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三章(6)

 アデライドの言葉に、フィリップはどさりと椅子に腰掛けたあと表情を消した。警戒の色の濃い瞳を投げかけてくる。

 それは今まで向けられたことのない(たぐ)いのもので。


 じっとりと手汗が滲み出てきて、アデライドはこっそりドレスの裾で(ぬぐ)った。恐怖で今すぐこの場から逃げ出したくなる。

 けど、ここで逃げ出したら今までと変わらないから。そうしないって決めたから、なんとかその場に踏ん張る。


 沈黙が部屋に満ちる。

 アデライドは決して視線を逸らすまいと、じっとフィリップを見つめていた。

 ……しばらくして、フィリップがそっと唇を開く。


「――その言葉をどこで聞いたの?」

「……友だちが教えてくれたの。反革命派は革命期に革命に反対した人たちのことで、今でもいるって。お兄さまたちはそうなのでしょ?」

「友だち、ね……」


 フィリップはなにか思うところがあるのか、アデライドの問いかけに返事をすることなく、友だちという単語を舌の上で転がし、ふっと自嘲するように笑う。アデライドは「お兄さま?」と呼びかけた。


 なんとなく嫌な予感がした。

 とてつもなく嫌な予感が。


 フィリップは返事をすることなく、にっこりと笑みを浮かべた。けれど彼の瞳はまったく笑っていなくて。


「確かエリクっていう名前だっけ? その友だち」


 サッと血の気が下がった。

 ……どうして。どうしてお兄さまがエリクのことを知っているの?

 彼に迷惑がかからないと思っていたから、こうして動き出したのに。

 呆然としていれば、フィリップは笑みを深めた。


「アデラ、君は女王(・・)なんだよ?」


 そんな君が関わる人物について、僕がなにも調べていないと思った?


 フィリップの言葉に、指先がかすかに震える。

 彼は、どこまで知っているのだろう? エリクの出自は? 彼と話した内容は? もしかしたら自分も知らない彼のことまで知っているのかもしれない。


 そう思うと恐ろしくて。

 自分のせいで彼が傷つけられてしまうのではと、不安で不安でたまらなくて。


 アデライドはそっと目を閉じ、その不安を胸の奥底へと追いやる。


(たとえそうなったとしても、もうわたしはお兄さまに尋ねてしまったのよ。今更引き返せないわ)


 深呼吸をして心臓をなだめると、しっかりとフィリップを見つめた。


「――そう、エリクよ。彼が教えてくれたの」

「へえ……。それで、彼の奸計(かんけい)にまんまと踊らされて僕に尋ねてきたんだね」

「違うわ!」


 フィリップの言葉につい大声で反論する。

 エリクはそんなことをする人ではない。これはアデライド自身が考え、出した結論だ。彼は関係ない。

 しかしフィリップはまったく動じなかった。やけにゆったりとした動作で首を傾げる。


「本当にそう言いきれるの? 君が(・・)?」

「ええ、もちろんよ」

「彼はあの(・・)シャレット家の人間なのに?」


 フィリップの言い方からして、やはりエリクはこの国の高官の息子なのだろう。彼にとって、王族の生き残りであるアデライドは敵だ。騙すために近づいてくるのが普通だろう。

 それでも。


「そうよ」


 アデライドはためらうことなく頷く。

 ここ二週間ちょっと、彼と毎日会っていた。一緒に時間を過ごしていた。

 そのときに見せてくれた笑顔は間違いなく本物で。

 だからこそ、彼はそんなことしないって確信を持っていたのだ。


 しかしフィリップはそんなことを思っていないらしい。「ふうん」と感情の薄い声を発して足を組み、背もたれに体を預け、威圧するような態度をとる。

 その口がおもむろに開いた。


「――それで、僕が反革命派って言ったら、どうするの?」

「止めるわ」


 瞬間、フィリップがわずかに固まった。「……どうして?」と尋ねてくる声はどこか震えているようで。

 アデライドはきゅっと拳に力を入れ、告げる。


「お兄さまの行動は間違っていると思っているからよ」

「そんなことない!」


 机を叩き、フィリップが立ち上がった。今までの態度が一気に崩れ、その表情には堪えきれない怒りが表れている。

 その様子に思わず肩を跳ねさせた。鋭い視線はこれまでの人生で向けられた中で一番荒々しいもので、恐怖のあまり心臓がきゅうっと縮こまる。

 でも。

 アデライドはフィリップを(にら)みつけた。


「いいえ、お兄さまは間違っていると思うわ」

「ありえない。なにを根拠にそんなことを!」

「多くの人が革命に参加したからよ!」


 強く言い返す。

 しかし、フィリップはそんなことでは一切動揺しなくて。

 彼はぐっと手を握りしめ、ドンッと机を叩く。


「だが、この国のあり方は間違っている!」

「たとえそうだと思っても、革命期にこの国から逃げ出して、つい先日まで別の国で生きていたわたしたちが介入するべきではないわ! そうする権利があるのは、革命のときからこの国をずっと見守ってきた市民よ!」

「っ、」


 一瞬、フィリップが言葉を詰まらせた。痛いところを突かれたかのように、ぐっと苦々しい表情を浮かべる。

 しかし、それはすぐに消し去られた。まるで親の(かたき)を見るような眼差しをこちらに向け、口を開く。


「彼らの目は曇っている! だからこそ僕たちが代わりにやって、この国を正しい方向へと導かなければならないんだ!」

「だとしても、それはこの国の民たちの責任よ! ……何度でも言うわ。これは国を捨てた(・・・・・)わたしたちが口出しをすべきではないわ!」

「そんなのは間違ってる!」


 ……確かに一般的に見てはそうなのかもしれない。この国の民を助けようとする彼の心は正義感に満ちていて、彼の行いは正しいのかもしれない。

 けど。

 正義や悪なんて人によって違うと、アデライドは知ってしまったから。


「っ、でも、それがこの国の市民にとっては正しいことかもしれないじゃない! わたしたちの『正義』が、必ずしもこの国の人たちにとっての『正義』とは限らないのよ!」

「はっ、そんなこと――」

「少なくとも、今のわたしにとってお兄さまの行動は間違っているわ!」

「うるさい!」


 フィリップが叫ぶ。

 こちらの主張を一切受け入れようとしない態度に、アデライドはどうすればいいのか必死に考える。いったいどうすれば、彼はこちらの話をきちんと聞いてくれるのだろう? どうすれば思いとどまってくれるのだろう?

 とにかく今は言葉を重ねるしかない。そう思った瞬間。


「失礼いたします」


 フィリップが返事をする前に部屋の扉が開かれる。

 そちらを振り返れば、部屋に入ってきたのはファルシェーヌ卿だった。彼はこの場に似つかわしくないにこやかな笑みを浮かべていて。

 アデライドはぐっと手を握りしめる。おそらくファルシェーヌ卿も反革命派だろう。


(これ、かなりまずいわよね……)


 もし説得できなければ逃げ出せなくなる。そうなったら……どうなるのだろう? 考えたくない。

 唇を噛み締めていると、ファルシェーヌ卿が口を開く。


「部屋の外にまで声が聞こえておりましたよ。どうかなさったのです?」


 コツコツと、優雅な動作で部屋の中に入ってくるファルシェーヌ卿。


「それは……」


 フィリップはどこかバツが悪そうな表情を浮かべ、彼から視線を逸らした。その態度にアデライドは首を傾げる。


(わたしを責めないのね……)


 とにかくこれならなんとかなりそうだ。騙すことになるのは胸が痛むけれど、ここはなんでもないと言ってファルシェーヌ卿に退出してもらおう。

 そう思い、一歩彼に近づいたところで。

 ファルシェーヌ卿はこちらを向いた。にっこりと笑みを深める。


「まあ、状況はわかっているのですけれどね」

「え?」


 ファルシェーヌ卿が手を振る。

 途端、部屋の外に待機していた護衛が一斉に入ってきてアデライドは後ろ手に拘束される。


「ファルシェーヌ卿、なにをするの……!?」

「オブラン卿、女王陛下は知ってしまわれたのです。こうするしかないのですよ」


 アデライドの言葉を無視し、ファルシェーヌ卿はフィリップに向かってそう言う。そしてまた護衛になにやら合図を送る。

 すると護衛がアデライドを引きずって部屋から出ていこうとする。


「ファルシェーヌ卿!」


 叫べば、ファルシェーヌ卿はやけに芝居がかった動作で嘆く。


「ああ、女王陛下、なにも知らなければ幸せになれましたのにね……」


 それに。ファルシェーヌ卿は一瞬無表情になると、今度はにやりと笑った。


「もう遅いのですよ。計画実行はすぐそこに来ていますから」


 ガツンと頭が殴られたかのようだった。計画? 彼らはいったいなにを――

 部屋を出る寸前、アデライドはフィリップのほうへと視線を向ける。


「お兄さま……」


 彼はただ、その場でうつむいていた。

 バタンと目の前で扉が閉まった。

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