前編
愛のオークションが始まった。
パソコンモニターに『アイオク!』の文字がどーん! と表示された。黄色い背景に黒い文字だ。有名なオークションサイトのロゴにちょっと似てる。
あたしはワクワクして思わず回転椅子を、貧乏揺すりするようにカクカク鳴らした。
サービス開始前からずっと心待ちにしていた。開始時間ちょうどに、予定通りにサービスは始まった。
まずは会員登録だ。必要事項を記入して、送信……しかし、重かった。とても話題になっていることは知っていたが、ここまでアクセスが殺到するとは……。
愛を欲しがっている人がそれほど多いんだな。異性の愛を落札したい人が多いのだろう。
あたしはそんなんじゃないのに……。浮ついてなんかないんだから、みんな邪魔しないで。
先に進めない。会員登録すら完了できない。みんな邪魔しないでよ。
あたしに早く、お母さんの愛を落札させてよ!
結局あたしが会員登録を完了できたのは、オープンから三日してようやくだった。運営さんもこんなにアクセスが集中するとは思ってなかったようで、サーバーを増設したとのこと。
名前:甲斐谷智子
生年月日:1994年3月3日(28歳)
職業:派遣アルバイト
その他必要事項を記入すると、年会費千円をクレジットカードから引き落とすよう手続きをした。
ようやくオークション会場に入れた!
色んな商品が出品され、カテゴリごとに並んでいた。
・恋人
・伴侶
・友達
・ペット
・親
あたしは迷わず『親』の項目をクリック!
『父親』『母親』『その他』と出て来たので、これまた迷わずに『母親』を選択した。
画面上にさまざまなお母さんの写真が縦に並んだ。
どれがいいかな。どの人にしようかな。
国崎香織さんという人の顔写真を見てピンときた。
優しそうな笑顔。ふっくらとした、幸せそうな容姿。
現在価格は0円だ。
『決めた!』
あたしは『0円』のところを『100円』にすると、上限を『700円』に設定し、改めて国崎香織さんのプロフィールを眺めた。
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・国崎香織(54歳)
・仕事一筋で生きてきたため、結婚を逃してしまいました。
・独身の『娘』を希望します。
・同居可能。
・家事全般できます。
・自分のほんとうの娘のように愛して差し上げます。
・口数は少ないですが性格は明るく、人付き合いは苦にしません。
・それではどうぞよろしくお願いいたします。
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うん、家事も得意そうだし、近所付き合いもしてくれそう。何よりやっぱり優しそうなその笑顔が気に入ったのだった。
『この人がお母さんになってくれたら……』
あたしはうっとりと、香織さんのいる生活を思い浮かべた。
『あたしも社会との繋がりができる……!』
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派遣で倉庫内のアルバイトをしながら、時計をチラチラと見た。
早く仕事終わらないかな。
単純な仕分け作業をしているとなかなか時間が進まない。
オークション、どうなってるかな……。そればかりが気になって仕方がなかった。
午後五時になった。いつも通り、あたしはさっさと仕事を放り出すと、誰とも会話せずに更衣室へ歩く。いつもより早足になる。
タイムカードを押すと、一応社員さんに「お疲れ様でした」と声を投げ、駐輪場へ歩きながらスマホを見た。
「あ……」
思わず声が出た。
「800円まで上がってる……」
アパートの部屋に帰り、パソコンを立ち上げると、さらに870円まで上がっていた。
あたしは派遣アルバイトだ。そんなにお金はかけられない。それに病院代だってあるし……。
国崎さんを諦めて他のお母さんにしようかと考えて、出品一覧を眺めた。
中には残り1日でまだ1円のお母さんもある。確かに写真が意地悪そうに見えたり、宣伝文句が胡散臭かったりと、手を出してはいけないように見えた。
残り3時間で200円のお母さんを見つけた。
でも、あんまり安いと出品者があまり愛してくれなかったり、最悪出品を取り消したりすると聞いた。
それに安い理由がわかるように優しくなさそうなお母さんばかりだ。
あたしは両拳を握りしめ、心に決めた。
絶対、国崎香織さんはあたしが落札する!
気合いを入れた甲斐あって、あたしは国崎香織さんを落札した。
落札価格は67,810円だった。
身の丈に合わない高額なお買い物をしちゃったかな……。
でも悔いはない!
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「ただいま〜」
よく晴れた朝に、そう言って玄関から入って来たのは、写真通りの優しそうなお母さんだった。
「今日からわたしの名前は甲斐谷香織よ。よろしくね、智子ちゃん」
荷物は小さめのボストンバッグと、臙脂色の雨傘だけだった。
「よ……、よろしくお願いします」
あたしはカチンコチンになっていた。
「あらあら! 何を緊張してるのかしら? あんた、わたしの娘でしょう?」
「は……、はい」
自然に娘らしくするのは、いきなりは無理だった。人見知りでもあるし。
何も言葉を発さなくなったあたしを見て、香織さんはくすっと笑うと、後ろ手に隠していたものを前に出して見せた。
「ケーキ買ってきたの。一緒に食べよ?」
甘くてとろけるようなチョコレートケーキを食べると、あたしの緊張もかなりほぐれた。
「どうしてあたしの好みを知ってたの?」
敬語をやめて、馴れ馴れしく香織さんに聞くことが出来た。
「娘のことだもん。そりゃ何でも知ってるわよ」
香織さんはニコニコ笑うと、
「コーヒー、おかわり淹れようか?」
あたしの返事も待たずに、マグカップにインスタントのブラックコーヒーを作ってくれた。
「あたしがブラック党だってことも知ってるし……」
ちょっとだけ気味が悪くなってしまう。
「どこかで調べたの?」
「そりゃあんたは自分のお腹を痛めて産んだ子ではないけどね」
香織さんは椅子に腰を下ろすと、目を閉じて、思い出し笑いを浮かべた。
「だからって、我が子となったからには、何でもわかるもんよ」
「ふーん」
そんなものかと納得すると、不気味さは消えて、なんだか嬉しくなってしまった。
「やっぱりお母さんって、有り難いな」
「そうよ」
香織さんは本当に、何でも知っていた。
「母親って、有り難いものなのよ。子供を見離す母親なんて、本当の親だと思わなくていいの」
そう言われて、涙が止まらなくなった。
「そんなことまで……知ってるの?」
震える声で、香織さんに聞いた。
「あたしが……あたしの本当のお母さんに……見捨てられたってことまで?」
あたしの後ろに回り込むと、ぎゅっと暖かい両手で抱きしめてくれる。優しい声が、耳元で囁いてくれる。
「本当のお母さんは、わたしよ? これからは精一杯甘えていいからね?」




