだろう!」
俺の叫びに、ノアはにこりと麗しく微笑んで答えた。
「何度言わせるんだい、レオ。私の父は伯爵だといったばかりだろう?」
そう言う問題じゃないと騒ぐ俺の抗議は無視された。