灰被り
ジープが泥濘んだ国道を突き進む。濡れたタイヤが割れたアスファルトを噛み、泥と小石を巻き上げた。雨は止んだが、空の重さは変わらない。鉛色の雲が垂れこめ、遠雷が腹の底をくすぐるように唸っていた。
バックミラーに映るバイクが四台。塗装から見てハウンドの連中と断定していいだろう。エンジン音が喉元にかかり、パイプ銃の弾がジープの側面をかすめた。火花が散る。アズマは無言で唇を噛んだ。ここで止まるわけにはいかない。
「アズマさん、右! 来てる!」
ナギサが助手席から身を乗り出す。言われるまでもなかったが、彼女の声に反応し、アズマは即座に左に切った。反応の速さは生き延びるための癖だ。車体が軋み、泥が跳ねて視界を汚す。
横に飛び出してきた一台。鉄球を振りかざす男。脳天より、窓か。アズマは即座に判断し、舌打ち。ポーチから予備弾を抜いてリボルバーを装填、一発。弾道はぶれなかった。男が肩を押さえて転倒、バイクが地面を滑っていく。
残り三台。多いが、手遅れではない。
クロスボウの矢がフロントガラスをかすめる。もう少しで目を貫かれたところだった。
「しつこいな。ナギサ、伏せろ」
彼女がシート下に身を滑り込ませる。震えの止まったナギサの目に宿った光――もう戦いを恐れていない。ここまで来た。アズマは妙に安心した。
廃墟の町を抜け、山道に差し掛かる。崩れたガードレール、歪んだ標識。舗装の割れ目から草が顔を出し、湿った空気に埃と硝煙の匂いが混じっている。
背後からなおも飛ぶ矢と弾。逃げ切れるかは五分。いや、三分といったところか。
そのとき、廃屋の影から銃声。バイクの一台が跳ね、男が胸を押さえて倒れる。続けざまに二発、三発。残るバイクも沈黙し、静寂が訪れた。
アズマは反射的に目を凝らす。銃手は味方か敵か、それとも――。
現れたのは革ジャンに布で顔を覆った男。古びたボルトアクションを肩に下げていた。撃ち手としては悪くない。少なくとも、狙いは正確だった。
「こちらキリシマ。『ハウンド』に追われてるんだろ? 手ぇ貸してやる。応答しろ」
無線機越しの声に、アズマは眉をひそめる。妙に軽い。遊んでるのか、それとも常にこうなのか。
「タダじゃないだろ。何が欲しい」
「話が早えな。物資は命だ。酒でも、食いもんでもな」
ナギサと目が合う。彼女は無言で頷いた。任せるということだ。
「コーンの密造酒、一瓶。価値は分かってるな?」
「渋いねぇ。取引成立。前に止めな」
ジープを減速させ、後部座席の木箱から瓶を取り出す。窓越しに投げると、男は片手で受け取り、そのまま栓を抜いて一口。いい度胸だった。
「こいつは喉に染みる。乗せてくれ」
アズマはためらったが、後続の気配が消えたわけではない。後部座席に飛び乗るキリシマを許した。身のこなしは軽い。手馴れてる。
「変なことしたら、これ投げますからね」
ナギサのスパナが鋭く上がる。アズマは視線をそらした。言葉にするまでもないが、彼女は戦える。
「大した度胸だな、“灰被り”の嬢ちゃん。……そっちの兄ちゃん、急げ」
キリシマが笑いながら言った言葉に、アズマは一瞬振り返る。“灰被り”――口に出す奴は多くない。だが、分かる奴には分かる言葉。
「灰……何?」
「白い髪ってことは、そういうことだろ? 世にも珍しい――おっと!」
アクセルを踏み込み、ジープが跳ねる。話はここまでだ。
山道の先、ライトが点滅する。ドクロペイントの軽バン。荷台から火炎瓶。投擲の軌道を見てから、ハンドルを切る。標識に車体が擦れる。金属音が耳に残る。
「キリシマ、援護。ナギサ、構えろ」
指示は短く。無駄な言葉は要らない。
キリシマがライフルを構える。運転手に一発。バンが崖沿いで滑って止まる。あともう一台。お返しとばかりに、ジープに矢が刺さる。
「嬢ちゃん、左のバイクに投げられるか?」
ナギサがスパナを投げた。前輪に直撃。バイクが転倒し、キリシマが仕留める。
「いい腕してんじゃねえか!」
反応はなかった。彼女の意識は“灰被り”の言葉に向いていたのだろう。
火炎瓶が飛ぶ。キリシマが瓶を撃ち抜き、火が散る。バンが加速。
「タイヤ、やられる前に!」
アズマの叫びに、ナギサがハンマーを掴んで投げた。ガラスが割れ、運転手がのけぞる。キリシマの二発目が肩を撃ち抜く。バンが横転し、壁に激突。
「さすが“灰被り”。大した才能だ」
「その呼び方、やめてください!」
ジープは山道を抜け、平地へ。バイクが二台迫る。リボルバーとライフルで撃ち落とす。銃弾が木箱を裂くが、瓶は割れない。奇跡のようなバランス。だが運に頼るつもりはない。
アズマは散弾銃に手を伸ばし、言う。
「キリシマ、コミュニティまでついてくるか?」
「この酒、クセになるな。俺はどこでもついてくぜ」
ナギサがフードを直し、ぽつりと呟いた。
「……変な人」
「変じゃなきゃ、やってられねえのさ。この世の中はよぅ」
ライフルを肩にかけ直すキリシマ。戦場では隙がないが、それ以外は風まかせ。アズマは詮索する気はなかった。だが信用は別だ。酒に釣られる奴は裏切りも早い。
地図を確認し直す。サトウのコミュニティまで、あと六時間。まだ遠い。
「平地で振り切る。ナギサ、構えろ。キリシマ、弾は無駄にするな」
アクセルを踏み込む。視界にバンの影。銃声が先に来る。ナギサがハンマーを持ち上げ、キリシマはライフルを肩に上げた。
アズマは黙ってハンドルを握る。
灯りの見えぬ道を、ただ――突き進む。
落ち着け、そしてよく狙え。
お前はこれから一人の男を殺すのだ。
『とある革命家』より