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1 入学試験

 俺が十歳を迎えた次の春のこと。

 ただの鍛冶屋の次男坊だったはずの俺は、王都にいた。


「でか……うちの山くらいあるんじゃないか」


 騎士学院の入学試験を受けにやってきた俺が、王都の中心に聳える王宮を見た感想は、そんな田舎者丸出しなものだった。いや、本気ででかいし。

 煌びやかな馬車が並ぶ校門を見て帰りたくなったが、肩身が狭いから帰りましたと父親に言ったら拳骨では済まない。言った瞬間、予告も手加減も一切ない剣術稽古が始まり、そのまま医者を呼ぶことになるだろう。三日くらいは寝込むかもしれない。


「……金は、あるとこにはあるんだな」


 貧窮とまでは言わないが、華やかな暮らしとは無縁だった。買い物するにも些細な値段の違いを気にしていたのだ。得したかったし。

 貴族の坊ちゃんらにしてみれば控えめだろうが、純血の庶民の俺から見れば眩しい服を着て、同年代の奴らがわらわらとそれぞれの馬車から出てくる。わざわざ送り迎えがあるらしい。

 貴族と言うのも難儀らしいとため息をつき、もし合格した暁にはこういうのと六年の共同生活が待っているのだと思うと、またため息が出た。


「受験生か。受験番号は」


 校門を抜け、玄関口に立っている教官らしき大人に挨拶と受験番号を告げる。一瞬もの言いたげな視線を向けられたが、すぐに逸らされ、受験会場の場所を説明される。

 返事をし、言われたとおりに廊下を歩いていると、自然と周りの景色が目に入る。大きく立派なのに、どこか無機質。実用性を求めたつくりをしている。目に優しくていい、と頷く俺はとことん庶民だ。


「……まずは筆記だったか」


 指示された教室のプレートを探して歩き、ぼそっと呟く。

 王立騎士学院の入学試験はおおまかに二つ。剣術または稀に魔法、基礎教養。基礎とは名ばかりの、貴族向けテストというのが正しい。

 父親にどんな問題が出るのか教えてもらった時、当然俺は訳が分からないと思ったし、今も割と危うい。

 大体が、商人以外の庶民の子供が受ける教育というのは、生きていくためのものだ。文字の読み書きと簡単な計算、大雑把な法律を町の大人から教えられる。学校とはっきり呼べる施設なぞなく、そこらの家が厚意で貸し出される。

 そんな中、読み書きに難がなく、割と複雑な計算もこなす俺はかなりの優等生だ。性格を抜きにすれば。

 ただしその評価は庶民の中で見た時であり、貴族とは比べようもない。そう分かっていても、それ以上の勉強などしようがない。完全に剣術頼みでここへ来た。


「法律なんざ、窃盗と殺人はいけません、しか教わった記憶ないしなぁ……」


 強いて付け足せば、税金は滞納してはいけません、といったところ。基礎と言えるレベルではない。

 本当に、うちの父親は何をとち狂って俺を貴族の坊ちゃん嬢ちゃんらの中に放り込むことにしたんだか。ボケてないだろうな、おい。

 口に出したが最後の悪態を心の中でついた俺は、ようやく目当ての教室を見つけた。躊躇いなく足を踏み入れ、速攻で帰りたくなった。

 何せ、ほとんど埋まった席に座った貴族の子息たちは、集団催眠でも受けているかのように黙々と勉強していたのだ。

 うわ、と呟いたのは無意識だった。


 やばい、こいつらいっそやばい。


 語彙が一瞬消えるくらい怖い現象だった。まだ試験開始まで一時間近くあるのだ。今からそう勉強していては頭がもたない。それなのに淡々と、かつ黙々と勉強に励む貴族たちは、勉強嫌いの俺からすればホラーに近かった。

 ちなみに俺は父親の監視の下で勉強させられていた。逃げ出そうとしても首根っこを掴まれて机に戻される。おかげさまでこの成績だ。

 笑えばいいのか頬を引きつらせればいいのか、表情の選択に迷って立ち止まる俺の後ろから、穏やかな声が掛かった。


「やあ、君もここの教室なのかい?」


 振り返った先にいたのは、声通り穏やかな顔に高貴な色を宿した少年だった。例にもれず、貴族の坊ちゃんらしい装い。当たり前だが、やはり田舎の庶民とは風格と言うか纏う雰囲気と言うか、そんなものが絶対的に違う。


「あ、ああ。お前も……あなたもですか」


 途中で言葉を変えたのは、自分を取り囲む連中のことごとくがどんな奴らなのか思い出したからだった。庶民は貴族に逆らってはいけない。それが生きていくためのルール。


「ああ。どうかしたのかい、立ち止まっていたようだけど」

「あー……一つ聞くが……いや、聞きたいんですが」


 敬語に慣れておらず舌を嚙みかけている俺に可笑しそうな微笑みを向け、目の前の少年が促すように視線をこちらへ流す。いちいち仕草に上品さが滲むのは流石貴族の子息。


「これって普通の光景なんですか」

「うん?」


 ひょいと俺の後ろを覗き込んだ少年は不思議そうに首を傾げた後、何てことないという風に肯定を返した。


「どこかおかしい所があるのかい」

「…………いえ。普通なんですね、これ」


 貴族って……、と遠い目になりかける俺の意識を、少年の声が引き戻す。


「入っても構わないかい? 君も勉強した方がいいだろう?」


 できるかこの野郎、と一瞬開きかけた口を閉じ、ため息に色々と詰め込んで吐き出した。そのままスタスタと教室の開いている席に腰を下ろす。

 いつから使っているか分からない鞄を漁って筆記具を出したら、やることがなくなってしまった。教科書なんて言う上等なものはお目にかかったこともなく、俺が身に着けている知識は大人から口で伝えられたものばかり。復習なんてしようがない。


「天にでも祈っとくか、いっそ」


 受かりますように、と心の中でさえおざなりに呟き、俺は勉強に励む周りを一切気にせず窓の外へと視線を投げていた。

 穏やかで高貴な少年が、笑みを含んだ視線を俺に向けていることにも気づかずに。




「あー……」


 筆記試験を終え、剣術の試験を受けるために渡り廊下を歩く俺は、先ほど終了した試験を思い出して空を仰ぐ。やはりというべきか、さっぱり分からない。全く分からない、というほどではなかったのでまあ良いか。

 第三訓練場と呼ばれる巨大な体育館が試験場となる。入り口に立っていた教官に名前と出身地を名乗り、家の爵位を聞かれたので庶民だと答えれば二度見された。本当に庶民は珍しいらしい。

 木剣を渡されて訓練場の端の方にいろと言われた。見れば、受験生がそちらに集まっている。大人しく従っておく。


「ん?」


 集まる貴族の中に見覚えのある顔を見つけた気がした。少し考え、思い出す。先ほど声を掛けてきた貴族だ。

 視線を外す直前、視線の先にいた当人が視線を寄越した。気づいていたらしい。貴族の必修技能に、視線に気づくというのがあるのか。

 目だけで会釈をしてあっさりと視線を外した俺に、彼は迷いなく近づいてきた。何で視線をそらしたと思ってんだよ。


「君も剣なんだね」

「魔法は貴族の専売特許でしょう」


 貴族と関わるのはできるだけ避けたい。たとえこれから関わらざるを得ないとしても。

 そんな気持ちが滲み、丁寧ながら素っ気ない返答をした俺に、目の前の貴族は不思議そうな顔をした。ことりと首を傾げた仕草さえも気品があるのだから、生粋の貴族なのだろう。


「貴族って言っても、君もでしょう? まあ、たまに使えない人もいるけどね、私のように」

「は?」


 二重の意味で驚いた。

 一つは俺の事を貴族だと思っていること、もう一つは貴族であるはずの少年が魔法を使えないこと。特に後者。そういえば、こいつの眼は黒い。魔力を宿すならば瞳の色が変わるはずなのに。


「私は爵位を継ぐという意味では落第扱いでね。剣一筋なんだ。君は?」

「……訂正があります。俺は貴族じゃない、生粋の庶民だ」

「へえ、優秀なんだ」


 へえ、で済ませやがったこいつ。俺の周り、今現在貴族しかいないけどな。お前も含め。


「あと一つ質問ですが、あなたは貴族では?」


 あまりに不躾な質問だったと、この時の俺は気づかない。気づくのは、俺が無事に入学を果たし、のちに親友と呼べる仲になるこいつと再会してから。

 俺がこの事に気づかなかった理由、その最たるものはこいつのこの時の反応だろう。なにせ、


「ああ、貴族だよ。私の父親は伯爵の爵位を陛下にいただいている。私はそこの三男なんだ」


 と何てことなく笑ったから。のち、この時のことを尋ねた俺にこいつは「面白いなって思ったかな」とのんびり返した。要するに、こいつはこういう性格だった。もう色々と諦める。

 けれど、それはまだ先の話。

 この時の俺は、こんな貴族もいるんだな、くらいにしか思っていなかった。


「今から呼ぶ受験番号の生徒はこちらに来なさい。試験を行う」


 教官に呼ばれた自分の受験番号に、他の受験生に混じって歩き出した。


「頑張って」


 どこか笑みを含んだ声が後ろから追いかけてくる。応えるようにひらりと手を振る。


「お前も」


 口に出して気づき、言い直す。


「あなたも。健闘を祈ります」


 めんどくさい、と心の中で呟いた。ああ本当、こんな中で俺は生きていけるのだろうか。


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