21 黒銀祭前夜
それからの二週間弱は、まさに怒涛だった。
学院祭、通称黒銀祭の準備のために、朝夕の訓練を除いた授業が全て停止し、朝から夕方まで練習や準備に追われる日々。台詞を間違い、動きを間違い、何度となく呆れられ笑われた。ちなみに一番爆笑して呼吸困難に陥りかけたのは、脚本を書いたノアだった。もういい。
だがそれも今日で終わり。瞬く間に過ぎ去った二週間、明日から三日間はいよいよ学院祭だ。
「……すごいな」
劇の準備と練習、こんな時でも欠かさない訓練を終え、ノアと何故かいる青目貴族と一緒に校門をくぐる。
黒銀祭、と大きく書かれた看板が校門のすぐそばに置かれ、蔓で固定されている。周囲には色とりどりの花が咲き乱れていた。草属性の魔法だろう、器用なことをする。
「いよいよ明日から黒銀祭だからね。先輩や教官も気合が入っているのを感じるよ」
楽しみだと微笑んで、飾りつけの済んだ校舎や校庭を眺めるノアは、確かにこいつにしてはテンションが高い。それは青目貴族も同じなようで、あちこちを見て目を輝かせている。
「お前ら、なんでそんなに元気なんだよ……」
俺だって、見たことのない黒銀祭やその飾りつけされた校舎に胸が弾む。明日以降が楽しみで仕方がない。ただ、それ以上に疲労がたまっている。
「俺、練習で疲れてるのに……。お前らタフすぎないか」
「ああ……君は多分、体以上に頭が疲れているんじゃないかい?」
体力には自信があるし、いつも同じ訓練を受けているはずなのに、とぼやいた俺に、ノアが困ったように眉を下げる。
「台詞や動きの修正もあったしな」
青目貴族が付け加える。
「何か、最終的に脚本、大分変わってないか?」
ここ二週間で些細な修正を繰り返し、積もり積もって大幅変更になっていた脚本を思い出して、思わず呟く。練習中は忙しなく、変更内容を再現することに手いっぱいだったが、今思えば、姫の性格が面白いことになっている。
「そうだね。でも、君は今の姫の方がやりやすいだろう?」
「まあな。お淑やかな姫なんざ、俺に似合わなすぎるもんなぁ」
ははっと笑う俺に、ノアが苦笑交じりの微笑みを浮かべる。
「……直した私が言うことではないのかもしれないけれど、あの姫が実在したら周りは大変だろうね」
「ああ、本当に大変だ」
即座に肯定した青目貴族はため息をつくほどノアに共感しているらしい。そんなにぶっ飛んだ性格じゃないだろうが。
「庶民の女子よりマシだろ。本当、貴族の女子っておとなしいのな」
「……あの姫で?」
「庶民と言うのは活動的なものばかりなのか」
二対の怪訝そうな瞳に、あいつは大分お転婆なんだな、と幼馴染を思い出す。スカートをまくって木に登り、泥跳ねなんてなんのその、雨上がりの泥濘を男子と共に躊躇いなく走る。喧嘩だって男子に劣らない気迫と無茶だ。
「……あいつは俺と取っ組み合いの喧嘩をするくらいだし、例外か」
ぼそっと呟いた内容を聞き取ったらしい貴族子息二人が呆気にとられたと言わんばかりの顔になっていた。
「男子と喧嘩、よりにもよってレオ殿と……」
「レオ、女性に乱暴はいけないよ」
呆れたような感心したような、どちらともつかない様子で何やら呟く青目貴族をよそに、ノアが苦言を呈する。こういうところ、こいつは紳士だ。一般に貴族の子息と言うのはそういう風に躾けられるのだろうか。
「喧嘩を吹っかけたのも、先に手を出したのもあっちだっての。しかも数える程度しか喧嘩してないし」
「それでも、女性に手を上げるのは駄目だろう? 女性には丁寧に接するべきだろうに」
レディファースト、と言い聞かせるように言ったノアに、俺は思わず顔を顰めた。
「十歳にもならない子供に求めるな」
貴族はどうなのか知らないが、俺の故郷リーゼヴェルでは、十歳で男女の区別をつける場合が多い。つまり、十歳まではそれほど性別を気にしていない。一緒くたに〝子供〟だ。だから十歳以下の喧嘩にレディファーストはない。それ以前に、レディファーストという概念が存在しない。
俺の説明に、貴族二人は瞬きを繰り返す。その反応を見るに、貴族の子供に対する対応は違うらしい。
「庶民と貴族は色々違うところがあるみたいだね」
興味深い、と漏らしたノアが、貴族の子供について話してくれた。
曰く、貴族は生まれた時から性別を重視されるという。生まれた子どもが女性なら、結婚によってより高位の貴族と将来繋がれるため、高い教養や振る舞いを身につけさせる。息子が生まれれば、跡継ぎに加え騎士や文官となって王宮に勤めることも可能。高い教養、剣技、事務能力などを各々の適性や役割に合わせて身に着けていくという。
要するに、庶民よりも先を見て子供を育てていくのだろう。
「私には姉妹がいないから、両親もそこは残念がっていたかな」
兄上のどちらかが姉上だったら面白そう、とノアは微笑む。楽しそうなノアを見ながら、こいつが女だったらと何とはなしに考えてみた。
「……いいんじゃないか、今のままで」
脳裏に浮かんだノアは、自分が女性であることを活かして裏で画策し、家に貢献していた。だが、俺と接点を持つことはない。ノアがいた方が、俺の毎日は楽しいし、テストを乗り越えられる。こいつの隣にいるためには、ノアが男であることが必須条件だ。
「姉妹と言えば……ルイーゼ殿、アベリア嬢はお元気ですか?」
ふと、ノアが青目貴族の方を向いてそんなことを言う。唐突な台詞に、しかし青目貴族もすぐに口を開いた。
「ああ。こちらに戻ってくるときに散々泣かれたが、母の手紙によれば、アベリアは元気に過ごしているらしい」
アベリア。知らない名前に、そっとノアを窺う。俺の視線に気づいたノアが、補足説明を寄越す。
「アベリア嬢というのは、ルイーゼ殿の妹君だよ」
「へえ、妹がいたのか。こいつに似てるか?」
「指をささないの。お行儀が悪いよ」
こいつ、と俺が青目貴族に向けた指を下ろさせながら、ノアは少し遠い目をして考えていた。話を聞くに会ったことがあるようだし、顔を思い出しているのだろう。
「そうだね、似ていると思うよ。ルイーゼ殿も綺麗な青い目だけど、アベリア嬢の瞳も鮮やかな部類だろうし。顔立ちも何となく」
「自分だと分からないな……だが、親戚には似ていると言われることがある」
「やはりそうですか。どことなく似ています。兄弟ですね」
微笑まし気に笑うノアに、お前も兄貴とそっくりだろうがと心で呟いた。
違うのは瞳の色と表情、年齢くらいだろう。二年後のノアはきっと、今の兄貴にそっくりだ。
「レオは兄上と似ているのかい?」
そろそろ聞かれると思った、と俺は少し首を傾げて考えてみる。そういや、母親には似ていると時折言われていた気がする。
そう伝えると、やっぱり兄弟は似るんだね、とノアは笑った。
「お前もな」
「え、そうかい?」
俺たちがじゃれ合ううち、寮の入り口はすぐそこまで近づいていた。




