閑話1:気ままな猫と苦労人の出会い
アイリスとベイルードが18歳のときのお話です。
* アイリス *
貴族とまともに顔を合わせ、しかも言葉を交わしたのは、記憶にある限り初めてだった。
「失礼ですが、どちら様でしょうか? 侯爵家の書庫には限られた人のみしか入れないはずですが」
しんと静まり返った、本棚の林立する空間。
とある侯爵家に無断侵入していた私は声を掛けられ、視線を読みかけの本から上げれば、怪訝そうな深緑の瞳が私を真っ直ぐに見ている。
「しかも」
同年代だろう彼は落ち着き払った態度で、視線で私の顔や黒髪をなぞった。
「外見を魔法で変えているでしょう。身元を隠す意図があった、つまり確信犯だと見なして宜しいでしょうか」
ぶるりと身震いしそうな感覚が背を走ったのは、驚きのせいだろうか。
「あら、人に名前を訪ねるときの作法を知らないようね。そうねえ……瞳の色とこの場所にいることからして……エバーグリーン侯爵家の人間かしら」
いや、もしかしたら私は嬉しかったのかもしれない。私の魔法を見破る人に会えたことを心から喜んだのかもしれない。その時まで、誰も見破れなかったのだから。
その割にはふてぶてしく笑って躱してみせたが、これはもう性分としか言いようがない。初対面で舐められるなんて、大した屈辱だもの。そう心の中で呟いて、艶然と微笑みを浮かべる。
相手は私の悪びれない態度に呆気にとられたように瞳を瞬かせて、それから顎を引いて綺麗な礼をして見せた。
「失礼しました。私はベイルード・エバーグリーン、仰る通り侯爵家の三男です」
あら、と今度はこちらが瞬きを繰り返す。
初対面で不遜な態度を取られても気を悪くせずに紳士的な態度を取るなんて、教育が行き届いている。そんな教育をしているのかは不明だし、ただこの男の性格故かもしれないが。
「私はアイリスよ。好きに呼んでちょうだい」
「姓を伺っても?」
「ないわ。……いえ、違うわね。分からないのよ」
姓を聞きたがっているのは、出自を知りたいからだろう。この国の魔法使いは貴族出身者のみ、それが常識なのだから。どこの家柄かが分からなければ対処方法は変わってくるのだろう。
ただ、私は貴族出身ではない。姓どころか両親すら分からない。私の持つ最初の記憶に両親はいなかった。理由には見当がついているけれど。
それを初対面の男に話してやる義理はないから、教えるつもりはない。
「分からない? どういうことです」
「そのままの意味よ。断言できるのは、私が貴族じゃないってことぐらいね」
「……魔法を使っていながら、あなたは魔法使いではないと?」
思わず、ふっと笑みを浮かべていた。我ながら仄暗い、自嘲気味の笑み。
「魔法使いよ。聞いたことないかしら、魔法を使える庶民もいるのよ……私みたいにね」
小さくため息をついて本を閉じる。それを目の前の隙間に差し込み、すばやく踵を返した。
「今日のところは帰るわ。でも、ここは素敵な場所だからまた来るわね」
「は……また来るって」
「じゃあね、真面目な貴族様」
遮るなり本棚の裏へと回り込み、男が追ってくる前に転移魔法で姿を消す。銀色の光が視界から消えた時、私は見慣れた自室にいた。
「読みかけの内容を忘れないうちにまた行かないと」
この台詞を聞いたら真面目そうな彼は何て言うだろうかと考え、つい笑ってしまった。
* ベイルード *
「じゃあね、真面目な貴族様」
本棚の裏へと消えた姿を一拍遅れて追い、私はひゅっと息をのんだ。
先ほどまで確かにいた女性の姿はなく、ただ白銀の光の粒が舞い散ったのが辛うじて見えただけだった。
「……いなくなった……? いや、人がいなくなるなど」
神隠しなどという異国の文献で見かけた言葉が脳裏を過ぎる。
しばらく考えて私がその可能性に思い至ったのは、偏に魔法についての様々な文献を数多く漁っていたからだろう。
忽然と消えた姿、魔法使い、白銀の魔力。そこから導かれる答えは。
「まさか、空属性か……?」
確か、空間移動と時間移動の魔法が該当するはずだ。
二千年近い歴史を誇る魔法大国、そう称される我が国でも空属性について書かれたものは少ない。国内有数の蔵書量を誇る侯爵家に生まれなければ、目にすることはなかったかもしれない。
空属性の魔法使いは光属性と闇属性に並んで希少であり、希少三属性と呼ばれている。この三属性が揃う時代はほとんどなかったというほど。
もしも、と私は思考を巡らせながら視線を流す。
もしも私の予想が当たっていてあの女性が空属性魔法の使い手だったなら、門番を始めとする警備がいるにもかかわらず騒ぎにならずに侯爵家書庫に入って来られたことも、跡形なく消えたことにも説明がつく。
簡単だ。警備のいる場所を通らずに書庫に直接移動すればいいのだから。点から点に移動する魔法は空属性の得意分野だったはずだ。
「……この辺りにあったはずだが……ああ、これか」
林立する本棚の間を、記憶をたどりながら歩く。記憶通りの場所にあった本を手に取り、ぱらぱらとページを捲る。
ざっと目を通しながら、案外覚えているものだと我ながら感心する。最後にこの本を読んだのはいつだっただろうか。
魔法大国と呼ばれながら、この国の国民の中でも魔法を使えるものは限られている。私が学校で学んだ歴史によると、二千年前、この国が建立されたころは庶民もささやかながら魔法を使えていたようだが。
九つの属性、火、水、土、草、風、雷、光、闇、空。
二つの公爵家が火と水を、三つの侯爵家が土と草と風を、四つの伯爵家のうちの一つが雷を、それぞれ得意とする属性として持ち、血筋とともに魔力を受け継いでいる。ちなみに、その他の貴族家は遡ればそれらの家の分家となる。しかしそれは基本六属性の話であり、希少三属性に関しては庶民の血筋から生まれるという。
「まったく……私は平穏な日々を好むのだが」
二年前に魔法学院を卒業し、卒業と同時に魔法学の教員として勤務し始めた。つかの間の休暇に安寧を求めて実家の本の海を訪れてみれば、平穏とは真逆の存在に出会ってしまった。
端的に言えば厄日だ。
けれど、そう思いながらも相反する感情が胸中にあるのも否めなかった。
空属性の魔法使い。
最後に現れたのはいったいいつだったのだろうか。滅多に出会えない存在に、魔法を専攻するものとして好奇心を覚えるなというのは酷な話だ。
知らず知らずのうちに笑みを浮かべて、希少三属性について書かれた本を片手に抱いた私は、彼女と将来親交を持つことをまだ知らない。
もちろん、彼女に振り回される未来などまだ想像もしていなかった。
* アイリス *
再び書庫を訪れたのは三日後だった。
空属性の魔力を桁外れに多く宿すことを示す白銀の髪を、色を変える魔法で黒髪に変える。色を変えるのは光属性の魔法だが、これだけは使うことができた。
白銀の微かな光が視界から消えた時、私は見覚えのある書庫に立っていた。辺りを見回し、周囲に誰もいないことを確かめる。
ばれたらうるさいものねぇ。
現在地に当たりをつけて本棚の林を歩いてみると、案の定読みかけの本を見つけることができた。
「あったわ。……えーと、あ、ここからね」
鼻歌を歌いだしたいのを堪えて、文字に視線を落とす。もともと静まり返っていたが、さらに周囲の音が遠のく。自分の眼が文字を追い、指がページを捲る自覚もないままに本の世界へと没頭していくのが分かった。
「アイリス嬢」
「ん……何よ」
集中を切らされる感覚は、夢から目を覚ます感覚に似ている。
そんなことを頭の隅で考えながら、仕方なしに視線を上げる。声の主に見当がついていたからの対応だ。もし知らない声だったなら、追及される前に脱兎のごとく逃げている。空属性は逃走に便利だ。
そして案の定、声を掛けてきたのはあの男だった。ベイルード、とか言っただろうか。ここの三男だと名乗っていた気がする。
同い年くらいかしら、と観察しながら思う。
「……一応、ここは侯爵家(我が家)の私的な書庫なのですが」
「財産は分け合うべきよ。庶民にこういう本は出回らないの」
ひらひらと持っていた本を示してやれば、つい、と深緑の瞳が動く。
「ああ、魔力の遺伝についてですか」
「そう。ちょっと探し人がいてね、役立ちそうだから」
質問をしたそうな男の顔を見て、台詞を拾ってやる。無闇に個人情報を与える気はないが、このくらいならいいだろう。どうせ、ただの興味でしかない。
「探し人っていうのは私の両親よ。……魔力が遺伝によるものなら、探せるかもしれないわ」
「両親が分からない……? だから姓が分からないと言ったのですか」
「ええ。ヒントになればと思ったんだけど」
私には難しいのよねぇ、とつい愚痴を吐く。庶民にしては教養があるのだが、貴族向けの本を読むには足りないらしい。貴族と庶民の教育水準の差は大きい。
男は私の顔を見て少し考えた後、魔力の遺伝について簡単に説明し始めた。平易な言葉で要点をまとめているため、あまり知識のない私には有難い。
折角の機会だからと質問をし、答えを聞き、また質問をして答えを聞く。それを繰り返すうち、相手の言葉は幾分崩れていた。
「つまり、魔力の質は親、特に父親に由来することが多く……」
「じゃあ母親の魔力は関係ないのかしら?」
「いや、そうではない。魔力の質は父親だが、一方で……」
欲張って繰り返した質問が尽きるころ、時計の長針は優に三回転はしていた。ふと時計を見、あらぁ、と零す。
「もうこんな時間なのね。そろそろ帰らないと駄目かしら」
昼過ぎに来たのが悪かった。今度は一日中いられるようにもっと早く来た方がいいだろうか。いや、朝起きられる自信がない。
そう呟くように言った私に、男は若干疲れたように視線を向けた。三時間も質疑応答に付き合わせたのだから無理もない。
「また来る気か」
「ええ。ねえ、あなたの職業は?」
「魔法学の教師」
我ながら脈絡のない問いに返ってきた端的な答えに、なるほどね、と頷く。
「道理で説明し慣れているし分かりやすいと思ったわ。授業料を払った方がいいかしら」
「いや。代わりに……次回顔を合わせた時に質問をさせてくれればいい」
「スリーサイズと体重は答えないわよ」
「は……聞くわけないだろう」
きゅっと眉間にしわを寄せた男に、照れたのかしら、と笑う。
貴族の子息は紳士的にと育てられるのだろう。きっと庶民の男が酒場で交わすような話題には縁がないに違いない。
今度揶揄ってみようかしら、と禄でもないことを考えた。
「で、何を聞きたいのかしら」
「空属性の魔法について」
キラッと男の眼が煌めいたような気がした。
「あまりにも情報がないんだ。あなたは魔法使い本人なのだから、分かることが多いだろう」
「まあ、そうね。分かったわ、覚えておく」
ふと、気づく。彼に教えたかしら。
「……言ってないわよね?」
「属性の話か? 状況から判断しただけだが……違うのか」
「いいえ、合っているけれど……よく信じようと思ったわねぇ」
空属性は希少で、私ですら自分以外の空属性魔法使いを知らない。正直、ばれると思っていなかった。
「直接確かめるつもりでいたが、空間移動ができる魔法は他にないだろう」
「流石教師ね、勉強熱心だわ」
肩をすくめて見せ、ここには空属性についての本がありそうだと笑みを浮かべる。あとで借りるか、こっそり借りるかしようと心に決める。反論は聞かない。
ああ、そうだわ。
思い出したことがあって語を継いだ。
「ねえ、ベイとルード、どちらがいいかしら」
「……呼び方を聞かれていると思っていいか」
「ええ。貴方の名前、長いのよ」
「……家族は、ルードと呼んでいる」
苦笑気味に答えた彼に、それならと頷いた。
「じゃあイルって呼ぶわね。私のことはアイリスって呼び捨てでいいわよ」
「先ほどの質問は何だったんだ⁉」
思わずと言った様子で叫んだ彼に、あら、と微笑んでいた。
「そんな大きな声も出せるのね。静かな人だと思っていたから意外」
「あ、いや……失礼」
咳払いをして落ち着こうとするイルに、いいのよと手を振る。
「私は貴族じゃないし、言う相手もいないわ。怒りたいときは遠慮なく言うから好きにしたらいいんじゃない?」
「……確かに、あなたよりも遠慮がないことはないだろうな」
「あら、本当に遠慮がなくなったわねぇ、素直と言えば聞こえがいいかしら」
「随分と含みのある台詞だな」
「ひねくれてるわぁ」
ころころと笑って前言を撤回し、私は今度こそ踵を返す。
「じゃあ帰るわね」
ふっ、とイルが笑う。
「こういうときは、また、と言うんじゃないか?」
その台詞に私も笑った。真剣な顔なくせ、言うことは可愛らしいものだ。
「ふふふっ、ええ、そうね。また来るわ」
視界いっぱいに白銀の光の粒が溢れ、その向こう側で小さく手を振る姿が見えた。
それが、私と彼の出会いだった。




