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30 図書館 ~ノア目線~


 騎士学院にある図書館は国内有数の蔵書数を誇る。騎士学院で学ぶ七分野を中心に、国中の様々な知識が集められているこの場所は、私にとって心躍る場所だ。

 読んでも読んでも本は尽きず、読めば読むほど知識欲が掻き立てられる。叶うならば一日中図書館で本を読んでいたい。

 ルームメイトからの同意は到底得られなさそうなことを考えながら、私はルイとともに図書館の扉をくぐった。


 ふわっと鼻をかすめるのは本の匂い、紙とインクの匂いだ。

 心安らぐ匂いに笑みを浮かべて、書架の間を歩いていく。何度も訪れ、心惹かれる本を探して歩き回ったため、図書館のどこにどんな本があるのかはおおよそ知っていた。


「ここに来るのは久しぶりな気がするね」


 ふふっ、と笑った私に、群青の双眼が向けられる。その瞳には怪訝の色が浮かんでいた。


「一週間前までは毎日のように来ていなかったか?」

「一週間も来てなかったんだよ。ようやくテストが終わって良かった」


 図書館という場所柄、どちらともなく声を潜める。静寂が満ちる空間に人は少なく、私たちの声を不快に思う人はほとんどいないだろうけれど。

 テストが終わった解放感を胸に喜び勇んで図書館にやってきた私には分からないが、テスト終わりに図書館に訪れるのは少数派らしい。テスト期間中のほうが人は多かったような。

 なぜだろう、と考えつつも足は慣れた順路を辿る。


 この図書館は一棟を丸々使った五階建て。とはいえ、五階は学院生に自習室として開放されているため、本棚が林立するのは実質四階分だ。私が好んで読む本は三階にある。

 普通の建物よりも天井が高いため、自然、階段の段数も多くなる。訓練の成果か、読書への期待か、階段を上がる足は軽い。


「ここだね。ええと……」


 最早見慣れた本棚の前に立ち、上から順番に視線を滑らせる。ざっと背表紙を流し見て目的の本を見つけ、手を伸ばす。

 背伸びをしてようやく指を引っかけられる高さにあるその本をどうにか手に取り、踵をついた後ふうっと息を吐く。

 同級生の平均身長はあると思うが、やはりまだ十歳。早く身長が伸びると良いのに、と目の前に(そび)える高い本棚を見上げた。


 高い位置にある本も気軽に手に取れたら楽だろうに。


 そんなことを考えながら、隣にいるルイに本を手渡す。今日はお互いのおすすめの本を紹介し合うことになっていた。まずは私から、というわけだ。


「〝魔獣探訪記〟。魔獣研究者の筆者が国中を歩き回って、様々な魔獣を観察した記録なんだ」


 一般的な図鑑には書かれていないような詳細な説明、種全体としての性格、それらの合間に描かれるお世辞にも上手いとは言えないイラスト。文章は精緻で分かりやすいのに、イラストにされるとわけが分からない。まるで子供の、私よりも幼い子供の絵のようだ。おかしみを感じ、読みながら笑ってしまった。


 もちろん魔獣についての記述が多いが、時折筆者の旅のエピソードが綴ってある。魔獣の肉が市場で売っていて驚いた話、現地の人に話を聞こうとしたら訛りが強くて半分しか分からなかった話、うっかり魔獣の群れに遭遇して逃げ惑った話など。

 感心したり笑ったり忙しい本で、私はとても楽しかった。

 そう説明し、ふと思い出して付け足した。


「この筆者は国中を旅したんだけど、その中でも、ほら」


 ルイの手にある本を捲り、目次を開く。


「東の辺境リーゼヴェル、レオの故郷での話が多くて」


 ページ数で言うと、三分の一弱がリーゼヴェルについてだ。

 レオから思い出話として聞くものには、魔獣が多く出てきた。その要因はレオの父親が訓練と称して魔獣との戦闘をさせていたからなのだが、それだけではなく、リーゼヴェルは魔獣が多く生息する地域だからというのもあったのだろう。


「ああ……東の国境は聖域に近いからな」

「うん。レオも前に言っていただろう? 季節によっては魔獣を見かけるって」


 魔法大国と称されるこの国でも、町に住んでいる人間が魔獣を目にすることはほとんどないと言っていい。特定の季節だけとはいえ、普通の動物と同程度に扱われている地域など、リーゼヴェルくらいだろう。


 そう呟いてから、開いたままの目次に目を止める。

 ページ数の三分の一が東の辺境リーゼヴェル、そして四分の一強が西の海岸リュミレスを含む西の辺境だ。

 私の視線を追ったルイが、該当ページを探してページを捲る。


「そういえば、西の地域では魔魚(まぎょ)が食べられているとか」


 魔魚というのは、魚型の魔獣を指す。要するに、魔法を使う魚の事だ。

 筆者曰く、西の海岸リュミレスでは、魔魚を高級な食用魚として扱うこともあるらしい。前言撤回、東西の両方で魔獣は一般の動物同様の扱いを受けているようだ。


「ああ、そうだね。筆者がそんなことを書いていた気がする」


 東西の辺境は魔獣とのかかわりが多いらしい、とどちらともなく頷いた。南北の都育ちの私たちとしては、とても興味深い事実だった。

 やはり地理にその要因があるのだろうかと考え始めた意識は、ルイの呼びかけによって浮上する。


「ところで、もしほかにもノアのおすすめがあれば教えて欲しいのだが」


 ぱらぱらと〝魔獣探訪記〟を捲って眺めていたルイに問われ、私はもう一度目の前の本棚に並ぶ背表紙を流し見る。


「そうだね……あとはこの辺りとか」


 ひょいひょいと数冊抜き出して、それぞれについて説明する。抜き出した本は旅行記が多いだろうか。物語として読める上に新たな知見も得られる。私の好みを網羅しているため、最近のお気に入りだった。


 この図書館は本当に大きく、学術書が中心ではあるものの小説やエッセイなども取り揃えている、本好き垂涎の場所だ。私が入り浸るのも仕方ないというものだろう。

 内心で言い訳をしつつ、ルイの反応が好意的だったものを残して本棚へと戻した。






 ルイのおすすめの本は二階にあるという。


「二階と言うと……魔法関係かい?」

「ああ。入門書から専門書まで幅広くあるぞ」


 私も魔法関係の本を読むことはあるが、やはりそれほどではない。

 ルイは魔法を得意とするため興味があるというのもあるのだろう。似たような理由で魔法書好きな身内がいるので、想像に難くない。

 魔法関連書籍ばかりが並ぶ本棚に、リオン兄上が喜びそうだと思ってしまうのも仕方がないことで。脳裏にはルームメイトを前に大興奮の兄上の姿が浮かんでいる。同時に、レオの苦い顔も。


 兄上、本当に魔法が好きだから。


 笑みを深め、もしかしたら兄上がいるのではと辺りをそれとなく見渡す。残念ながら見つからない。


「あったぞ、ノアは気に入るんじゃないかと思っていたんだ」


 ふと足を止めたルイが、目線ほどの高さの棚から一冊の本を取り出す。紺の表紙に踊る文字は〝魔女の日記〟、それなりに分厚い本だ。


「題名の通り、魔法使いが書いたエッセイのようなものだ。ただ、魔法や魔力、魔獣についての情報も豊富で、言葉も易しいものが多い。そうだな……学術書とエッセイの中間のようなもの、と考えるといいだろう」


 手渡された本の表紙を開き、目次を開く。


「あ、確かに、これなら読めそうだね」

 目次に並んでいるのは日付と如何(いか)にも日記らしい題名。それを見るに、人里離れた森の中で暮らす魔法使いの日常を綴ったものらしい。適当なページを開いてみると、当たり前のように魔法やら魔獣やらが登場している。

 ここまで魔力があるとなると、この日記の筆者は貴族出身だったのだろうと想像した。例外が身近にいる今、断言はできないけれど。


「読めそうか?」

「うん。ありがとう、ルイ」


 私が先ほどすすめた本を軽く持ち上げ、ルイが笑う。


「私もノアに本を教えてもらったから、お互い様だ」


 考えて見れば、最近のルイは出会った頃よりもよく笑うようになった、気がしている。作った笑みではなく、感情の発露としての笑み。


 そしてそれは、私自身も同じだ。


 学院に来てから、自然に笑うことが多くなった。微笑みはもちろん、お腹を抱えて笑うことも珍しくない。一度呼吸困難のようになったこともある。そのほとんどはレオが原因だけれど。


 随分変わったものだ、と自分のことながら可笑しくなった。


「ノアは普段あまりこういう本は読まないのか?」

「こういう本、というのは?」

「魔法を扱った本だ。ノアは学術書のような本が好きだと思っていたから」

「そうですね……魔法は、あまり」


 名門貴族と呼ばれる家の直系でありながら、簡単な魔法すら使えない。幸いにも私は三男で、兄上二人は平均以上の魔法使いだ。だから、必ずしも魔法を使える必要はない。

 興味はあるが、気にしていないし、気にする必要もない。

 ただ、確実に本の好みに影響を与えている。必要性に、と言うべきか。


「私は魔法が使えないから、学んでも使い道がそれほどないというか」

「それにしては成績が良いが」

「それはそれだよ」


 むう、と少し悔しそうなルイは、初めて年相応に見えた。


「卒業までに一度は勝ちたいものだ」

「それなら、気を引き締めないとね」


 顔を見合わせ、ゆるりと微笑んだのち、耐えきれずに二人とも笑った。ここが図書館だということも忘れて。

 幸いにも近くに人はおらず、苦情を言われることはなかった。






 図書館から寮への道を歩きながら、何とはなしに空を見上げる。

 冬色の空は鮮やかさに欠け、淡い青色が広がっている。まだ昼と言っていい時間のはずだが、夕暮れとはいかないまでも、道を照らす陽光はどことなく黄金色を滲ませ、夕方のようになっている。冬の日暮れは早いから、もう二時間ほどで暗くなってしまうだろう。


「……やっぱり、寒いなぁ」


 呟いた言葉は視界を白く濁らせ、すぐに空気に溶けていく。生まれ故郷の北の地域よりは緩やかだが、王都の冬も厳しい。

 大人になったら南国で冬を過ごしてみたいものだ、と最近読んだ旅行記を思い出して考える。その本によれば、この国よりずっと南にある国では冬でも雪が降らず、厚い上着すら必要ないという。

 いつか、言ってみたいと思う。できることなら友人たちと。


 私はこの学校を卒業して騎士になる。庶民からの税金で不自由のない生活をさせてもらった代わりに、この国を守り抜く。私は国のために生きていく。私が選び、決めたことだ。

 けれど、と脳裏に過ぎるのは二人の友人の顔。

 あの二人も同じ進路を辿るのだから、ずっと一緒にいられるはずだ。あの二人の傍にいて、一緒に色々なことをしたい。

 そう願うくらいは許されるだろう。


「……あれ」


 視界に映った白いものは、雪。

 先ほど見上げた空にはそれらしい雲がなかったのに、と視線を上げた先、ルームメイトを見つけた。


 二階の廊下の窓から顔を出したレオは、手元で魔法陣を浮かべている。その小さな魔法陣から舞い落ちる雪が風に吹かれ、私のところまで届いたらしい。

 不思議なことをするなぁ、とルームメイトの真下へ歩く。

 白い花びらが舞い散るように、ふわり、ふわりと白雪が空を舞う。手のひらで受け止めた雪が消え、僅かな水滴が残った。

 琥珀色の瞳に淡い青空を映し、白雪を生み出すルームメイトは、滅多に見せない真面目な顔だった。そういえば以前、水属性の魔法は苦手だと言っていた。それなのに使っているのは何故なのか。


「レオ」


 視線を巡らせたレオは、目が合うなり屈託なく笑う。


「お。ノア、もう戻って来たのか」

「うん。レオは何をしているんだい? これ、雪だろう?」


 ははっ、とレオが声を上げて笑う。近くで雪を生成していたからか、そうでなくとも寒い外に顔を出していたからか、くしゃみをした。


「レオ、寒いなら」


 私の声が聞こえなかったのか、意図して遮ったのか。レオはどこか自棄気味に言う。嫌な何かから目をそらしたくてそうしている、という感じだ。レオの事だから勉強関連だろうか。


「雪って嬉しいだろ? 今日は嫌なことがあったからな―、気晴らしだ気晴らし」


 もっと降れ、とレオが呟き、魔法陣は光を増す。またくしゃみを一つ。

 風邪をひく前に部屋に戻ったほうがいい、と私が言う前に、レオが声を張る。


「あ、そうだ。戻ってきたら基礎教養教えてくれ。教官が鬼畜なんだ」

「教官って?」

「基礎教養の教官だ。呼び出されて」

「あ」


 レオのため息交じりの訴えを、背後からの足音が遮る。振り返った私は危機感を覚えるも、もう遅い。


「レオ・リーベル! そういうことは本人に聞こえないところで言え!」


 通りがかりと言った風情のローズレッド教官の声が、辺りに響いた。


「うわっ、何で寮に教官がいるんですか」

「学院に甥がいるんだ。そいつに用があってな」

「あー……さっきのは聞かなかったことにして下さい」


 直球のレオに、教官が思わずと言った様子で呆れ顔になる。


「お前はまた……遠回しの言い方やらごまかし方やら、処世術として覚えて置け。あと、文句は本人のいないところでこそっと言えよ」


 レオもレオだが、この教官も変わったことを言う。

 教官は傍にいた私に瞳を向け、苦笑気味に口を開いた。


「ノア・ライムライト。ルームメイトに勉強を教えてやってくれ。進級はできるだろうが、確約はできん」

「分かりました。レオが進級できないのは嫌なので」


 すぐさま言い切った私に微笑み、教官は一足先に寮へと歩く。その様子を窓から見下ろしていたレオが、あからさまにほっと息を吐く。


「レオ、すぐに戻るね」

「あ、ああ。またな」

「うん、また」


 ずっと傍にいるためには進級してもらわないとね。


 頑張ってもらおう、と微笑みとともに歩きだした。






 その後はレオの勉強をみっちり見ていたので、私にしては珍しく、図書室から借りた本たちは翌朝まで放置されることになった。



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