11 変化
「あっつ……」
訓練場のもわっとした熱気が風に紛れ、冷たい感触が汗を攫う。快適。
昼前の今は、やはり日差しが強い。剣を振り、走らされた今は暑くて仕方がない。喉も乾いた。
「……冷えろ」
ひゅっと、足元から吹いた冷風に笑みを浮かべ、そのまま続ける。
琥珀の光が足元で何やら訳の分からない模様を描き、一瞬の後に淡い青色へと染まる。その瞬間、風が強くなり、髪を浮かせた。
「まずい、やりすぎた、っくし」
ふるりと体が震える。故郷にいる頃から時折発動している魔法なのに、未だに上手く使えない。所謂、苦手な属性というやつだろうか。
「何だい、今の。君の魔法かい?」
「ノア」
汗をタオルで拭きつつ駆け寄ってきたルームメイトはいつになく目を輝かせ、消えた魔法陣を惜しむように視線を足元にやる。
「なんでそんな楽しそうなんだよ」
「だって、君は滅多に魔法を使わないから」
「面倒だろ」
「そうかもしれないけれど」
もの言いたげな黒目に、仕方ないなと視線を逸らす。
「一回だけな」
冷えろ、と小さく呟くと、先ほどと同じように光が無数に足元を走り、やがて図形を描く。淡い青へと変化した魔法陣から吹きだした冷風に、ノアが気持ちよさそうな声を上げる。
先ほどよりは弱く、と意識してしばらく続けてやるが、すぐに限界が来た。
「……悪い、そろそろ」
魔法学の苦労人教官曰く、俺はそこそこ強い魔力を持っているらしい。ただ、使い方が下手くそだから長持ちしないのだと。
要するに、燃費が悪いらしい。
「ああ、ありがとう。レオ」
すっかり汗の引いたノアは、いつも通りの涼しい顔。
「それにしても、初めて正面から見たよ。綺麗だね」
どうしてこいつはいつも、微妙に分かりづらい言い方をするんだ。
「は? 何がだよ」
真っ直ぐに見つめる視線とまともにぶつかり、視線を逸らす。俺は時々、こいつの真っ直ぐな視線が照れくさくて仕方がない。
「魔法を使っている時の君の目。綺麗に光るんだね」
「目って」
魔力の影響を受けて琥珀色に染まってしまった瞳だろう。正直、この瞳と魔力のせいでいらん迷惑やら厄介ごとやらを引っ被ってきた身としては、煩わしくて仕方がない。どうせまともに魔法を使えもしないし。
「……そりゃどうも」
「あ、照れてるのかい? 君にも可愛らしい所があるんだね。新発見だ」
「だーっ、うるっさい! 阿呆なことを言っていないで、訓練に戻るぞ!」
くすくすと笑みをこぼすノアが、訓練場へと歩く俺の襟をちょいっと引っかけ、廊下を指さす。そちらを見て、口を閉じた。
俺たちと同じ格好をした生徒たちが、汗を拭き、なんやかんやと言い合いながら、訓練場とは逆の方向へ歩いていたからだ。
「さっき訓練は終わったばかりだろう? ふふっ、君は本当に面白いね」
「~っ、ああもう!」
微かに痙攣しながら爆笑する背を叩き、それでも笑いが収まらずに歩こうとしないノアの襟をつかんで引っ張って帰る羽目となった。
こいつの前では、滅多に魔法を使わないようにしようと心に決めた。
訓練場から教室に戻り、自分の机に座った俺は、その上に置かれていた紙に疑問符を浮かべていた。見渡せば、他の机にも置いてある。
「……なんだこれ」
何か、試験とか書いてある。二枚あるし。
「ああ、もうそんな時期か」
「人の背後から話しかけないでもらえますか、青目貴族」
ちょうど俺の背後を通りかかった青目貴族が、俺の手元を覗き込んでふと呟いた。とっさに敬語を使えた俺は偉い。
「青目貴族……って、私のことか?」
「お前、じゃない、あなた以外にいましたか、青目のやつ」
どうだっただろう、と教室内を律儀に見回して、「あちらにそれらしいものがいるな」などと教えてくる。聞いてない。いや、聞いたが、そういう情報が欲しかったんじゃない。
他にも青目の奴がいるのなら呼び方を考えた方がいいかと、なんとはなしに考え始めた俺を気にせず、背後にいる青目貴族はさっさと話を戻した。
「私たちが入学してから大分経つから、そろそろ試験だとは思っていたが」
「試験?」
「ああ。騎士学院では定期試験が年に三度あるからな」
「うわ」
剣術だけなら構わないが、ざっと目を通した限り全科目に試験が課されている。もちろん俺が大っ嫌いな基礎教養もだ。うんざりする。
「ノア頼みだな、これは」
拝み倒して教えてもらおう、と既に自力で突破することを諦めた。たまに抜き打ちで行われる小テストでさえ散々な俺だ。無理。
あまりに成績がお粗末すぎて、今日の放課後も赤目の教官から呼び出しを食らっている。怒られたからと言って成績が上がるわけではないのに、わざわざご苦労なことだ。
「貴殿はノア殿と親しいのだったな」
貴殿。
頭の中で貴族語辞典(俺命名)をぱらぱらと捲り、そういえば〝お前〟とか〝あんた〟とか〝あなた〟とかと同じ意味だったと思い出す。多分ノアから聞いたんだろう、俺の故郷にそんな呼び方をするやついなかったし。
「ルームメイト」
端的に返してやれば、青目貴族は気を悪くするでもなく首を傾げた。
「それだけではないだろう」
「は?」
思わず振り向いた俺の視線の先、青目貴族はどこか遠くを見ていた。まるで、記憶を辿るように。
ふっと視線を俺に向け、まじまじと不躾にも見つめてくるそいつに、不快を表して目を細める。野郎と見つめ合う趣味はない。
「ノア殿の生家は知っているだろう」
「せいか? あー……出身って意味ですよね。伯爵家って聞いた気が」
再び出番が来た貴族語辞典を捲り、どうにか生家の意味を引っ張り出した。どうしてこいつはこうも面倒な言葉ばかり使うんだ。俺に優しくない。
「ああ。ライムライト伯爵家の三男、ノア・ライムライト。貴族社会ではよく聞く名前だ。ノア殿のうわさも、家のうわさも」
いきなり何かをおっぱじめたらしい青目貴族は、そのまま俺にノアの情報を語る。口をはさみたいが、興味もある。
「長男は優秀な次期当主、次男は天才と名高い魔法使い、そしてノア殿は」
「あのいっそ頭おかしいんじゃないかと思うくらいの頭脳、か」
「……褒めているのかそれは」
「俺なりの最大級の誉め言葉だが」
何を聞いてもすぐに答え、分からないからもう少し嚙み砕いてくれと何度頼んでも応じ、要求通りに易しい説明を繰り返してくれる。そのくせ、必要な情報は全て過不足なく含む。当意即妙、というやつだ。
態度も言葉も、何もかも。あいつが貴族の中でも一級品に属するのは俺でも勘付いている。ただあいつが持たないのは、魔力のみ。
「ノア殿は貴族の子息の中でも一目置かれるほどだ。そして、三人の子息が全員優秀とくれば家の名も上がる。噂にもなる」
「……お前らって、噂、好きだよな」
つい、敬語がすっぽ抜けて本心が漏れる。
青目貴族の言葉に誘発され、脳裏に浮かんだあいつは、いつも人目を気にしていた。クラバットも寝癖も、立ち振る舞いも。それはあいつが貴族だからだと思っていたが、その中でも注目される存在だったらしい。
「社交界では噂話が飛び交い、それが判断材料にされるからな」
「面倒な世界にいるんだな、お前ら。というより、俺以外の全員がそうか、ここにいるやつら」
俺は庶民で良かったと思うのはこういう瞬間だ。噂、評判、また噂。
「初めて見た。本心から楽しそうなノア殿は」
視線だけ向ける。美しいと、ノアがそれでも羨ましそうに褒めていた鮮やかな青色の双眼は、俺に焦点を合わせ続ける。
「笑っていても、いつもどこか退屈そうだった」
青目貴族の知る、ライムライト伯爵家三男〝ノア・ライムライト〟を俺は知らない。俺が知っているノアは、笑いのツボのおかしい賢いアホだ。
「楽なんだろ。俺は、庶民だから」
どうしてだろう。青目貴族の言う〝ノア〟を想像するのが嫌だった。
大人に囲まれ、面白くもないのに笑う幼いあいつを想像してしまい、理由もなく苛立つ。鬱陶しい感情を捨てるように、俺はその言葉を吐く。
「……なるほど」
慣れたようにそつのない笑みを浮かべる青目貴族は、あいつの気持ちが分かるのだろうか。俺には想像もできないあいつを、知っているのだから。
教官が入ってきたのを契機に、青目貴族は離れていった。
最後の授業が終わり、魔法学の苦労人教官が教室を出ていく。それを待っていたかのように途端にざわめきに満たされる教室で、俺は某教官の呼び出しに従うべく席を立った。
今日もお説教タイムだろうか。
「レオ」
顔を見なくても誰だか分かるほどに聞きなれ、俺が唯一名前を完璧に言える貴族令息、ノアが俺の名前を呼んだ。
「どうした?」
「君こそどうしたんだい? 授業が終わったのに手ぶらで」
自分の荷物を手に歩み寄ってくるノアには、今日呼び出しがあると伝え忘れたのだろう。うっかりしていた。
「呼び出しだ」
「へえ、誰から?」
「赤目の教官」
「……えっと、ローズレッド教官かい? 基礎教養の」
「名前は知らないが、基礎教養だからそうじゃないか」
雑な説明に、ノアは呆れたように俺を見る。何だよ。
「君は本当に人の名前を覚えるのが苦手だね。担当の教官くらい覚えた方がいいと思うけれど」
そういうノアは、きっと教官全員の名前を覚えているのだろう。俺とこいつの記憶力の差をこういうときに感じる。俺に覚える気がないのは事実だが。
「お前の名前を覚えただけ上等だろ、ノア・ライムライト?」
「確かにそうだね」
自分で言っておいてなんだが、否定されなかったことに少し腹が立ったので、軽く小突いておいた。そこは否定しろ。
「早く終わると良いね。試験勉強もしないといけないし」
「げ」
ひらりと穏やかに手を振るノアに、俺は思い出したくないことを思い出して顔を顰めた。
いっそすっぽかすか、と脳裏をよぎる誘惑に従いたくなる。
「レオ・リーベル、遅い!」
「うげ」
さて教官室に行くか、と踵を返した目と鼻の先。目の前も目の前、件の教官が相も変わらず仁王立ちしていた。気配がなかったのに。
「うげとはなんだ、うげ、とは」
スパコーン、と丸めた教科書で頭をはたかれた。これ以上馬鹿になったらどうしてくれる。
「いって、あ、あー……こう、びっくりしたので」
「で、その上会いたくない奴に会ったと。本当に感情を隠すのが下手くそだな」
「教官が嫌いなんじゃなくて基礎教養が大っ嫌いなだけです」
「言葉をオブラートに包むことを覚えろ、処世術として」
だって本音だし。
教官はそんなに嫌いじゃないって言っただけ気遣いであり成長だ。むしろ褒めろ。
「自分の成績を考えて、ちゃっちゃと来い。そのままだとお前、一年次で落第するぞ」
「あ、やっぱりですか。……ったぁ!」
再び教科書が頭をはたく。背で叩かれないだけマシか。
「なぁにがやっぱりだ! 私の教え子で落第は許さん! ほら来い!」
「うっわ」
首根っこを掴まれて教官室へと連行される俺は、こうして廊下で騒いでいた生徒たちの注目の的となったのだった。主に悪い意味で。
部屋に戻ったらノアに笑われそうだとため息をつき、俺は黙って引きずられていくことにした。逆らったら余計面倒そうだしな。




