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一章(6)

 注文したケーキも食べ終え、エリクと二人でのどかなティータイムを楽しんでいると、どこからか鐘の音が聞こえてきた。四回。つまりは午後四時。

 昼過ぎから屋敷を出たとはいえ、時間が経つのがあまりにも早すぎる。


 思わず呆然としながらも、そろそろ戻らなければならないだろうと判断して、アデライドは静かに立ち上がった。ファルシェーヌ卿の屋敷まで時間がかかるうえに、今は外出用のドレスだ。晩餐までにきちんとしたドレスに着替えなければならない。

 アデライドにつられてか、対面に座っていたエリクも立ち上がる。


「そろそろ帰るのか?」

「ええ。帰らないといけないから」


 そう答えると、さりげなくエリクが食器類を店員に手渡す。「ありがとう」とお礼を言い、二人揃って店を出た。


 日はまだ高く、外は賑やかだった。けれど家に帰っている人もいるのだろうか、少しは人が減った……気がする。しばらくパティスリーにいたからそう見えるだけかもしれない。

 そんなことを思いつつ、アデライドは人の邪魔にならないよう道の端に移動すると、エリクにそっと笑いかけた。


「改めて、今日はありがとう。楽しかったわ」

「いや、俺も楽しかったから」


 そう言って、エリクはカラリと笑う。その笑顔に形容しがたい気持ちを抱きつつ、「それならよかったわ」と告げる。

 しばしの沈黙。それは不思議と居心地の悪いものではなく、むしろ彼と離れることに名残惜しさを感じていて。

 ふと衝動に任せて口を開く。


「ねえ、次はいつ案内してくれる? 明日?」


 明日会えるのならば、まだ大丈夫。離れることに寂しさなんて感じない。

 しかし。

 アデライドの言葉にエリクは表情を歪ませた。申し訳なさと、罪悪感に満ちた表情。それだけで、答えはわかってしまった。


「ごめん、明日からはしばらく仕事が……」

「そう、よね……ごめんなさい。非番の日しか無理だって、最初から言ってたわね……」


 うつむき、きゅっと手を握りしめる。どうしてか胸がズキズキと痛みを発していて、苦しかった。

 今度は居心地の悪い静寂が訪れる。自分のせいでこんな雰囲気になってしまったのだ、なんとかして明るい話題を提供しなければ……と思っていると、「アデラ!」とエリクが声を発した。

 顔を上げれば、彼は真剣な面持ちでこちらを見つめていて。


「明日、夕方なら大丈夫だから。ほんのちょっとしか無理だけど、会えるか?」


 その言葉に。

 どきりと心臓が脈打って。

 アデライドは頬を緩めた。


「ええ、もちろん!」


 するとエリクもへにゃりと相好を崩す。安心したような、嬉しそうな微笑み。

 その笑顔を見ているだけでじんわりとした喜びが胸の内に溢れてきた。

 幸せだ、と思っていれば、エリクがそっと唇を開く。


「じゃあ待っててくれ。今くらいの時間になるかもしれないが……」

「大丈夫よ。明日はもうちょっと長くいられると思うから」


 今日のことで移動の大変さは身に染みたため、明日は馬車を頼むつもりだった。それならば移動時間も短縮されて、もう少し長くいられるはずである。

 エリクは「ならよかった」と言い、笑みを深めた。


「場所は……この店にしよう。どうせ明日もこの店に来るんだろ?」

「まあ失礼ね。それだとわたしが食いしん坊みたいじゃない! ……確かにそうだけど」


 アデライドの言葉に、エリクはぷっと吹き出した。「もう!」と声を荒らげつつも、彼と明日も会えるかもしれないということでさほど気にはならない。

 むしろこんなやり取りでさえも楽しくて。


 ――けれどそんな時間は長く続かない。エリクはきっとあまり遅くなるのを喜ばないから、会話が途切れたらアデライドは別れを告げなければならない。

 そんなのは嫌で。

 場を繋げるため、アデライドは深く考えることなく口を開く。


「そういえば、エリクって何歳なの?」


 唐突な質問だからか、不思議そうな表情を浮かべながらもエリクは口を開く。


「ん? ……十六だけど」

「まあ、わたしの一つ年上なのね。それなのに仕事をしているなんてすごいわ」


 するとエリクは不思議そうな表情を浮かべる。


「別に、俺くらいの年齢だと働いているのが普通だけど……」

「へえ、そうなのね。……仕事はなにをやってるの?」


 するとエリクはあからさまに視線をさまよわせた。気まずそうな表情に、訊いてはいけなかったのでは、という不安が胸の内に生まれる。

 答えたくなければ言わなくてもいい。そう告げようと口を開きかけたまさにそのとき、エリクが声を発した。


「えっと……軍人をやってる」

「あら、軍人さんだったのね。すごいわ!」


 するとエリクは気恥ずかしげに、だけどどこか罪悪感を感じているかのように視線をさまよわせる。


「まあ、まだただの下っ端で、地位なんてものはないけど……」

「それでもすごいわ。……軍に入ったのは、革命軍に憧れて?」


 革命広場にいたときエリクが「男なら誰だって革命軍に憧れるものだ」と語っていたのを思い出し、尋ねれば、彼は若干頬を赤らめた。


「ま、まあ、そうとも言える。一応それだけじゃないけど……」

「夢を叶えられてよかったわね」

「あ、ああ……」


 恥ずかしいのか、エリクは顔をうつむけて黙り込んだ。ずっと思っていたのだが、彼は褒められるのに慣れていない気がする。兄のほうが優秀だと口にしていたし、もしかしたらそのことを気に病んでいたのかもしれない。

 そんなことを思っていると、「と、ところで!」とエリクがあからさまな話題転換をする。


「もう帰らなくていいのか? 時間なんだろ?」

「ええ、そうね……」


 なるべく彼と長くいたいとはいえ、さすがにこれ以上遅くなってはまずい。名残惜しいけれど、別れなければ。

 きゅっと手を握りしめると、アデライドは「エリク」と呼びかける。彼は顔を上げ、じっとこちらを見つめてくる。

 アデライドはふわりと笑った。


「また明日会いましょ。待ってるわ」

「ああ、待っててくれ。――じゃあまた明日な」


 ひらりとエリクが手を振る。それに振り返して、未練を断ち切るかのようにアデライドはくるりと踵を返し、そっとその場を離れた。


 人混みを苦労しながら進んでいく。革命広場から伸びる大通りにいたため、帰り道はなんとなくわかっていた。

 革命広場を抜けて、人混みの少ない大通りをゆっくりと進んでいく。たっぷりと時間をかけてアデライドはファルシェーヌ卿の屋敷まで向かった。

 門の外には警備の者がおり、中に入れてもらう。門から屋敷へと向かうと、そこには――


「おかえり、アデラ」


 おそらく警備の者が中へ連絡をしたのだろう、にっこりと笑うフィリップがいて。

 アデライドは口角を上げる。


「ただいま、お兄さま!」


 駆け足で彼の元へ寄ろうとすれば、「アデラ、走ったらダメだ」と叱られた。いつもならここでぶつくさ不満を言うところだけれど、今日は素直に彼の言うことを聞く。エリクに会えたから、機嫌がよかったのだ。

 そのことを感じ取ったのだろう、フィリップは不思議そうに首を傾げる。


「そんなに楽しかったのかい?」


 アデライドは満面の笑みを浮かべた。


「ええ。とーっても楽しかったわ!」

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