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31 ささやかな憧れ


「なあ、テストも終わったし、今度の休息日は街に遊びに行こうぜ」


 冬休みまであと十日、次の休息日を明後日に控えた夜の男子寮、その一室。

 ローズレッド教官から渡されたプリントの三分の一ほどが終わり、ノア曰くの〝いつもは悪戯っぽく光っている目をやや濁らせた顔〟で、俺はルームメイトにそう提案した。現実逃避ともいう。


 ノアに勉強を見てもらったのは初めてではないが、今回は何があったのか、いつもに増してスパルタ気味だ。勉強慣れしていない俺には辛いものがある。顔色や態度から俺の感情を察してくる聡さは健在なので、それが救いか。


「いいよ。行きたいところがあるのかい?」

「あ、いや……最近忙しかったから、息抜きって意味で」


 どこでもいいんだが、と付け足す。

 お前のスパルタがきついから息抜きしたい、と遠回しに言えば、聡いルームメイトは一瞬の後に苦笑を浮かべた。


「やりすぎたかい?」

「……お前の基準ではそうでもないみたいだな」


 俺がこいつと出会って、八か月が経とうとしている。しかもルームメイトで親友とくれば、四六時中傍にいるのだ。流石の俺でも、こいつが悪意を持ってスパルタ指導をしたわけではないと分かっている。


 とすれば、原因はいつも通り。

 学院入学以前の環境の差だ。


「うん、私は勉強が苦じゃないというのもあるけれど……貴族はそういうものかな」

「うわ……お前はどんな生活をしてたんだよ」

「え? うーん……特に変わったことはしていないけれど……普通かな」

「お前の普通が俺に分かるわけないだろ」


普通の一言で纏められた日常を掘り下げて尋ねられたノアは、俺には耐えられそうもない忙しい日々を語った。何てことないという顔で。


「えっと、まず午前中に訓練、家庭教師による授業。昼食と休憩を挟んで授業、夕方に訓練をして、夜は自由だったよ」

「今と変わらないだろ、それ」


 俺は無理、そんな生活は無理だ。一日中、勉強と訓練しかしていない生活など、俺には耐えられない。とくに勉強。

 想像しただけで鳥肌が立ちそうな毎日を、けれどルームメイトは軽やかに笑って語って見せる。


「兄上たちもそんな感じだったから、特別厳しく育てられたわけではないよ。むしろ、次期当主のアルトス兄上は社交もしなければいけなかったし」


 アルトスというのは、確かノアの長兄だった気がする。


「……もはや超人の域じゃないか、それ」


 この話をしたのが他でもないノアでなければ、俺はまず信じなかっただろう。庶民の感覚で言うと、あり得ない。俺が野山を駆け回って遊んでいた時期に、こいつは勉強と訓練に勤しんでいたわけだ。


 ただ、この話を聞いて納得できたことが一つ。出会ったばかりのノアが言っていた台詞、対等な友人がいなかった、というあれだ。そりゃ、そんな生活スタイルをしていたら友人ができるはずがない。対等以前の問題だ。


「君は?」

「ん?」


 ノアの話に呆れるべきか称賛するべきか笑うべきかと悩んでいた俺は、ノアに水を向けられてきょとんとした。


「君はどんな感じの毎日を過ごしていたんだい?」


 ぱっと想起されたのは、父親と友人の顔。


『おら、もうばてたかっ!』


 七歳になったその日から始まった剣術稽古は厳しいものだった。体力や体幹を鍛えるトレーニングは免除されたが、初めのうちは素振りばかりさせられていた。三日に二日は剣を握っていただろう。

 あまりに父親がぎゃあぎゃあとダメ出しをするので、何度も頭にきて嚙みついた。結果としては父親が正しかったのだが。


『レオ、行こうぜ! 今日は森を探検なっ』


 八百屋の息子を筆頭に、怖いもの知らずの子供らであちこち走り回った。近所の小さな池、木登りに向いている木が多くある森、家や商店が立ち並ぶ通り。かくれんぼ、鬼ごっこ、木登り、水遊び、取っ組み合いにチャンバラと、暇さえあれば遊び回った。

 今にして思えば、これが父親曰くの〝体力・体幹トレーニング〟になっていたのだろう。まあ楽しかったからいいが。


「……って感じだったぞ。まあそこらにいる子供らと変わらない普通の事ばっかりだと思う、が……」


 思い出すままに一息に語っていた俺は、最後の台詞の途中でノアの表情に気づいて語尾を濁らせる。


 ルームメイトは信じられないと饒舌に表情で語り、黒目を微かに細めた。その瞳に浮かんでいる感情は、憧れ、だろうか。


「おいノア」

「察してはいたけれど、君は自由だね」

「そう見えるか?」

「うん。……その、友達と遊び回るっていうの、憧れるよ」


 相変わらず、よく分からないところに憧れるやつだ。


「じゃあ、やろうぜ」


 今までだと、こういうことを言い出すのはノアだったんだけどな、と言いつつ心の中で思う。今回ばかりは俺が適任だろう。


 笑みを深めた親友と目を合わせ、にやりと笑って見せる。


「友達と遊び回るっていうの、やりたいんだろ?」


 結構疲れるぞ、と言った俺に、ノアが瞳を煌めかせて頷いた。






 実行に移したのはその二日後、休息日。

 日課の朝練を寒い寒いと騒ぎながらこなし、終了の挨拶をするや二人で訓練場を飛び出すように駆けた。

 風邪をひくからと汗で湿った下着だけ着替えると、まだ人のいない食堂で朝食を流し込んだ。いつも通り美味かったのだろうが、胸の内で燃える高揚感に、味はよく分からなかった。


 そんな風にどたばたと始まったその日。

 俺とノアは最速で寮を飛び出した。






 待ち合わせ場所にした王都の路地に行くと、約束通り三人の少年がいた。

 彼らは俺を見ると大きく手を振って見せる。


「レオ!」


 一番大柄な少年が歯を見せて笑い、俺を呼ぶ。俺も大きく手を振って駆け寄る。


「よう、ディル! 悪いな、わざわざ」

「いいってことよ」


 一歩遅れて追いついたノアに、少年三人を指し示す。


「ノア、こいつらは俺の知り合いでな、ディルと愉快な仲間たちだ。俺らの一歳年上な」

「えっと……? その、愉快な仲間たちっていうのは」

「おお、お前がノアなのか! レオが言ってた天才だろっ?」


 雑な紹介に戸惑うノアに構わず、ディルがニカッと笑ってノアの肩をバンバン叩く。遠慮容赦ない力加減に、眉を寄せる。


「おいこら、馬鹿力を自覚しろよ」

「はっはっは、レオは大げさだなっ」

「大げさなもんかっ。まったく、こいつに怪我させるなよ」


 今度は俺がバンバン叩かれ、言うだけ無駄かとため息をつく。気のいいやつだが、全体的に力が強い。


「いやぁ、レオが友達を連れてくるっつうからどんな腕白(わんぱく)かと思えば」


 ディルが笑みをそのままに、黒目をノアに向ける。その視線が上下したあと、俺に向いた。


「何だよ」

「貴族! って感じの奴だな」

「そう言っただろ、前もって」


 ノアをちらりと見遣ると、やや気圧されていた様子だったが、すぐに微笑みを浮かべて胸に手を当てた。


「初めまして。ノアと呼んでください」

「……おお」


 丁寧な言葉でもって行われた自己紹介と美しい礼に、ディルはそれだけ言った。ゆっくりと瞬きを繰り返している。


 まあ、そうなるだろう。


「で、こいつに特別気を使う必要はない。言っとくが、こいつだけな? 他の貴族に同じことをやったら庇わないからな、俺は」


 ノアの肩に手をのせて、ディルと愉快な仲間たち(俺命名)に言う。後半を強調しておくのを忘れない。他の貴族にやらかせば不敬罪に引っかかる。


「ノアも、俺に言うみたいな感じでしゃべってくれ。そういう丁寧な言い方だとな、逆にやりづらいんだ、俺たちは」

「分かったよ。頑張るね」


 ノアは素直に頷いた。


「お前らもな」

「おう」

「「はーい」」


 ディルの後ろから、そっくりの顔が二つ頷く。この二人が愉快な仲間たちであり、双子のこいつらの見分けがつかないため、俺は名前で呼ばない。否、呼べない。


「彼らはディルさんの弟さんかい?」

「ディルでいいぞ、ノア」


 俺の言葉通りに気安く笑ったディルが半身になり、背後にいた双子の少年を見せる。


「んで、質問の答えだが、俺の弟じゃあない。ま、弟分ではあるがな」

「こいつらは近所っていうだけだ。確か、二つ下だったか?」


 情報を付け足して尋ねた俺に向け、ディルが頷く。


「まだちびっこいが、足は速いぞぉ。俺は勝てるけどな!」

「でかい図体のくせして速いんだよなぁ、お前」


 俺も故郷では随分速い部類だったが、俺が全力で走ってもこいつは余裕の顔でついてくるのだ。憎らしいのでいつか堂々追い越してやろうと思っている。


「はっはっは! どうだ羨ましいだろう、年上の特権だ」

「煽るな、腹立つから!」


 キッと()めつけるも、余裕の様子で笑われてしまった。子供にとって一年の差は大きい。覆せない優位が相手にはある。


「いつか見てろ、抜かしてやるから!」

「その挑戦、受けて立とうじゃあないか! さあ、かかってこい!」

「いつかっつってんだろ!」


 半ばふざけて騒ぐ俺たちを、一歩引いて見ていたノアが声を上げて笑う。怪訝に思って振り返れば、ノアは目尻にうっすらと涙さえ浮かべている。

 どうやら、過去最高クラスの笑いのツボだったらしい。

 ルームメイトで親友のこいつのことを大分知った気でいたが、笑いのツボだけは全く予測がつかない。謎だ。


「おい、ノア」

「ふふふっ、ははっ」


 笑い転げるノアに俺の声は届かないらしく、ひとしきり笑い続けた。その姿を思わず全員で眺めてしまう。ぼそっとディルがそばで呟いた。


「お前の友達って変わってるな」

「……否定できない」


 貴族として生まれ育ち、庶民のように遊んでみたいと言い出すやつだ。変わっているのだろう。俺としては有難いが。






「そういえば、君とディルはいつ知り合ったんだい?」


 呼吸困難の様相を呈してさえいた笑いの発作が収まった後、ノアは俺とディルを見比べて尋ねた。


「いつって、休息日しかないだろ」

「結構一緒にいた気がするんだけれど」


 ノアが不思議そうに言う。


「そうはいっても、お前ちょいちょい図書館に籠るだろ、あとは部屋とか。俺はそういうの向かなくてな、暇があれば街をうろついてたんだ」


 立てた親指でディルと愉快な仲間たちを指さす。


「ちょっとした縁で話すようになって、たまに一緒に遊んでるんだよ」

「レオは腕が立つからな!」


 機嫌よくにやっと笑みを浮かべ、ディルが余計なことを口走ろうとする。なんのために濁したと思ってるんだ。


「おい、その話は別に」

「二か月前くらいだなぁ、他のガキたちと鬼ごっこをしてたこのチビ二人が、うっかり裏路地まで行って、チンピラに絡まれてたんだ。俺はその時鬼をやってたんだが、どうにも見つからないっていうんであちこち走り回ってたんだが」


 俺が遮ろうとするのをあっさり無視して、ディルはその時を思い出すように目を(すが)め、両手を双子の頭にのせた。

 俺はもう知ったこっちゃないと黙っていた。止めて聞くやつではない。


 裏路地とは所謂〝裏商店〟が立ち並ぶ路地の事であり、憲兵や騎士でさえも手を出しかねる場所だ。盗難や恫喝などの軽犯罪は日常、時には殺人さえ起こりうる空間となる。裏路地にいるときに肝に銘じるべきは二つ、自衛必須であることと、そのためには遠慮はいらないということ。碌な場所ではない。


 俺は気まぐれに裏路地をのぞいているときがある。騎士や憲兵ではないので帯剣はしていないが、いくつかのナイフはある。体術も習っているので対処は可能だ。


 ディルは淀みなく話し続ける。


「そこへレオが登場よ。何しに来てたかは知らないが、ずかずか近づいてってチンピラどもを倒してなぁ」


 語り方が完全に酔漢(すいかん)の与太話だ。こいつは将来立派なおやじになるだろう。

 現実逃避にそんなことを考える。


「こう、斬った張ったの」

「ディル、もういい! 退屈な話を聞かせるんじゃないっ」


 聞けば聞くほど背中が痒い。

 堪らず遮ると、ディルも満足したのか素直に黙った。ただし顔はにやついているが。


「いいやつなんだよなぁ、お前。しれっとしてるけどなぁ」


 肩を組もうとする腕を避け、顔をしかめる。


「だーっ、うるさい! いつまでも昔の話をするんじゃない、どこの年寄りだお前は!」

「誉めると照れるし、可愛い奴だよ。お前も俺の弟分みたいなもんだしな」

「誰がお前の弟だっ」


 カラカラと笑うディルはそのまま頭を撫でてきやがる。ぎゃあぎゃあ騒ぐ俺に構わず、強すぎる力加減で揺さぶっているのだ。首がもげたらどうしてくれるんだこら。


「というかっ、何のために呼んだと思ってるんだよ! 俺とノアじゃ遊ぶのに人数が足りないから呼んだんだ!」


 断じて、遊ばれるためではない。一緒に遊ぶために呼んだのだから。

 平衡感覚がおかしくなりつつある中、どうにか叫ぶ。途端、ディルの手がぱっと離された。


「おお、そうだったな。おっしゃ、何する?」

「うわっ、いきなり離すな!」


 いきなり解放されてふらつく背をノアが支えてくれたおかげで転ばずに済んだが、下手したら転ぶなりどこかぶつけるなりしている。反省しろ、おい。

 文句が口をついて出る前に、双子がディルにじゃれつく。


「ディル、かくれんぼ!」

「ディル、鬼ごっこ!」


 同時に言うや、二人は顔を合わせて睨み合う。


「かくれんぼ!」

「鬼ごっこ!」


 数秒、渋面が向かい合った。お互い譲る気は無いらしい。

 こういう時、あいつらは鏡を覗き込んだような気がしているのだろうか。そんなことを戯れに考えてみた。

 笑って見ていたディルだが、すぐに当の双子によって巻き込まれる。


「「ディル!」」

 自分の味方をしろと言わんばかりの生意気な呼び声に、ディルは気を悪くすることなく俺たちを振り返る。


「二人は何がいいんだ? ほれ、言ってみろ」

「候補は?」


 ノアが尋ねる。


「鬼ごっこ、かくれんぼ、チャンバラ、あとは……そうだなぁ、缶蹴りくらいか?」

「そんなもんだろ」


 確認のように向けられた視線に頷き、ノアを見る。


「好きなの選んでいいぞ」

「あ、ちょい待て」


 俺の台詞に被せるようにして、ディルがストップをかけた。何だよ。


「そういえば、お前らは騎士学院生だよな。んじゃあチャンバラはダメだ、ダメ。フェアじゃないっ」

「言われなくても手加減くらいするさ」


 何を今更、と呆れつつ言ってやれば、ノアも横で頷く。

 しかし、ディルはぶんぶんと大袈裟に頭を振った。


「いいやっ。そういうのは分かるんだ! やっぱりなぁ、勝負事で手を抜かれんのは我慢ならんっ」


 何かスイッチが入ったらしいディルが拳を固めたところで、俺たちは片や渋面になり、片や苦笑気味にすっぱりと決めた。


七面倒(しちめんどう)くさいことを……」

「そう言うのなら、かくれんぼ? で」


 こういうところ、こいつ決断早いよな。


「で、何で疑問形なんだよ」

「かくれんぼっていうのが分からなくて」

「は? ……あー、お前はそうだよな……一人が鬼役で他の奴らを探しに行くんだ。他の奴らは鬼が何秒か数えている間に隠れる。全員見つかったら終了」

「なるほど。小さい子の方が有利だね」

「そういうことだ」


 理解してもらえて何よりと頷いた俺の横で、なおも揉めている双子へディルが呼ばわった。


「お前らぁ、かくれんぼだ、かくれんぼ! うだうだ言うなよぉ」

「やったぁ!」

「えええー」


 紆余曲折を経て、俺たちはようやく遊び始めることとなった。

 ノアが楽しめると良いんだが、と俺は内心で呟いた。



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