16 貴族令息 ~ノア目線~
鏡に映る自分にそっと微笑んでみる。うん、大丈夫。
鏡の中の私は久しぶりに煌びやかな衣装を纏い、髪までセットされている。数か月間は無縁だった、けれどもはや馴染んだ格好。こういう服を着ていると、自分の立場というものを、子供ながらに感じる。
ライムライト伯爵家三男。
自らが生まれ育った家柄を嫌だと思ったことはないが、自由な友人に慣れると、時折窮屈さを感じる。だからと言って、何を思うわけではないけれど。
トントン、と軽やかに自室の扉がノックされる。
「はい」
「ノア、兄上だよー。もう準備はできた?」
メイドに扉を開けてもらい、リオン兄上がヒラッと手を振った。最近は騎士学院のシンプルな制服姿ばかり見ていたが、今日は兄上も着飾っている。それも当然、今日は社交界でのパーティーがあるから。
「はい、できています。アルトス兄上と父上、あと母上はどちらに?」
「玄関ホール。私たちの用意ができ次第出発するって」
「え、お待たせしてしまいましたか?」
大丈夫、と笑った兄が私の手を引き、連れ立って家族の下へ向かった。
リオン兄上の言った通り、私たち以外の家族は準備を済ませていて、にこやかに談笑していた。
「おや、ノア。お前には珍しくゆっくりだったな。何かトラブルでも?」
「いえ。お待たせして申し訳ありません、父上」
「構わないさ。時間には余裕があるからね」
鮮やかな黄色の瞳を細めて、お道化たように父上が尋ねる。その隣で母上が私を手招きして呼んだ。
「ノア君はやっぱり私似ね。似合う色が同じ」
メイドたちが着せてくれた服や整えてくれた髪を乱さないよう、母上は私の頬に手を当てて笑う。慈愛と高貴さが滲むその笑みは、まさしく貴族婦人。
「いつも思うけれど、着飾った皆は格好いいわねぇ。ノア君とリオ君はまだ可愛いって感じもあるけれど。三人産んで置いて良かったわぁ」
ふんわりと、母上の背景に花びらが散っている幻覚が見える気がする。
「いつまでも子供扱いを……」
「母上はいつもそう言います」
次男と三男に困ったように視線を寄越されてまた笑う母上は、父上に促されて残念そうに馬車へと先に乗り込む。
「あ、アル君、どっちの馬車に乗る?」
馬車は二台。母上と父上が乗り込んだ方ともう一つ。アルトス兄上がどちらに乗っても構わないため、どちらの馬車が三人乗りになるかはその日次第だ。
そうですね、と僅かな時間をおいて、アルトス兄上は空の馬車を指した。
「今日は弟たちと乗ります」
「そうね、そちらの方が安心ね」
振り返ったアルトス兄上に手招かれるまま、私とリオン兄上も馬車に乗り込む。
「よろけないでよ、ノア」
「大丈夫です」
リオン兄上の揶揄い交じりの声に微笑み、馬車に乗り込む。最後に乗り込んだアルトス兄上が向かいに、私とリオン兄上が隣に腰を下ろす。
緩やかに走り出した馬車の中、アルトス兄上が口火を切った。
「二人とも、いつまで家にいられる?」
「あと三週間くらいですねー。もうそろそろ三分の一が終わりますから」
にこやかに答えたリオン兄上がこちらに視線を寄越す。その瞳がやけにきらきらと光っていて、何だか嫌な予感がした。
「そろそろお友達が恋しくなってきた?」
その言葉に私よりも早く反応したのは長兄だった。
「そんなに仲のいい友達ができたの、ノア」
「えっと、はい。面白い人です」
我ながらこの説明は雑すぎたとは思うも、彼を一言で言い表そうとするとこうなってしまう。あとは、自由で真っ直ぐ、とかだろうか。
「私もよくノアから聞きますけど、すごく面白いみたいですね」
「へえ、どんな?」
アルトス兄上が尋ねると、とても滑らかにリオン兄上が語る。すべて私が兄上に話したことだけれど、こうやって聞くと気恥ずかしい。
例えば、レオがクラバットを上手く結べなくて首を絞めかけたこと。
例えば、あまりに赤点を取りすぎて教官に連行されていること。
例えば、私たちとは異なった魔法の使い方をすること。
「そうそう、彼は珍しい魔力を持っているんです。濃い金色で……うーん……ああ、蜂蜜みたいな色なんですよ。ねえ、ノア。一度彼を家に呼んでさ」
「兄上? 駄目ですって言いました」
「だって、学院ではなかなか会えないし、会ったとしても時間はないよ」
「レオは私の友人であって、兄上の研究対象ではありません」
すっぱりと断った私に、兄上は尚も言い募る。
「ともかく、彼に話を通してみてよ。ノアが決めることじゃないだろう?」
「リオン、落ち着きなさい。お前は本当に魔法が好きだね。ほら、弟を虐めてやらないの」
凛とした声で諫め、アルトス兄上は私に微笑んだ。
「ノアは良い友人に恵まれたね。ノアが楽しいなら、私はそれでいいと思うよ。リオン、弟を困らせないでね」
リオン兄上に向かい、アルトス兄上は微かに首を傾げて見せる。
「というか、ノアを介して呼ばなくてもいいんじゃないの。今日のパーティーでも会うでしょ?」
その時に声を掛けて来ればいい、と提案した長兄に、弟二人は大きな情報伝達不足に気づいた。
「兄上、ノアの言う友人って言うのはですね」
庶民の子なんですよ、とリオン兄上が付け加え、アルトス兄上が不思議そうな顔で瞬いた。
騎士学院の生徒は貴族の子息令嬢。それは揺るがないはずの常識で、今までにもほとんど例はないという。それなら、兄上がその可能性に思い至らなかったのは仕方ないのだろう。
私も驚いたなぁ、と初対面を思い出す。
『……訂正があります。俺は貴族じゃない、生粋の庶民だ』
私を含めた貴族の子息子女の中、確かに彼は浮いていた。無骨な服も、周りと一線を画すような空気感も。けれど、私は彼を庶民だとは思わなかった。単純な話で、あの場に庶民がいるとは思わなかったから。
身分で人を判断すると損することもあると、私はあの時学んだ。身分で友人を選んでいたら、私の隣に彼は今いなかっただろう。それは嫌だ。
「だから私も初めて見たんですけどね、あの色」
またウキウキしてきたらしいリオン兄上をよそに、アルトス兄上は状況を理解したらしく、なるほどと頷いた。
「それならとても優秀な子なんだね……あれ、赤点常習犯だっけ」
「剣技に優れているんですよ、レオは」
レオの出身地を告げると、長兄は納得を持って頷いた。
「リーゼヴェルは国境に面しているし、聖域にも近い。確かに、戦闘技術は上がりそうだ」
聖域。
その言葉が指すのは、決して安全地帯ではない。魔獣や精霊が多く住む、人間が手出しできない場所、という意味だ。この国には何か所かあるが、レオの故郷もその一つに近かった。
そういえば、魔獣を倒したことがあると聞いた事もある。
しばらく考え込んでいたアルトス兄上が顔を上げた時、長兄は貴族の顔をしていた。冷静で明晰な理論によって最善を掴む、少し冷たい顔。
その顔を見た時、私は何を言われるのか分かってしまった。
「その子と仲がいいのは嬉しいけれど、他の人ともちゃんとお付き合いするんだよ」
大丈夫です、と笑みを浮かべて応戦する。レオを貶されたわけではないし、距離を置けと言われたわけでもない。その言葉の底にあるのが兄としての気遣いだというのは分かっていても、少しだけ胸が痛んだ。
家柄に釣り合う付き合いも忘れるな。
アルトス兄上が私に言いたいのはそういうことだろう。分かっている。
「あとどのくらいで着くんでしたっけ」
ふと声を発したリオン兄上が、どことなく窓の外へと視線をやりつつ欠伸を漏らす。アルトス兄上が仕方なさそうに笑って、あと少しだと言った。
「ところでリオン、一週間ほど先のことなんだけど」
リオン兄上とは反対側の窓から外を眺め、私はそっと息を吐いた。
到着しました、と御者に声を掛けられて降りた先、記憶と変わらず美しい花の庭園を抜けた先、そこが今日の会場だ。
堅牢かつ絢爛な扉の先に広がる広間は、貴族たちの思惑が入り乱れる場所。ここからは気を引き締めて、と囁いた次兄に頷き、私は微笑みを浮かべた。
両親と兄上たちについて歩きながら、あちこちから向けられる視線に目を伏せる。貴族社会では流れた噂が大きく影響する。ライムライト伯爵家の者として恥じない言動をしなくてはいけない。
何人かの高位貴族に挨拶をしたのち、両親と長兄は引き続きあいさつ回りをし、私とリオン兄上は自由にしていなさいと言われた。壁の絵にでもなりたいが、流石にそれは駄目だろう。
「リオン、いつ来たんだ?」
「あれ、もう来てたの?」
リオン兄上の友人が声を掛けてきて、二人はそのまま話すことにしたらしい。私に一度だけ手を振った兄上を見送り、ゆったりと歩きながら話が盛り上がっているあたりを目指す。情報収集をやって損はない。
そんな私に、声を掛ける人がいた。
「ノア殿」
振り向いた先、この数か月で見慣れた青い瞳があった。
「ルイーゼ殿、いらしていたんですね」
「ついさっきだが」
久しぶりに見る正装に、やはり映えるなと感心する。
「そちらは妹君ですか?」
「ああ。アベリア、ご挨拶をしなさい」
ルイーゼ殿の手を掴み、内気そうに背後から顔を見せる少女が、兄の言葉にスカートを摘まんだ。流れるよう動きで一礼する。
「アベリア・シアンと申します」
まだ幼いためにたどたどしい自己紹介に応え、胸に手を当てて一礼する。
「初めまして、幼い(リトル)姫君。私はノア・ライムライトと申します」
にっこりと微笑んだ私を、兄よりも少し黒い瞳が見上げる。
「ノア様は、お兄様のお友達、ですか?」
「ええ。貴女のお兄様にはいつもお世話になっています」
「どちらかというと逆だと思うが」
「いえいえ。レオともどもお世話になっていますよ」
ふふっと笑ってしまい、アベリア嬢に不思議な顔をされてしまった。まだ幼い妹を連れて歩くなんて、ルイーゼ殿は面倒見がいいらしい。私には弟妹がいないから憧れもあるけれど。
「お兄様、レオってだあれ?」
「お兄様の友人だ。ノア殿とも仲がいいんだよ」
「じゃあ、その人にもごあいさつしないと、ですね」
兄の袖を引いて見上げる幼子を可愛らしく思うのと同時、兄を慕うその姿にルイーゼ殿を羨ましく思う。兄ばかりの自分に何を思うわけではないが、魔法と同じで興味がある。
「レオ殿はここにいないんだ。挨拶の必要はない」
「そうなのですね?」
よく分からないけどまあいいや、というような返事に、ルイーゼ殿が微笑みと共に、軽く手のひらを頭の上で跳ねさせる。
「お二人は仲がよろしいですね」
「そうか? どこの兄妹も同じだと思うが」
「私には妹がいないので普通がわかりませんが、お二人の仲がいい事は分かりますよ」
その言葉に笑みを深めたアベリア嬢を微笑ましく思いつつ、私はルイーゼ殿としばらく会話に興じることにする。
「それにしても、レオ殿と一緒ではないノア殿と言うのも少し新鮮だな」
「そうですか? いつも一緒というわけではありませんよ。例えば図書室に行っている時とか」
騎士学院は国内有数の蔵書数を誇り、私は入学してから足繫く通っているのだけれど、レオは滅多に足を向けない。
彼曰く、文字しかない本を読むとか苦痛以外の何なんだ、らしい。新しい知識を得るのは楽しいし、自分ではない誰かの物語をなぞるのも心躍るものだと思うのだが、レオがこの意見に同意したことはない。
「ああ、たしかに彼が本を読んでいる印象はないな」
授業中に舟をこいでいる印象はあるが、とルイーゼ殿にしては珍しくお道化るように付け足された一言は、なるほど、確かにルームメイトのイメージに合う。特に午後の基礎教養の授業ではよく見かける姿だ。
「レオは動き回っている方が好きですから。おすすめの本を紹介する機会はしばらく来ないでしょう」
「ノア殿の? たとえばどのような?」
急に与えられた本談義の機会に、私は笑みを深め、ルイーゼ殿との議論に花を咲かせたのだった。
私たちが本談義を楽しむ様子に驚くレオの顔を見るのは、少し先のこと。




