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10 思い出

 時間と言うのはこちらの言い分など露ほども聞かずにマイペースで流れていくものなのだと、よく母親が言っていた。母親がそんなことを口走るとき、大抵朝早い時間で、母親は兄と父親のために弁当を拵えていた。


『全く、うちの男どもときたら、まあよく食べること食べること』


 はあ、とため息をつきながら手際よく卵を焼き、野菜を切り、箱にぎゅうぎゅうと押し込める。

何となくうつらうつらとしていて、母親の目覚めた気配につられて目を開けてしまった時。そしてもう一度眠ろうとは思えなかった時。俺はよく、母親の作業を近くで眺めていた。


『見てごらんなさい、この量。カイは育ち盛りだけど、お父さんはもうとっくに成長期なんて終わっているってのに』


 そう言われて何とはなしに視線を兄の弁当に映せば、確かに俺よりも多い量が鎮座していた。ちなみに父親はもっとだ。男とはそういうものだと、豪快に笑って飯をかっ食らうのが俺の父親である。


『夕飯の残りをお弁当に使おうと思ってたくさん作ったらその分食べてしまうんだから、こうしてお母さんは毎朝早く起きなくちゃいけないんだよ』


 全くもう、とまたぶつぶつ言っている母親の手元がテキパキと弁当を作り、口元が緩く弧を描いているのを、俺は知っていた。

 口ではあれこれと言いつつ、一度も欠かさず父親と兄の弁当を作っている母が、一度として不幸に見えたことはない。


『それなのに全く』


 まだ覚醒しきらない頭でぼんやりとそんなことを考えていると、ふと母親が俺の横を通り過ぎ、勢いよろしく寝室の扉を開いた。バーン、と効果音が聞こえてきそうな潔い開けっぷりだ。


『いい加減に起きな! 今は仕事が忙しいって昨日言っていたのは誰だい!』


 威勢よく叩き起こす母親がふと俺を振り返り、俺にも指示を飛ばす。


『ほら、レオもご飯食べちゃいな! とっとと食べてとっとと外で遊んできな。それが今のあんたの仕事なんだからね』

『ん』

『ぼんやりしてないで、顔でも洗っておいで』


 また弁当を作りに戻る途中で俺の頭をぐりぐりと撫で、母親は作業に戻る。しばらくすると物凄い寝癖を披露しながら兄が半目でテーブルにつき、父親も父親で喉の奥まで見えそうな大あくびをしながら歩いてくる。


『おう、今日は坊主も早起きか』

『父さんも兄貴も、たまには早く起きたら』


 にやりと笑う父に生意気だと頭を小突かれ、兄にうるさいと蹴飛ばされる。

 それが俺にとっての日常だった。




「……っ、あー……」


 久しぶりに夢を見た気がする。手の中から零れ落ちる砂のように、目覚めた瞬間から夢に記憶は消えていく。多分に漏れず、伸びをした時には既に欠片も覚えてはいなかった。

 部屋はいつもよりも暗く、おそらくまだ朝早い。けれどもう一度眠るには眠気が足りない。それでもすっきりとした目覚めとはいえず、どこか感覚がぼんやりとしている。中途半端。


「…………南の……で、虎の……負傷者が……」


 ふと誰かの声が鼓膜を揺らす。こんな朝に起きている物好きは俺だけではないようだ、と自然と耳をすませば、何やら不穏な単語が聞こえる。


「……第七に……魔獣は………」


 どうやら何かがあったらしいということしか分からない。何度も言うが、俺は馬鹿である。ルームメイトの脳みそを少し分けてほしいくらいだ。


「まあ、俺にできることもないだろうし」


 やっぱり二度寝しようと、思い出したように強くなった眠気に従って、俺は布団を頭まですっぽりと被った。そこから俺の記憶は綺麗にない。




「へえ、早朝にそんなことがあったんですね」

「ああ、一時は騎士団の小隊が駆り出される事態だったらしい」


 どこか浮足立つ朝の食堂で、至って平和に会話をしている貴族二人に構わず、俺は口に代わり映えしない丸パンを突っ込む。今日の朝食のメニューは、パンとポトフ、あとは名前が分からないが卵。普通に美味い。

 千切ることもせずにパンに噛みつく俺が視界に入ったらしい青目貴族が、何が気になったのか俺を二度見する。何だよ。

 知っていたかい、と尋ねるような視線を寄越したノアに頷く。ちょうど目が覚めたタイミングにそんな会話の端を拾った気がする。頷いたはいいが、よく考えてみたら詳細は知らない。

 まあいいか、とせっせと食事を腹に収める俺の横で、朝は食欲がないというノアがパンを一つ俺の皿に乗せた。貰えるのは嬉しいが、ノアはそれしか食べないで昼まで持つのだろうか。


「珍しいですね、魔獣が町にまで出て来るなんて」

「ふぉふは?」

「確かに、あまり聞かないな。そのための対策も取られているのだし」

「レオ、飲み込んでから話してくれるかい」

「ん」


 言われたとおりに飲み込み、ついでに牛乳で流し込む。

 何故か最近やたらと食堂で顔を合わせる青目貴族は無視し、言い直す。


「魔獣なら、季節によってはたまにいるだろ」


 その時の二人の顔は見ものだったと、俺はこの後しばらく、当人たちに笑い話として話すことになる。


「……えっと、レオのいたところって……山、とか」


 珍しく思考がまとまらないらしいノアは、きょとんとした顔で瞬きを繰り返す。一応町ではあるぞ、俺の故郷。


「……魔獣が日常的に出没する地域……?」


 季節によって、たまに、という俺の言葉を聞いていなかったらしい青目貴族は、頭の上に疑問符を浮かべていた。こいつはどうでもいい。


「あー、冬眠明けとか、冬眠前とか。畑が荒らされるんだよ」


 俺の父親の仕事は鍛冶屋だったから被害らしい被害はなかった。それに、町に下りてくる魔獣と言うのもそう強いものではない。角の生えた兎とか、牙の生えた蛙とか、ただの猪とか。最後は魔獣じゃなかった。

 状況が呑み込めない余り、俺の故郷が大自然只中の山になっている貴族二人にそんな説明をしてやれば、何とも言えない顔で頷かれた。


「なるほど、庶民は私たちが思うよりも過酷な生活をしているのだな」


 まだ何かを勘違いしている気がする青目貴族が訳知り顔で頷く。


「君の剣術が優れているのはそれが理由かい?」


 何かズレている気がするノアが首を傾げつつも、どこか納得したように頷いている。


「…………もういい」


 何が、というのは分からないが、何かが決定的に嚙み合っていない。

 感覚でそれを察した俺は色々面倒になって流すことにした。ノアには否定の返事を返しておく。

 俺の剣術がものすごい点数を取った一番の理由は、遠慮容赦ないが多分的確だった父親の指南だろう。正直に言って、死ぬかと思った。疲れすぎて寝ている間に呼吸が止まるんじゃないかと割と本気で心配して、その割には一瞬で眠りに落ちるような、そんなスパルタな生活を送っていた時もあったのだ。

 でも、そう言われてみれば思い出すこともある。


「そういや、町に魔獣が降りてきたときに何度か呼ばれたことがあったなぁ」


 俺は七つの頃から剣を握らされてきた。走り込みや体幹については、『てめぇは普段から走り回ってるわ、猿かってくらい木に登るわ落ちるわで鍛えてんだろうが』という父親の言により省かれた。猿?


「去年の冬に、冬眠に失敗した兎がいてな。俺の家は鍛冶屋だからどうだっていいが、農家も多かったからまずいって駆り出されて」


 もちろん普通の兎ではない。もしかしたら正確には名前があるのかもしれないが、俺たちは〝角の生えた兎〟と呼んでいた。名称と言えるものではない。

 その兎が倉庫に入って盗みを働いた。備蓄を食い散らかしたのだ。食われた方は当然たまったものではない。で、剣の腕を信頼されていた父親の下に話が来た。


『ほお? どんなもんだ、その兎は』


 どこか楽しそうな口調で、父親は呼びに来た大人から情報を聞き出し、大したことがないと分かるや、俺に剣を投げた。もちろん鞘ごと。


『おおい、馬鹿息子。そろそろ実践に飢えてくるだろ、お前が行け』

『何だよ、親父』


 通りがかりの兄は誤解のあまり変な顔だった。


『悪い、お前じゃねえよ、カイ。そっちだ、次男坊』

『は?』

『お、ラッキー。頑張れよ、次男坊?』


 その時の自分が何をしていたのか、覚えていない。夜だったことは覚えているから、これから寝ようとでも思っていたのかもしれない。

 ちなみに兄貴はその時、いつもの揶揄うような笑みを浮かべていた。

 腹が立ったのは覚えている。まあそれはいい。


『何で俺が。父さんが行けばいいだろ』

『不甲斐ない息子に経験を積ませてやろうっていう有難い親心だろうが。感謝しろよ』

『するわけないだろボケ親父』


 馬鹿だ、不甲斐ないだと好き勝手な罵倒交じりに、これまた適当な指示を下した父親に、俺は極自然な流れで噛みついた。


『父親をボケ呼ばわりするっつうなら、出来んだろうな?』


 そのまま剣を握らされて、おら、と件の倉庫に突っ込まれた。

 ギラギラと嫌に煌めく一対の野生の瞳に、恐怖を抱いたのは束の間。

 まだぎこちない魔法も併用し、体に染みついた動きで薙ぎ払う。跳んで駆けて斬って蹴って。理性を飛ばして無我夢中で戦ったことは覚えている。敵と見定めた相手との戦いに覚えた、確かな快感も。


『……おお、やりやがったな』


 しばらくしてから倉庫の扉を開け、珍しく真顔で仁王立ちした父親は、魔力の塊となったのち消え失せた兎と、理性を飛ばして暴れた結果ぶっ倒れた俺、というその場の状況を完璧に把握したようだった。

 ちなみにその倉庫の主は、倉庫の惨状を見て悲鳴を上げたという。

 状況を理解した父親が零した『やりやがった』には二つの意味があったということだろう。後日、倉庫の修理に無償労働を強いられる羽目になった俺は、若干恨みのこもった視線を受けつつ、汗だくで作業を終えたのだった。


「……ってことがあってな」


 思い出すままに一人で語っていたら、俺の信頼するルームメイトは爆笑し、青目貴族は目を白黒させ、話が聞こえてしまっていたらしい周辺の生徒は俺たち三人を見て困惑の只中にいた。俺がびっくりしている。


「ああ、レオが強い訳だね。それにしても君ときたら!」


 そこまで言って限界が来たらしく、ノアは痙攣して笑い転げている。そこそこの付き合いになったが、未だにこのルームメイトの笑いのツボが謎すぎる。俺はこの話のどこがおもしろいのか分からない。俺の父親が横暴だ、という話ではないか。


「魔獣相手に実践……やはり実践を積むのは何物にも勝るということだな」


 こちらもこちらで斜め方向の納得の方法をしている子がする。でもまあ、言っていることは正しいと思う。


「訓練も大切だけど、実践もいいよな」


 無難にまとめて立ち上がったところで、ふと何かが引っかかる。視線を視界のあちこちに彷徨わせ、ようやく気付く。


「っ、おいノア! まずい、次の授業の準備当番、俺たちだ! 時間が」

「え、わっ!」


 とっくの昔に空になっている食器の数々をひっつかみ、悲鳴とも歓声ともつかぬ声を喉の奥であげて、俺たちは走った。

 何故かこういう時、無性に楽しくなってしまうのだ。

 馬鹿男子ぃっ!

 同郷の幼馴染はこういう時、俺に向かってそう笑うに違いない。

 何故かふと脳裏をよぎった彼女の顔に、少しだけ懐かしい気持ちになったのは、ここだけの話。


ここまで読んでいただきありがとうございます!

大変申し訳ないのですが、以降のお話は更新スピードが遅くなります。おそらく週1になるかと……。

更新は毎週月曜日の正午を予定しております。よろしくお願いいたします!

レオたちの話はまだまだ続きますので、今後もお付き合いいただければ幸いです。


もしも誤字脱字や矛盾点がございましたら、教えていただけるとありがたいです。

ご指摘・ご感想お待ちしております。

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