29 テスト終わり
休息日の度に街を歩き回っていれば、嫌でも店や道に詳しくなる。
パン屋、八百屋、魚屋、宿屋、服屋、鍛冶屋、本屋、文房具屋。
立ち並ぶ店の種類も、家の数も田舎とは桁違いに多い。故郷よりも華やかで賑やか、そして忙しない。これはこれで嫌いではなかった。
娯楽の多い街は、気分転換にうってつけだった。
「だからって、テスト前日にまで遊びに行くのはどうなんだい、レオ」
ショートカットと称して窓から帰ってきた俺に、ルームメイトはやや呆れたように苦言を呈した。
「せめて入り口から帰ってきたらどうだい? 危ないよ」
俺たちの部屋は二階だが、窓から程近くに手ごろな木がある。木登りは慣れているから問題ない、と告げるも、ノアは苦い顔だ。
「テスト期間って分かってるからいつもより大分短かっただろ、出かけてた時間。ほら、土産」
懐柔も兼ねて微かに温かい紙袋をノアに放り、窓辺に腰掛ける。木枯らしが髪や服を揺らし、微かに火照る体を冷やす。気持ちいい。
「何だい? あ、これ」
「お前も好きだろ? 前に出かけた時、気に入ってたからさ」
ノアが紙袋から出したのはとあるパン屋のクロワッサン。チョコクロワッサンもあり、どちらもサクサクで美味しい。その店の看板商品だ。
「両方買ってきたから好きなほう取っていいぞ。……勉強見てもらってるからな、その礼だ」
そう高い買い物ではなく、銅貨数枚で買えるお手頃なパンだ。安くて美味しいパンは人気で、午前中には看板商品のみならず売り切れが続出する。それを知っていたので、今朝は開店に間に合うように寮を出た。
気にしなくていいのに、とノアが微笑んで礼を言う。
「朝起きたらいないと思っていたら……何時に起きたんだい?」
「そんなに早くないぞ。いつもと同じくらいだ」
「十分早いよ」
はい、と紙袋を返され、中を覗き込む。残っているのはクロワッサン。
「ん。お前ってチョコ好きだよな」
「そうかい?」
いくつか味の種類があるときにノアに選ばせると、ノアはたいていチョコ味を取る。パンでも、ケーキでも、菓子でも。
普段から食べているイメージはないが、甘いものが好きなのだろう。
その証拠に、チョコクロワッサンを咀嚼する顔はいつもより緩んでいる。
懐柔成功、と内心で呟く。小言は避けたいところだ。
「にしても、お前はぶれないな」
「君に言われるほどじゃないよ」
チョコクロワッサンを齧るノアの膝の上には本。クロワッサンを食べ始めてからは本を閉じているが、それは本を汚したくないからだろう。昨日寝る前に呼んでいた本とは別なので、今朝目覚めてから読み始めたのだろうか。それにしては随分ページが進んでいるが。
俺の視線に気づいたノアが顔を上げ、それから視線を追って手元の本を見る。もう一度俺の顔に視線を戻す。
「君も読むかい?」
「……遠慮しておく。文字しかないんだろ、どうせ」
「そうだけど、読みやすいよ」
毎度のことながら立て板に水の勢いで語りだしたのは手にした本の内容。主人公は、登場人物は、舞台は、ストーリーは、見どころは。
お前本当に読み途中なのか、と突っ込みたくなる濃厚さだった。止めるまで止まらないんだろうとは思うも、普段滅多に見ないほど饒舌なノアが楽しそうだったので、しばらくは遮らずに聞いていた。
結局、怒涛の勢いの演説は三十分ほどかかったのだった。
リンゴーン リンゴーン リンゴーン
「はい、そこまで。筆記用具を置いて、解答用紙を後ろから裏返しで回しなさい。名前を書いたか確認するのを忘れないように」
耳慣れたチャイムに、教官の声が重なった。
テスト三日目、最後の科目は魔法だった。苦労人の教官が解答用紙を回収し、枚数を確認している。手際よく解答用紙を捲っていた教官が顔を上げ、試験終了の宣言をした。
途端、教室が生徒たちの声と動作音で溢れる。先ほどまでの沈黙の名残はどこにもない。
「あー……疲れた」
言葉にならない声とともに体を伸ばす。疲れてはいるものの、心は軽い。
よっしゃ、テスト終了!
いつになく浮かれた気分で荷物をまとめ、ノアとルイの二人と合流して歩き出す。
「無事に終わって良かったね」
「ああ。あとは冬休みを待つのみだな」
二人は言葉通り嬉しそうに笑う。
成績の良いこいつらでもテストは面倒なものらしい。親近感。
「やっと冬休みか」
年末年始を含む短い休暇だが、両親から帰ってくるように言われている。二人に尋ねれば、やはり二人とも帰省するという。
「年賀パーティーもあるし、忙しくなるね」
「年末は休めるが、年始はどうしても予定が詰まっているからな」
年賀パーティー。
「年の初めからパーティーかよ……大変だな、貴族も」
そう言った俺に、ノアが肩をすくめて見せる。
「君は何か予定があるのかい?」
「いや、特に。家の掃除と雪かきに駆り出されるくらいだろ」
「掃除と雪かきをするのが年末年始の決まりなのかい?」
「母さんと父さんの決まりだろ。家によって違うぞ」
ちなみにモネの家では年末最終日に特大鍋でシチューを作るのが決まりだし、八百屋の少年の家はタオルと下着を新調するという。以前故郷の幼馴染たちの間で交わされた会話によれば、年末最終日の夕飯はパスタだとか、家族みんなでカードゲームをして年を越すとか、本当に色々だ。
そう言って笑えば、ノアとルイも笑った。
「本当に色々なんだね。ふふっ、面白いのもある」
「家族ごとに決まりがあるのは面白いな」
二人の家では何かあるのかと尋ねると、少しの間をおいてルイが微笑んだ。
「私の家族だと、父上が私たちにプレゼントをくれるんだ。元日の朝、今年もいい年になりますように、と」
ルイ曰く、そのプレゼントの中身は両親が決めているらしい。
去年は図鑑、一昨年は靴、一昨々年はパズル。妹にはここ数年人形が送られているらしい。
「アベリアが……妹があまりに気に入って片時も手放さないものだから、母上が暇を見て人形の洋服を作っていたな」
名前まで付けて可愛がっている、とルイが柔らかく笑って言う。そして、人形の事を名前で呼ばないと妹に怒られる、と苦笑した。普段とは違った表情に、思わずノアと顔を見合わせる。
「仲がいいんだな」
「そうか? どこの兄妹も似たようなものだろう」
「いや、ルイとアベリア嬢はとても仲がいいと思うよ。私は一度しか会ったことがないけれど」
「そう言われると……少し、照れるな」
頬を掻くルイに、俺とノアはまた顔を見合わせて笑う。
珍しい友人の姿に、ついいじりたくなってしまう。普段は見られないルイの顔が見られたので良しとした。
「そういうノアも、兄貴と仲良いだろ?」
「うーん、悪くはないと思うけど。アルトス兄上はともかく、リオン兄上は顔を合わせると揶揄ってくるから」
「兄貴って人種はそういうもんじゃないか? 俺の兄貴も、俺の事をおもちゃみたいに思ってるぞ、あれは」
学院に持ってくる荷物の中にフリル溢れるリボンを忍ばせやがったことを思い出す。実家にいたころは、寝ている間に本を積まれるわ、食事の時に好物を先に取られるわ、揶揄いは日常茶飯事だわで、弟というよりおもちゃのような扱いだった。微妙に根に持っている。
ノアに悪戯したときのリボンは兄貴の仕業だと教えてやると、ルイのみならずノアも首を傾げた。どうやら寝ぼけていて覚えていないようだ。
「学院入ってすぐの頃にやっただろ、寝起きにリボン。あれだ」
「うーん……ごめん、思い出せないよ」
「寝起きにリボンとは何をしたんだ?」
「こいつが寝てる間に髪をリボンで縛った。で、寝ぼけたこいつはにこにこして喜んでた」
簡潔に説明してやると、ノアが傾げていた首を戻した。
「そういえば、そんなこともあったかもしれないね」
「かもしれない、じゃなくてあったんだよ」
「レオは不思議なことをするな」
「俺が兄貴にやられたんだよ、学院に来る前に」
貴族の兄弟はやらないのだろうかと気になって尋ねてみると、貴族子息二人は首を横に振った。
「たまに揶揄われるけど、そういうのはなかったかな」
「私も兄上に悪戯を仕掛けられたことはない」
「要するに、俺の兄貴が大馬鹿なんだな」
納得のいく答えを弾き出せて、俺としては嬉しい。兄貴への好悪の感情は別にして、あの悪戯の数々には呆れやら怒りやらあるので。
今度顔を合わせたら馬鹿呼ばわりしてやろう、と決めた。
ひゅう、と下手くそな口笛のような音とともに凍てついた風が髪を乱す。髪は正直どうでもいいが、むき出しの顔が寒い。目出し帽が一瞬頭に浮かぶも、犯罪者疑惑をかけられそうなので検討以前に掻き消した。
灰色がかった遠くの雲が目に入り、この気温なら雨にはならないだろうと何とはなしに考える。寒い冬には穏やかな日差しも有難いが、俺としては。
「今年は雪が降ると良いな」
この国では、南の地域以外は毎年のように雪が降る。もちろん、俺の故郷であるリーゼヴェルでも。大人はともかく、子供にとって雪は楽しいものでしかない。朝から日が暮れるまで飽きずに遊べるし、意地でも遊ぶ。
ふうっと吐き出した息は白く濁って、やがて風に溶けていく。
「雪が降れば、雪合戦ができるし」
女子は可愛い雪だるまを作るのに熱中するが、男子にとって一番楽しみなのはやはり雪合戦だ。たまに流れ弾が雪だるまに当たって怒られるまでがワンセット。特に小さい子供にはぎゃんぎゃん泣かれる。いい加減学びなさい、と去年は母親に呆れられた。わざとじゃないから仕方がないと思うんだが。
「「雪合戦?」」
声をそろえた二人に雪合戦とは何だと訊かれて答えれば、またノアがやりたいと言い出す。ルイもわくわくした顔で賛成する。
「貴族はやらないのか? こう……雪玉を作ってだな」
相変わらず庶民の遊びに興味津々な貴族子息二人に、さらに雪遊びについて話しながら、寮への道を歩いて行く。
冬休みまで、もう少し。テストの結果は気にしないことにして、俺は冬休みを想像して胸を弾ませた。
冬休みまであと三日となった日。
魔法学の教官経由で呼び出しを食らい、俺は渋々と教官室を訪れた。呼び出したのはいつもどおり、基礎教養担当の赤目の教官だ。
この教官は人が良いからか、いつもこういう連絡を預かってくる。やはり苦労人だ。
ちなみに、ノアとルイは二人で図書館に行っている。お互いのおすすめの本を紹介し合うのだと、やたらキラキラした顔でルームメイトは笑っていた。あいつはぶれない。
本はどうでもいいが、俺もあっちが良かった。
二人に言っても教官に言っても好意的な反応を得られなさそうな台詞を飲み込み、ノックをして扉を開ける。
「失礼します。一年のレオ・リーベルです」
「お、来たな」
こっちに来い、と手招かれるままに教官の机に向かう。よく来ているので慣れた。不本意ながら。
隣の席にいる紫眼の教官と目が合ったので会釈し、赤目の教官の前で直立不動の体勢を取る。
鮮やかな赤色の双眼が向けられた。
「とりあえず、テストお疲れさん」
そう思うなら呼び出さないで遊ばせろ、と反射で口をつくのを堪え、ありがとうございます、と返しておく。ノアだったら微笑みも浮かべるのだろうが、本音を飲み込んだだけ俺には上等だ。このあたり、俺も学院生活に慣れてきたと自画自賛してやりたいところだ。
「明日の授業でテストを返すんだが」
「げえ」
教官の次の台詞には、つい本音が漏れたが。
「黙って聞け」
「……はい」
テストが終わった時点で全てを忘れたかったのに、冬休み前にテストが返ってくるという。つまり、冬休み前に説教があるということだ。
自分の成績を知っている俺は、思わず顔を引きつらせる。
教官は机に伏せていた一枚の紙をひっくり返し、俺に差し出した。
「お前の答案用紙だ。見てみろ」
「お、赤点は回避した」
弾んだ声に、教官は教科書を丸めて俺の頭をひっぱたく。背の部分ではないのでそれほど痛くはないが、スパコーン、といい音がした。
これ以上頭が悪くなったら教官のせいにしてやろうか。
「嬉しそうに言うんじゃない! 赤点回避は当たり前だ馬鹿者!」
「でも教官、俺にしては頑張りました」
「それは…………そうだな」
叱ろうとした教官が、割り込んだ俺の台詞に言葉を詰まらせる。俺の今までの成績をよく知っている身としては何も言えなかったのだろう。自分で主張しておいてなんだが、黙られるのも微妙だ。
だが、それも一瞬の事。
「赤点を回避したことは評価するが、これでは年明けの授業が辛くなるぞ。点の取り方からして、計算基礎と実践関係……応急処置だとかは分かっているようだが、文章題やら社会常識やらは全滅同然ときた」
苦い顔の教官が机の引き出しから取り出したのは、二、三十枚はあろうかという紙の束。
嫌な予感がした。そして悲しいことに、こういう時の予感は当たるものだ。
「あの、教官、それ何ですか」
「冬休みの課題だ。書き込んで、休み明けに出せ」
「は?」
鬼畜の所業。
要するに、同級生にはない課題を個別に与えられたということだ。こういう特別扱いは心底ご遠慮願いたい。
言葉を失う俺の手に、教官が課題プリント集を握らせる。
「ちゃんとやってこいよ」
教官室を出て寮に戻った俺は、まだノアの戻らない部屋で静かに息を吐く。そして、躊躇いなくベッドに紙束を叩きつけた。
「冬休みは遊ぶもんだろうが、あの鬼畜教師!」
これを本人の前で言わなかっただけ、俺の成長分だろう。
それからしばらくして。ほくほく顔で部屋に帰って来たノアに頼んで勉強を見てもらったのは言うまでもない。
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