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四章(3)

 フィリップが来てからどれくらい経っただろうか。かなりの時間が過ぎるとやがて、アデライドは護衛たちによって地下室を出された。

 カンテラはどうするべきなのか迷ったけれど、護衛たちはその存在を無視するため仕方なく置いていくことにした。


 ゆっくりと連れて行かれた先はつい先日までアデライドの使っていた部屋だった。そこで侍女たちによって風呂に入れられ、丁寧に身だしなみを整えられていく。


 ……彼女たちはシルスター王国にいるときからずっとアデライドに仕えてくれた者たちだけれど、浴室にいるときも市民風ドレスを着つけるときも、一言も口を開かなかった。フィリップらに逆らうのが恐ろしいのだろうか。理由はともあれ、アデライドがこんな状況にもかかわらずなにも言ってくれないのが、悲しい。つらい。


 そんなことを思いながら身だしなみを整えると、護衛たちに連れられていく。その向かう先は屋敷の玄関前。そこには――


「……もう、なの?」


 馬車が二台、出発の準備を済ませていた。おそらくこれからどこかへ向かうのだろう。そして、その地で計画を起こす。


『もう遅いのですよ。計画実行はすぐそこに来ていますから』


 ファルシェーヌ卿の言葉を信じていなかったわけではない。ただ予想以上に計画が早くて、不安が掻き立てられる。


 もしエリクが失敗したら。彼がほかの人に伝える前に、反革命派によって害されてしまったら。そうなったらもう、フィリップを説得して計画を中止させるしか方法がなくなる。だが、本当にそんなことができるのだろうか? フィリップは頭が良くて、いつだって前を見据えていて、正義感が強くて……。


 彼は彼自身の正義を貫いている。

 アデライドがそんな彼を説得できるとは思えなかった。


 それにおそらく彼と会う機会なんてもうないだろう。敵対する自分と会おうとしてくれるとは、到底思えない。

 ……何時間か前にカンテラを持ってきてくれたけれど、あれは例外だと思う。


 そんなことを思いながらぼんやりと馬車を見つめていると、護衛によって片方の馬車に誘導される。扉が開けられると、そこにいたのは。


「……お兄さま?」


 フィリップがいた。つい数秒前にもう彼には会えないだろうと思っていたため、驚きはひとしおだ。思わず目をぱちくりさせる。

 彼は一切動揺したような様子はなく、優雅に腰掛けていた。昨日のことなどなかったかのような態度である。


 それを見て、まるで昨日より前に戻ってしまったかのような気分に陥った。彼は反革命派などではなくて、アデライドと言い争いもしていなくて、仲のいい従兄妹(いとこ)のまま。


 ……そんなことはないと、アデライド自身わかっているけれど。

 それでも、かすかな希望を抱かずにはいられなくて。


 と、そのとき護衛に背を押された。馬車の中に足を踏み入れる。

 フィリップがこちらを向いた。その瞳からはなんの感情も窺えず、彼がなにを思っているのかアデライドにはさっぱりわからなかった。

 おそるおそる彼の対面に座り、「お兄さま」と呼びかける。


「どうしてここに?」


 フィリップは淡々と告げた。


「移動するからだよ」


 どうやら彼はアデライドの問いかけを、どうして馬車にいるのか、という意味で捉えたらしい。アデライドとしてはそうではなく、どうして同じ馬車に乗るのか尋ねたのだが。


 そう思い、再度問いかけをしようとすれば、「ほら」とフィリップが言った。途端、馬車がガタリと動き出す。最初はゆっくりで不規則だった馬車の揺れは徐々にリズミカルになり、本格的に動き出したことがわかる。

 しばらくしてアデライドはフィリップに改めて問いかける。


「お兄さま、どうして同じ馬車にいるの?」

「…………アデラはなにをするのかわからないからね。監視だよ」

「お兄さま以外の人に頼めばよかったんじゃないの?」


 それこそ先ほどの護衛たちに任せればよかったのではないか。さすがに屈強な男たちにじっと見張られていれば、アデライドにはなにもすることができないのだから。


 フィリップはバツの悪そうな顔をして視線を逸らす。もしかしたら彼自身もそのことをわかっているのかもしれない。それでも一緒の馬車に乗りたかった理由がきっとあるのだろう。


(なにが目的かしら?)


 アデライドと同じように説得だろうか。しかし意見を変えるつもりは毛頭ないし、きっとフィリップもそのことをわかっているはずである。それなのに、なぜ。


(……わたしみたいに、諦めきれないのかもしれないわね)


 きゅっと手を握りしめる。

 もし彼がそんなふうに思うほど強い意志を持っていたならば、このままずっと平行線かもしれない。説得できないかもしれない。

 これから先自分たちは、この国はどうなってしまうのだろう。そう思うと、不安で不安でたまらなかった。


 でも。

 努力しないわけにはいかないから。


「――ねえ、お兄さま」とアデライドは口を開く。


「お兄さまは王政のほうがいいと思うのよね?」


 意外な質問だったのだろうか、フィリップはしきりに(まばた)きをしながら「うん、そうだよ」と頷く。

 すっと息を吸い、アデライドは意識して声帯を震わせた。


「どうして? 今のこの国もいいと思うけど。わざわざ戻す必要はあるの?」

「もちろん。王政のときのほうがこの国はよかったからね」


 そう断言するフィリップ。

 けれど、一つだけ不思議な点があって。

 小首を傾げつつ、アデライドは尋ねた。


「でも、お兄さまは王政のときのこの国を覚えているの? お兄さま、この国を出たときは五歳くらいだったでしょう?」

「…………」


 フィリップはそっと目を伏せる。太ももの上で組んでいた手にぐっと力を入れたのがわかった。

 アデライドはじっと彼を見つめ、返事を待つ。

 ……やがて、フィリップはそっと唇を開いた。


「――確かに、はっきりとは覚えていないよ。でも覚えていることだってある」

「そんなに不確かな記憶で、王政のときがいいって言い切れるの?」

「……だったらアデラは?」


 アデライドの質問に答えず、フィリップはごまかすかのように逆に問いかけてきた。その表情はどこか苦しげなもので。


「アデラこそ、この国を出たときはまだ生後半年だ。王政のときの記憶はないでしょ? それなのにどうして王政のほうが正しいっていうの?」

「……前にも言ったけれど、革命を起こした人の気持ちを、他国で育ったわたしが否定することは間違ってると思うからよ」


 フィリップの碧の瞳を正面から見つめ、アデライドは言う。

 それがアデライドの出した結論だった。エリクと考え、悩み、たどり着いたアデライドの正義。だからこそ絶対に曲げるつもりなどなかった。


 フィリップはどこか眩しそうに目を細めると、「そう」と言う。再度なにか問いかけてこようとしたけれど、その前にアデライドが口を開いた。


「お兄さまは? どうして王政がいいって思うの?」

「…………」


 そっと目を伏せるフィリップ。その双眸(そうぼう)には様々な感情が渦巻いているけれど、それらがどういうものなのかは上手く読み取れず、アデライドはただただ彼をじっと見つめることしかできなかった。

 馬車が揺れる。街を出たのか、喧騒(けんそう)がほど遠い。いったいどこへ向かうのだろうかと不安になる。


(エリク……)


 彼は無事アデライドの伝えた情報を報告してくれただろうか。この国の政府は動き出しているのだろうか。そもそもエリクに怪我はないのか、生きているのか。

 なにも情報のない馬車の中だからこそ、不安がどんどんうずたかく積もっていく。


 ……それから何度か休憩を取り、一行は馬車で進んでいった。

 やがて。


「――父上は、王政に戻すべきだと言った」


 数時間越しの返事に、一瞬アデライドは目をぱちくりさせる。唐突すぎて最初はいったいなにを言い出したのかわからなかった。

 その間にもフィリップはぽつぽつと話を続ける。


「母も妹も、革命で失った僕にとって、父上は唯一の家族なんだ。だから大切だし、手伝いたいって思う」


 フィリップはぎゅっと手を握りしめた。


「――ただそれだけなんだ」


 その声は迷子になった子どものようで、しかし重さを持ってアデライドの胸に落ちてきた。

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