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「やあ、ノア。お疲れ」


 何度目かわからない昼過ぎの劇。ひらりと手を振って笑い、わいわいと騒ぐ俺たちへ歩み寄ってきた上級生がいた。


「リオン兄上。どうでしたか?」

「面白かったよー。ノアが脚本だったよね、流石」


 淡い黄色の瞳を細めて微笑み、ノアの兄貴は俺たちの全身をざっと見た。


「ノアの正装は見慣れているけど……レオ君、案外似合うね」


 遠くから見ると女子にしか見えないよ、と感心するようなノアの兄貴に、俺は顔をしかめる。好きでしている格好ではないし、似合っていると言われても困る。俺に女装の趣味はない。


「全く嬉しくないです」

「だよね。でもあんまり違和感はないよ。というか、ずっと聞きたかったんだけど、何で男子(きみ)が姫役なの?」


 もっともな疑問に、視線を元凶に向けて示す。


「ノアが俺を推薦したから」


 すっぱりと言い切った俺に、へえ、とノアの兄貴は笑んだ。悪戯っぽい表情に、自分が仕向けたこととはいえ、ノアへ同情を抱く。


「そうなんだ。まったく、そんな面白い話があるなら教えてよ」

「兄上もお忙しかったでしょう?」


 揶揄いモードへと突入した兄貴に、完璧な笑顔で応戦するノア。前も思ったが、この兄弟の揉め方はうちとは違う。

俺と兄貴は、揉めたら言葉はほぼ使わない。殴り合い、蹴り合い、掴み合いの肉弾戦だ。最終的に父親が俺たちを引っぺがして外へ放り出すまでがお約束。

 俺がそんなことをつらつらと考えている間に、兄弟二人の話は学院祭へと及んでいたらしい。


「兄上の学年はカフェでしたよね」

「うん。料理って難しいね、できるようになるまで大変だったよ」


 そういえば、とノアの兄貴は弟に笑いかけた。


「一年生って今日だけだよね、展示」

「はい、あと数時間です」

「え、そうなのか?」


 即答したノアに、予定を全く把握していない俺が聞き返す。

 そうだよ、と肯定され、思わずこぶしを握り締める。言わずもがな、ガッツポーズだ。


「よっしゃ! じゃあその後は遊べるな!」


 解放とばかりにはしゃぐ俺を見、ノアが肩を震わせる。


「あ、じゃあレオ君、ノアと一緒にうちのクラスに来なよ。おもてなしするよー、サービスで奢ってあげる」

「行きます!」


 劇からの解放、そして食べ物、しかも無料。俺の頭は今それだけを考えて、食い気味に返事をする。

 ふはっ、とライムライト兄弟の息が重なり、顔を合わせて笑った。


「……そんなにおかしかったか」

「ふふっ、大丈夫、いつも通りだよ」

「お前のツボが浅いところもな」


 恒例となりつつあるやり取りを交わし、窓からふと吹いた風に顔を上げた。ばさっと音を立てて、そこらに置いてあった紙が机から落ち、そのまま床を滑って遊ぶようにくるくると回っている。

 もはやあちこちへ散らばった紙を回収するのは面倒で、拾おうとするノアを止め、あまり使わない魔法を発動させた。


「回収してくれ」


 誰にともなく呟いた声に従うかのように、琥珀色の光が足元で一瞬煌めき、辺りを一回りした風がすべての紙をかき集め、差し伸べた俺の手の上にぽいっと乗せた。


「あー……向きぐっちゃぐちゃだし」


 面倒、と眉根を寄せる俺の横、ノアの兄貴がガシッと俺の肩をつかんだ。


「んなっ、わ、何を」

「……とりあえず、質問いい?」

「は? 何を?」


 思わず敬語が取れたまま問い返した俺には構わず、俺が何も言わないうちからノアの兄貴はまくし立てた。


「今の魔法何⁉ すっごい器用……っ、普通風魔法って攻撃対象にぶつけるだけだよね! あと発動までのタイムラグなんだけど」

「兄上、レオが困っています」

「え、だって、え⁉」

「兄上、リオン兄上」

「えええええええ」


 何やら大騒ぎをしているノアの兄貴にぐわんぐわんと揺さぶられる。気持ち悪くなってきた。脳みそがぐちゃぐちゃになるんじゃないかと、一瞬危機感がよぎった。これ以上馬鹿になったらどうしてくれる。


「レオ君、今日の放課後なんだけど」

「兄上? レオに何をさせるつもりですか?」

「だってノア! 見たでしょ今の。繊細で融通の利く魔法構築、発動までのタイムラグなし! どうしよう調べたい!」

「え、あの、すごく怖いんですけど」

「リオン兄上、レオが嫌がっているので」


 兄を止めようとしたノアの視線が、ふと他所(よそ)を向く。


「おーいリオン……あー、また暴走してるのか……。お、(おとうと)(くん)いたんだ、久しぶり」


 どこかノアの兄貴に似た雰囲気の上級生は、ノアに歩み寄ってくる。いや、正確にはノアの兄貴に、か。


「お久しぶりです。兄がいつもお世話になっています」

「それはお互い様。リオーン、そろそろ店番交代だって知ってるんだろ? ほら行くぞ」

「ええー、今いいところなんだけど」

「いいから行くぞ。今店番してる奴らに怒られる」

「うっ、確かに。でも、今はレオ君に」


 いいから、と問答無用で腕をつかんで立たせると、その救世主は微笑みとともにノアの兄を強制連行していった。とりあえず拝んでおく。


「まったくもう……兄上は魔法の事になると理性がどこか行っちゃうんだから」

「旅行にでも行ってるんじゃないのか、外国辺りに」


 にやりと笑う俺の台詞に、ノアがきょとんとした顔を向ける。


「旅行…………ふふっ、そうだね」


 ノアの唇が弧を描き、微かに息を零す。


「面白い表現だね。私も今度使ってみようかな」

「ははっ、だろ? 前に酒場のおやじが使ってたんだ。聞いたら使いたくなるよなぁ」


 そうだね、とノアがもう一度件の表現を繰り返す。ふと何かに気づいたように、親友が視線を上げる。


「というか、レオ」


 咎めるような視線を向けてきたノアに気圧されながら、俺は一歩下がる。

 何がまずかったのかはわからないが、説教が始まりそうな予感はあった。


「酒場ってあの酒場かい? 君、まさか飲んだり」

「酒場以外に酒場ってあるのか? 心配しなくても遅い時間に出入りしてないし、親も一緒だ」


 酒も飲んでいない、と両手を上げて弁明する。

 常識に縛られず自由に生きる俺の父親も、流石に十歳になったばかりの息子に酒を飲ませるようなことはしない。

 ほっとした様子のノアに、酒場に行くと酔った男衆に酒を勧められるのは黙っておいた。気安く、まあ飲めよとジョッキを渡そうとしてくるのだが、きっとこいつの周りにそんな大人はいないだろう。


「父さん、酒が好きだから仕事終わりによく行くんだ。放っておくとなかなか帰ってこないから、兄貴と迎えに行けって母さんに頼まれるんだよなぁ」

「夜にかい?」

「ああ。夕方から飲み始まって、夕飯のころ迎えに行くからそんな遅い時間じゃないけどな」


 まれに飲み明かす時もあるが、その時は自分の足で帰ってくるので母親も問題視していない。父親の酒の強さは母親もよく知っている。あれはザルではなくワクというのだと、呆れたようにため息をつく様子を幾度となく目にしていた。


『まあ、お酒を飲んでも吞まれないからいいさ』


 母親曰く、酒飲みのモットーを具現化したような父らしい。俺も大人になったら酒を飲めるようになるだろうか。


「お前の親は飲まないのか?」

「お酒かい? うーん……パーティーや夜会でワインを飲んでいるのは見たことがあるけど……屋敷(いえ)で飲んでいるのは見たことがないかな」


 ノアが考え込むように首をかしげる。


「へえ、強いのか?」

「……多分ね。酔っているのを見たことがないから」


 酒の強さは親に似るという。ノアの両親が飲めるなら、ノアも将来飲めるようになるだろう。

 そこまで考え、そういえば母親が酒を飲んでいるところを見たことがないことに気が付いた。料理酒、というものを使うところはよく見たが、父親のように飲んでいるところを見ていない。

 両親のどちらに似るのかによって、俺の酒の強さは変わりそうだ。

 ふと黙り込んだ俺に声をかけるより前にクラスメイトが俺たちを呼び、この話はそこまでだった。


 さあ、次の劇の準備をしなくては。


 こうして、黒銀祭一日目は、怒涛のまま終わったのだった。


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