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終末世界のムーンシャイナー  作者: 論田リスト
『Moon in night』
7/9

ふたりぼっち

 埃っぽい空気が漂う《備蓄倉庫》の奥。

 缶詰や浄水ボトルが雑然と並ぶラックの間で、アズマは小さく息を吐いた。昨日、酒を仕込んだ時の高揚感は消え、胸に重いものが引っ掛かっている。 

 

 深入りしないと決めた少女――ナギサに心が揺れているのだ。らしからぬ動揺に、アズマは自問しながら広げた旅行鞄(バッグ)に缶詰を押し込む。 


 このご時世、可哀想な子供は珍しくない。ナギサもその一人のはずだ。なのに、なぜ彼女にここまで気をかける? 境遇が似ているからか? 


 いや、違う。アズマは目を伏せ、唇を噛んだ。ナギサの瞳には、自分と同じ何かが宿っている。それがなければ、ただの子供にこれほど心を乱されるはずがない。


「……ま、自分の家族じゃあるまいし、気にしたところでな」 


 その言葉で思考を止めたアズマは、強張った背筋を伸ばし、軽く息を吐いた。鞄の中身は缶詰、衣類、折り畳みナイフ、浄水ボトル、ジッポーと予備のマッチ。それに放射線測定装置(ガイガーカウンター)もある。必要十分だろう。


「後はコイツくらいか?」 


 アズマはベルトから拳銃を抜き、シリンダーを確認した。ニューナンブのリボルバー、5発装填。まだ十分に戦える。 


 念入りにメンテナンスを施し、牛革のホルスターに収める。普段なら早撃ち(クイックドロウ)を意識してベルトに戻すが、今回は携行武器(サイド・アーム)としての扱いだ。 


 ラックの脇、錆びたケースが目立つ。暗証番号は1001――かつて「日本酒の日」と呼ばれた10月1日にちなんだ、密造酒屋の洒落。 


 ケースを開ければ、レミントンの散弾銃が鈍く光る。半世紀前の法なら装弾数が制限されるはずだが、このモデルは7発を収める。密輸品だろう。 


 アズマはそれを手に取り、薬室(チャンバー)に弾を込めた。重い感触が旅の危険を思い出させる。 散弾銃を肩に、旅行鞄を左手に、アズマは倉庫の入り口に目をやった。


 冷気がコンクリートを這い、薄暗い光が鉄骨を照らす。外では灰色の廃墟がスモッグに沈む。


 サトウのコミュニティへは、道が良ければ15時間。ナギサとムーンシャインの瓶を乗せるなら、ジープが最適だ。


「準備バッチリだぜ」     


 アズマは事務室に戻る。ソファーの近く、ナギサがブカブカのスウェットを着て座っている。膝を抱え、毛布の端を指で弄る彼女の瞳は、好奇心と不安が交錯する。 

 

 サンドウィッチを食べた今朝、彼女はアズマの名前を漢字で覚え、笑った。蒸留器を見た夜、リービッヒ冷却器の名前を口にした。教育を受けていないにしては、観察力が鋭い。 


 だが、レッドピラミッドの焼き印――三角形に66の数字――は、彼女の心に影を刻んでいる。袖をそっと引っ張る仕草に、過去の傷が透ける。 


 窓の外、廃墟の壁に残る数字の落書きが、アズマの視界をかすめた。遠い昔の『シンジケート』の残痕。


「ナギサ、いつまで座ってる? 今からコミュニティに出発だぞ」 


 アズマの声は軽く、旅慣れた口調が滲む。ナギサは小さく頷き、毛布をソファに畳んだ。動きは緩慢で、まるで夢の重さに縛られているようだ。 


 最初の夜、彼女はアズマを警戒していた。だが今は違う。敵意は薄れ、ソファの脇にはアズマが指示した荷物――石鹸、歯ブラシ、発掘品のスウェット――が整然と置かれている。


「……コミュニティって、どんな暮らしなんですか?」 


 ナギサの声は丁寧だが、かすかに掠れている。アズマは旅行鞄を床に置き、窓際の柱にもたれた。どう説明すべきか逡巡したが、過剰な期待は持たせられない。


「ナギサ、コミュニティは退屈なとこさ。娯楽はろくにないし、物資の面でも贅沢は無理だ。けど、人が集まって助け合ってる。新しい一歩を踏み出すには、悪くない場所だぜ」

 

「……助け合う、ですか」 


 ナギサの瞳がわずかに光る。だが、焼き印の記憶がよぎったのか、袖をきつく握った。アズマはその仕草に気づき、胸を締めつけるような感覚を覚えた。 


 拳を無意識に握る。地獄を逃れてきた少女が、どんな思いで未来を想像しているのか。


「そうだ。誰かと一緒なら、悪い夢も少しは軽くなる。じっくり考えてみな」 


 ナギサは毛布の端を指でなぞり、アズマの言葉を噛みしめる。やがて、静かだがはっきりと呟いた。


「アズマさん…いつも一人で平気なんですか?」


「平気? ハッ、密造酒業者(ムーンシャイナー)には孤独が付き物さ。酒が造れるなら、俺はどこでもやっていける」 


 アズマは笑って誤魔化した。ナギサの鋭い瞳は彼の心の隙間を突くが、それを振り払う。彼女は膝を抱え、言葉を続けた。


「……私、誰かの役に立ちたいんです。アズマさんみたいに、誰かを助けられる人になりたい」 

 

 その声は小さく、だが確信に満ちていた。アズマは一瞬言葉を失う。彼女の賢さは、こんな言葉に宿る。


「ナギサ、そいつは立派な志だ。ムーンシャインの作り方、こっそり教えとくか?」 


 アズマは軽く笑った。

 ナギサは立ち上がり、毛布を丁寧に畳んでソファに置く。石鹸とスウェットの荷物を手に、アズマを見上げた。袖を引っ張る仕草に、アズマは目を細める。


「行くぞ、ナギサ。ジープの準備だ。荷物持って、ついてこい」 


 アズマは旅行鞄と散弾銃を手に、消防署の出口へ向かった。ナギサがその後ろを小走りで追い、コンクリートの床に靴音が響く。   


 消防署の外、錆びたシャッターがガレージに続く。 


 シャッターを軋ませて開けると、オリーブグリーンのジープ・ラングラーが薄暗い光の中で鈍く輝く。戦前の無骨な設計、ゴツいオフロードタイヤ――アズマの相棒だ。


「こいつでコミュニティまで行く。道は悪いが、問題ない」  


 アズマはジープの後部荷室を開け、木箱を点検した。密造酒の瓶が詰まったケースは、コミュニティでの交易に欠かせない。


 次にボンネットを開き、オイルとバッテリーをチェック。工具を片付けながら、ナギサに目をやる。 


 ナギサはジープの周りを歩き、助手席のドアを開けた。初めて車に乗るような好奇心が、瞳に宿る。


「……これ、動くんですか?」


「動くさ。俺の手入れだ。バイクよりタフだぞ」 


 アズマはボンネットを閉じ、運転席に乗り込む。ナギサは助手席に座り、荷物を膝に抱え、袖を軽く引っ張った。


「アズマさん、コミュニティまでどのくらいですか?」


「道が良ければ15時間。ならず者が絡むと長くなる。西の方じゃ『ハウンド』って奴らがうろついてるって噂だ。気を引き締めな」


「ハウンド…?」 


 ナギサの声が小さくなり、眉がわずかに寄る。アズマは窓の外を見た。廃墟の隙間に不穏な影が揺れた気がした。 


 ハウンド――かつて猛威を奮った『シンジケート』の後継と囁かれるならず者集団。物資や命を奪う輩だ。ナギサの焼き印を思い出し、アズマはリボルバーのホルスターに手をやる。


「怖けりゃ俺が守る。安心しな、お嬢さん」 


 軽い口調に、ナギサは小さく笑う。青白い顔に血色が戻り、今朝のサンドウィッチを食べた後の柔らかい笑顔がよみがえる。 


 アズマは旅行鞄を後部座席に放り、荷物を確認する。密造酒のケースは、ナギサの背後も守る盾になるだろう。


「ナギサ、準備できたか?」


「……はい」 


 ナギサはフードを直し、シートベルトを締める。ぎこちない仕草は、彼女がまだ子供であることを思い出させる。だが、その瞳は遠くを見据えていた。 


 エンジンが唸り、ジープはガレージを抜け、瓦礫の道へ滑り出す。灰色の廃墟が窓の外を流れ、遠くでカラスの鳴き声が響く。   


 ナギサは荷物を抱え、じっと前を見つめる。ふと、彼女の手が袖から離れた。焼き印の入った細い腕が、陽光に晒される。 


 ナギサはアズマをちらりと見て、静かに言った。


「アズマさん、私…コミュニティで、誰かの役に立つ人になります」 


 その声は小さく、だが確信に満ちていた。アズマはハンドルを握り、口元に小さな笑みを浮かべる。


「そいつはいい。ナギサ、ムーンシャインの作り方、道すがら教えてやるよ」 


 ジープは廃墟を抜け、埃っぽい道を西へ進む。アズマの相棒は、少女の小さな希望を乗せ、コミュニティへと走り続ける。流れ者の孤独は、今日、ほんの少し軽くなった。 

今日はリスクが報酬に変わる日だ。


『とある密造酒業者』より


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