一章(1)
アデライドは昔からあることを言い聞かされて育ってきた。
『あなた様は女王なのです。誇り高きブランダン王国の王族、その最後の生き残りであるあなた様は女王以外の何者でもないのですよ』
ブランダン王国。それは現在のブランクール共和国の前身にあたる国家である。
ブランダン王国は国王が絶大な権力を持つ絶対王政の国であった。しかし国の財政が徐々に傾き始め、それとともに国民の不満が溜まっていき、それがある日爆発して革命が行われたのだ。
革命は何年もかけて行われ、今から十五年前の七月九日、王族全員の処刑をもって収束した。王族はもう誰も残っていないとされている。
しかしそれは公式での話。
革命期、国王は革命がより活発化して王家の血が途絶えるかもしれないと予測していたらしい。処刑の行われる約半年前、国王がオブラン公爵――フィリップの父――に頼み、生後半年の王女を託して他国へ亡命させた。
その王女こそアデライドである。彼女はまだ世間への披露目をしていなかったため、存在を認知している人は少なく、王族の中では最も脱出しやすかったため選ばれたとのこと。
そうして無事、海を挟んで対岸の国のシルスター王国に亡命し、かの地ででのんびりと育ったアデライドだったが、正直女王とか言われてもよくわからない。なにせブランダン王国はもう存在しないのだから。そんな国の女王と言われても戸惑うばかりである。
それを危うんだのか、フィリップがブランクール共和国に行ってはどうだろうか? と提案してきたのだ。
『どうしてだ、フィリップ?』
アデライドの父代わりでもあり、フィリップにとっては実の父であるオブラン公爵の言葉に、彼は。
『もしかしたら実際に国を見たらきちんと女王としての自覚も出るかもしれないですし。私もかの国に用事がありましたから、ちょうどいいでしょう?』
そう笑いながら言い、オブラン公爵はしぶしぶ頷いた。
そのためアデライドはフィリップとともに、このブランクール共和国を訪れたのだが――
(やっぱり、異国っていう感じだわ……。故郷だって思えない)
移動する馬車の中から外を眺め、アデライドはそんなことを思う。
アデライドが育ったのはシルスター王国だ。ブランダン王国の文化や礼儀作法なども学んだとはいえ、やはりシルスター王国の文化のほうが馴染みが深い。そのためどうしてもこの国のことを故郷だとは思えないのだ。
そんなことを思っていると、「アデラ」とフィリップの声。ちらりと彼のほうを見れば、呆れたような表情を浮かべていて。
「ちゃんと話を聞いてる?」
「…………」
アデライドはそっと視線を逸らす。するとフィリップは盛大なため息をつき、そして――
「まあまあ、オブラン卿。女王陛下はまだ幼いですから」
フィリップの対面に座った四十代の男性が苦笑をこぼした。
ブランダン王国時代には侯爵の地位にあった男性、ファルシェーヌ卿である。革命反対派だからと次々と貴族らが処刑されていったなか、なんとか処刑を免れた数少ない貴族の一人だ。
あの少年と別れたあと、アデライドは護衛に背負われてフィリップのあとをついて行ったのだが、彼はどうしてかかなり不機嫌そうだった。それだけ勝手に離れて結局怪我をしてしまったことが許せないのだろうか、と不安に思っていたが、そうではない様子。もしそうならばすぐにでも説教が始まるはずだった。
ではどうして不機嫌なのだろうと不思議に思っている間に、フィリップはこの国の知り合いだと思われる人物と合流した。それがファルシェーヌ卿である。彼が今回の滞在の間屋敷の部屋を貸してくれるとのことで、今は馬車に乗って移動しているところだった。
ちなみに馬車に乗り込んだ途端、男性二人はなにやら小難しい話を始めたが、アデライドはそれを無視して外の光景を眺めていた。先ほどの言葉は、その行動をフィリップが咎めたものだった。
ファルシェーヌ卿の気楽な発言に、フィリップは渋面を浮かべる。
「ですがファルシェーヌ卿、せめて聞いたふりくらいはしてもらわないと」
「それはまたおいおいでよいのでは?」
「ファルシェーヌ卿……」
フィリップよりも長い時間生きてきたファルシェーヌ卿は、まるで子どもを相手にするかのように余裕たっぷりに笑う。
「とりあえず話を詰めましょう」
「……そうですね」
ため息混じりにフィリップがそう返事をすると、二人は再度なにかの話を始めた。アデライドのことを無視して。
(そういえばなんの話をしているのかしら?)
今回アデライドがこの国に来れたのは、ちょうどフィリップがこの国でやることがあったらからだという。おそらくそれに関する話だろうが……正直なにを言っているのかよくわからない。プランAとかロワリエ卿とか、まったく内容の知らない計画や知らない人の名前を出されても、理解なんてできやしない。聞く気になれないのも仕方のないことだろう。
意味のわからない会話を聞き流しつつ、アデライドは見慣れない街並みを眺める。
そうして何十分か馬車の中で過ごすと、どうやらファルシェーヌ卿の屋敷に着いたらしい。馬車が止まって扉が開けられる。
護衛に背負われて馬車から降り、アデライドは周囲を見回した。
正面には三階建てだと思われる屋敷がどんと構えており、はるか背後には黒光りする屋敷の門が見える。門から屋敷までの間は大きな一本道が続いていて、その周囲には見た者を和ませるかのように色とりどりの花や木々が植えられている。
思わず駆け出したくなってうずうずとしていれば、「アデラ」とフィリップに呼ばれた。彼はにっこりと笑っているけれど、その目は笑っていなくて。
「まさかここを走り回りたいとか、そんなはしたないことを考えているわけじゃないよね?」
「……か、考えてないわ」
「そう、ならよかった」
そっと目を逸らしつつそう告げれば、フィリップは満足そうに、しかし油断のない笑みを浮かべる。……これは間違いなく警戒されている。
(別に、ここで走り回ったりしても社交界に影響はないのだからいいじゃない)
アデライドはムッと頬を膨らませる。ここはブランクール共和国だ。貴族がいないため、たとえここでなにかやらかしたとしても、シルスター王国の社交界で噂が流れる可能性はかなり低い。
だから別に走り回ったりしてもいいのに、と思っていると。
「――そうだ。怪我をしているから一週間は部屋から出さないつもりだよ」
「お兄さま! ひどいわ!」
「ひどくないよ。これもアデラのためだからね」
「お兄さまのいじわる」
じとっ、とフィリップを見つめれば、彼は面白おかしそうに笑う。ムスッとしてそっぽを向いていると、フィリップの隣を歩いていたファルシェーヌ卿が「仲がよろしいですね」と苦笑した。
それにどう返していいのかわからず戸惑っていれば、ファルシェーヌ卿はとても楽しそうに笑った。
その後アデライドは滞在することになる客室へと運ばれた。ソファーに座らされたかと思うと、屋敷の使用人が立つ必要もないくらい身の回りのことを世話してくれる。その日は本当に部屋から一歩も出ることなく過ごす羽目になった。
「せっかくこの国に来たのに……」
夜。窓の外に見える夜空を眺めながら、アデライドはぽつりと呟いた。外国に来たにもかかわらず、このままでは本当に部屋から出ることなく一週間過ごさなければならないのかもしれない。一週間もだ! その間にいったいどれだけの観光地を回れるのだろう、と想像すると泣きたい気分になる。
「なんとか、お兄さまに外出を認めてもらわないと」
走らないよう監視付きでいい。なんならずっと護衛に背負ってもらったままでもいい。せめて観光地を回らせてほしいのだ。この国に滞在できるのはたったの一ヶ月なのだから。
明日起きたらフィリップに嘆願しよう。そう決めてアデライドはベッドの上に横になった。
――しかし翌朝直談判したものの結局認められることなく。
アデライドは貴重な一週間を部屋の中でひっそりと過ごすこととなった。
――そして一週間後。




