二章(2)
いつものようにパティスリーで洋菓子を堪能すると、二人は店を出た。
「今日はどこに行くの?」
アデライドの質問に、エリクは視線を虚空へ向ける。
「んー、最後の目的地は決めているけど、それ以外は特に決めてないな。とりあえずここらへんをぶらぶらしようかなって思ってるけど……どっか行きたいところとかある?」
「だったらあの店に行きたいわ!」
エリクの言葉に、アデライドはすぐさまとある店を指で示す。
そこは先ほどまでいたパティスリーのように可愛らしい外観の店だった。ベージュ色の壁に赤い屋根が特徴のこじんまりとした店で、以前ちらりと覗いたところ雑貨屋らしい。可愛らしいものが多く売っているようだったため、エリクと一緒に行ってみたかったのだ。
エリクは「じゃあ行くか」と笑い、アデライドの手を取るとその店に向かって歩き出す。アデライドも彼のあとについて行き、少ししてその店にたどり着いた。彼が扉を開けると、カランカランと可愛らしいベルの音。
彼のエスコートに従って店の中に入り、アデライドは思わず歓声を上げた。可愛らしい雑貨がところせましと並んでおり、壁紙も可愛らしくかつ目に痛くない薄ピンク、家具はすべて木製で柔らかな印象を与えてくる。
「エリク、まずはこっちよ!」
店の一角を指し示すとアデライドはすぐさまそちらに駆け寄った。「はいはい」とエリクが苦笑する気配がするが、気にしない。呆れられていてもいい。今優先したいのは目の前にある雑貨だった。
そこはちょうどハンカチばかりが並ぶコーナーだった。可愛らしい刺繍が施されたものもあれば、シンプルで大人びた雰囲気のものまであり、多種多様だ。
「うわあ……! すごいわね!」
「ああ、うん……俺にはよくわかんないけど、すごいんじゃない?」
独り言に近い呟きに、若干引き気味な言葉が返ってきた。
しかしさほど気にすることはなく、アデライドはハンカチを眺める。こういうものは見ているだけで楽しい。
(って、あれ……?)
ふとあることに気づき、首を傾げた。顔を上げ、ぐるりと店内を見回す。
「アデラ?」
エリクが不思議そうに声をかけてきたが、それよりも今重要なのはこの〝共通点〟がほかのものにもあるのか、だ。ハンカチだけならばただの偶然だと思うが、もしほかの品物にもあるのならば、これは偶然ではないだろう。
全部をじっくり見たわけではないため確信は持てないが、見た限り多くの品物にあの〝共通点〟があった。
「ねえ、エリク」
「なに?」
「どうしてここの品物のほとんどに、赤と白と青が使われているの?」
不思議な共通点だった。どうしてかはわからないが、一つの商品に必ずと言っていいくらい赤と白と青の三色が使われているのである。
エリクはしきりに瞬きをしていたけれど、ややあって口を開く。
「ああ、それは、革命のシンボルカラーがその三色だったからね」
「へえ……そうなの」
素直にすごいと思った。革命広場に続き、この三色のシンボルカラー。この国は革命の名残が今でもあちらこちらに残っている。それはつまり、それだけ革命が市民に支持されているということだろう。しかも一過性のものではなく、十五年以上も。
(……だったら、この国の人たちは王政時代のことをどう思っていたのかしら?)
そんなことを思ったが、そのときエリクが先ほどの言葉の続きを発した。
「赤は友愛、白は平等、青は自由を示していて、革命軍はそれを掲げていたんだ。革命期ではその三色のものを身につけることが革命派であることを表すから、よく身につけられていたんだってさ」
「ふうん……?」
エリクの言葉に違和感を覚え、アデライドは首を傾げる。
「……でも、白は王家の象徴だったって聞いたけど……」
「え?」
エリクが目を見開いてこちらを見た。どうやら彼はこのことを知らなかったらしい。そのことを意外だと思いつつ、アデライドは自身が教えられたことを話す。
「ほら、ブランダン王国の王家の紋章って白薔薇でしょう? だから白は王家を表すって教えられたんだけど……」
「そう、なんだ」
彼はそう言うと黙りこくった。なにかを思案しているようで、ここではないどこかを見ているかのように視線は宙をさまよっている。
これは言ってはいけないことだったのだろうか。そんなことを思い、居心地の悪さを感じてしまう。
思考の邪魔をするわけにはいかず、気まずい雰囲気にじっと堪えていると、エリクがハッと我に返った。こちらを見下ろして笑みを浮かべる。
「ごめん、考えごとしてて。ほかのは見ないのか?」
「……見るわ」
どうやらエリクはなにも言うことなく、このまま案内を続けるらしい。
そのことに複雑な感情を抱きつつも、アデライドはそうっとその場から移動した。隣にあったのは髪飾り等の並ぶ一角。そこにもあの三色を入れたものがほとんどだったが、とりあえずそのことは頭の外に追い出してじっくりと見ていく。
三色のリボンにキラキラと輝くバレッタ、ヘアピン。どれも可愛らしくて見ているだけで頬が緩んでしまう。
いろいろ眺めているうちに一つのバレッタが目についた。白い花がいくつも連なった形のもので、赤や青、黄色などの小さな石が花びらにつけられている。
それを掴んで自分の後頭部に回すと、アデライドはエリクに尋ねた。
「どう? 似合う?」
後ろを見せているためエリクの反応はよく見えない。
けれど。
「っ、……ああ、似合ってる」
背後から聞こえてきた言葉から、彼が心の底からそう思っていることが伝わってきて。
どくんと心臓が脈打つ。
ぐるぐると血液が全身を巡る。
歓喜が胸を支配した。
(わたし……)
きゅっと手を握り締める。
今のアデライドには、それくらいしかできなかった。
どこかもぞもぞしたくなるような奇妙な沈黙が二人の間に落ちる。そのことに若干の居心地の悪さを感じて、アデライドは勇気を振り絞って口を開いた。
「つ、次の店に行きましょ! まだ行きたいところはあるのだから」
「……っ、あ、ああ」
ぎこちないながらも返事が来てほっとしつつ、アデライドは髪飾りを元の棚に戻すと店を出た。
カランカランという可愛らしいベルの音は、自分の心臓の音でほとんど聞こえなかった。
外に出て、とりあえず目についた店に入る。
そこは書店だった。少しお高めだからだろう、人は少なく静寂が横たわっていて、ここだけ世界から切り離されたかのよう。
「わあ……」
雰囲気を邪魔しないよう静かに歓声を上げ、アデライドは中へと入った。
「ここは首都で一番大きい書店なんだ」
背後からボソリと聞こえた声に、ビクリと肩を跳ねさせて振り返る。
そこにはすでにいつも通りに戻ったエリクがいて。
「そ、そうなのね」
平静を装ってそう返事をしつつ、アデライドはぎっしりと詰まった本棚を眺めていく。
どうやら多種多様な種類を揃えているらしく、専門書もあれば小説もあった。あまり難しいものは苦手なため、自然と小説のコーナーへと引き寄せられていく。
冒険小説の棚の前に立ち、アデライドはずらりと並ぶ背表紙を眺めていた。冒険小説はそれなりに好きだ。予想のつかない展開にワクワクするし、見たことのない景色に思いを馳せるのは楽しい。
けれど、やはり一番好きなのは――
ちらりと横目で窺うのは恋愛小説のコーナーだった。甘酸っぱい恋の話は好きだし、イチャイチャするカップルは微笑ましくて、読んでいるだけで楽しくなる。
けれど、それを今後ろにいるエリクに知られるのは、なんとなく恥ずかしかった。具体的に述べることはできないけれど、どうしてか無性に知られたくなくて。
(でも読みたい! この国にしかない本もあるだろうし……!)
このブランクール共和国は島国だ。それに革命が行われて王政から民主制に変わったという過去も持つ。そのおかげで他国からの心象はあまりよくなく、制限されることもあるため売り上げも伸びない。そのためこの国の小説などが翻訳されて各国に渡ることは少ないのだという。いつだったかフィリップがそう教えてくれた。
だから読みたいけれど、抵抗感もあって。
ちらちらとそちらを見ながらも冒険小説の棚から動かないでいると、背後にいたエリクの動く気配がした。どうしたのだろう? と視線で彼を追えば、彼は恋愛小説の棚に近づいていき――
「アデラはこういうのが好きなのか?」
途端、羞恥心で顔が熱くなった。きゅっとドレスの裾を握りしめてうつむく。
「ま、まあ……そうね」
嘘をつきたくなくて正直にそう言えば、彼は「そっか」と口にする。
「――……アデラは可愛いよな、本当」
かすかに聞こえた呟き。
それを耳にした途端、まるで火がついたかのように全身が熱くなった。