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世話係の回想【後】

フェネリス王国王宮騎士隊。


蒼騎士様が師団長を務める第1師団の駐屯所は、王国東に広がる"魔化の森"に面した国境上にあった。


ヴィクトール様曰く、第1師団は騎士隊の中でも特に信頼のおける人物や、過去に目立った功績を残した者しか抜擢されない。

厳しい試験がいくつも待ち受けており、コネのある人でもそれを突破しなければならない。


それもひとえに、その駐屯所が国の防波堤となっているからである。

"魔化の森"は、本来世界のコアによって作られた地中深くに発生する魔力が、特定の樹木の辺材や草花の維管束などを通り地表に溜まってしまう現象の俗称である。(と、以前蒼騎士様が教えてくださった。あんまりよくわからなかった)


魔素が高まると、森に住まう生命たちの本能に作用し、凶暴化したり、まさに魔物化してしまったりするのだそうだ。実物をまだ見たことがないので、ちょっと他人事ではあるけれど。


東の森は、地形の関係で特に魔素がとどまりやすいため、近隣の住民の被害が大きく。

過去に歴史に残るような大災害が起きてからは、森との狭間に駐屯所を設け騎士隊の方々が管理をされているらしい。

ゆえに、ここに精鋭である第1師団の駐屯所があるのだ。


つまりまとめると、私が半強制的に馬車で連れてこられたここは、優秀な人間しかなれない王宮騎士の中でも、さらに有能な騎士様たちが集まる場所で。

それほどの人たちが必要なほど、危ない場所ということである。


着いたのは夜だったが、鈍い視界でも石や鉄筋でできた建物に所々爪痕のような傷ができているのが見える。

一部、壁が真新しく見えるようなところもある。壊れて、作り直したのだろうか。


ヴィクトール様のお屋敷になんだかんだで一番長いことお世話になっていて、ちょっと給仕の心得があるだけで、こんなところに奉公に出されてしまった私。


屋敷から持ち込みをしたエプロンを握り締めながら、唾を飲み込んだ。どうにも喉が硬かった。




――――――――

――――――

――――


次の日の朝。ついに部屋を訪ねる。



「おはようございます!…おはようございます!」



特定の魔法をかけられた人物しか開けない扉。先ほど、蒼騎士様にその魔法をかけていただいた私はその扉を難なく開けることができた。全然嬉しくない。


中に入ると、部屋の主はベッドを使わず隅の方でうずくまっていた。何度か声をかけると、ようやく顔を上げる。

泣いていたのだろうか、目が腫れていた。


そして驚くことに、その部屋で待っていたのは女性だった。蒼騎士様より、すこし若いぐらいだろうか?

簡素なシャツとズボンを履き、髪は今はボサボサだが、ここに来るまでは手入れされていたようでつややかだった。




詳しい事件の内容なんかはただの世話係には知らされていないが、悪虐非道のテロリストらしいということは話の流れから推察していた。

ただ、腫らした目をぱちぱちとさせながら首を縮めてこちらを伺う様子は、なんだか、…可愛い?

筋骨隆々の男性や、目で人を殺せそうなおじいさんを想像していたから拍子抜けだったと言ってもいい。


が、これも策略のうちかもしれない。気を引き締めなければ。



「お、おはようございます。本日より、わたくしが世話係をいたします。ぼ、暴力などは!行われますとこの部屋にかけられた魔法の効力により…あなたが相応の罰を受けますので!そのおつもりで!」



そう言いきり、前を向くと部屋の主はなんだかポカン、とした表情でこちらを見ていた。

部屋の魔法はしっかりと作用しているのか、暴れたりということは一旦なさそうだ。

どころか声すら発さず、私の言葉に特に返事を返す訳でもなかった。別に何か返答を求めていた訳じゃないからいいけど…。


キッチンからはるばる持ってきた食事を準備する。

この部屋は建物の地下の奥の奥の方にあるので、階段を多く使わなければならない。

そのため、この階にあるワゴンに乗せるのにも何回も往復して食事やポットを運んだのはかなり骨だった。

最初の方にもってきてしまったスープなんかは、もう冷めてしまっただろう。…まぁ、この人は悪い人だし…暖かいスープなんか望んではいないだろう。


とりあえず水から出そう。グラスを準備して、テーブルの上に置く。屋敷でもやっていたわ、いつもの通りポットから水を注ぐだけ。なのに、緊張が手に伝わってしまったのか水がテーブルに跳ねてしまった。


…しまった!!


とんでもないことだ。ヴィクトール様の目の前でしたならば、2回分の食事抜きか、厳しい折檻が待っている。それが、こんな場所に収容されてしまうような悪い人ともなれば。

慌ててチラリと部屋の主を見ると、こちらを見てはいたものの、特に気にする様子もなくしばらくするとワゴンの方に視線を逸らしていた。


見えていなかったのかな?ふう、と詰めていた息を吐き、エプロンで速やかにテーブルを拭った。


「朝のお食事です」


ワゴンの上に乗せたお盆をそのまま出した。

メニューはスープ、干し肉、パン。これだけ。


朝のメニューはずっとこれだそうだ。

普段から残りがちなものを再利用するらしい。つまり、残飯処理である。

スープは前日隊員に出した中で、掬いきれず鍋の底に残ったのを水と塩で伸ばしたもの。干し肉とパンは、倉庫でしばらく眠っていた非常食でまだギリギリ食べられそうなものを古い順に出しているらしい。



部屋の主は口をモゴモゴした後、ややあってペコリと頭を下げた。

…ただの世話係にお礼を?いやいや。たまたま、頭を下げたように見えただけかも知れない。



硬いパンに奮闘しながら食事を進める部屋の主を見ながら、今の状況について考えた。




ヴィクトール様と蒼騎士様がご相談され、私に言い遣わされた内容は、言葉にしてしまうと簡単だった。



─ある部屋に、毎日3食運ぶこと。異変があれば報告されたし。



ただし、その部屋には何をするとも知れない、捕まえたてほやほやの大悪党がいるんでございましょう。なんてことは言えなかった。


まさに前門の虎後門の狼。


前に進めば大悪党、嫌がればヴィクトール様の怒りを買い、屋敷を連れられて出て行ったまま帰ってこなかった子達の後を追うことになるのは明白だったのだ。


それならば、蒼騎士様が直々に魔法をかけてくださったという部屋に入る方がまだマシだった。


考えても考えても、運ばかりで生き延びてきた私のスープがついに底をついたようにしか思えない。

先が思いやられる…。なんだか悲しくなって──


……ぐうぅ……。


パッとお腹を抑える。とんでもない、悲しい気持ちだと思っていたがお腹が空いていたようだ。…いや、たしかに悲しくもあるけど。


そういえば、昨日夜に馬車で着いた後はご飯を食べる元気もなく。


今度の失態には部屋の主も気づいたようで、こちらを振り向いていた。なんてことだ。

お屋敷では、こんなに連続で粗相はしなかったのに…。


どうしよう、と視線をうろつかせていると手を差し出された。

先ほどまで彼女が奮闘して、やっと半分ほどに減ったパンが乗っていた。


パンを、差し出されたのだ。


大悪党が持っていたパンだなんて、どんな細工がされているかわからない。…よく見てみても、ただのパンにしか見えないけど。

見れば見るほど、ただのパン。美味しそう。スラムでよく食べていたパンに似ている。日持ちがして、硬くってよく噛むから食べ応えがあるのだ。


ヴィクトール様の屋敷で出していただくパンは柔らかくて白いパンだったから、久しぶりにみるそれは懐かしかった。


口の中によだれがじゅわっと出てきて、慌てて目を瞑って顔を逸らした。


「ほ、施しは不要です!」


その後は、何も考えないようにして普段通りに給仕を続けた。


世話係ということもあって日中は部屋に滞在するように指示されている。食事が終わればそれを片付け、また部屋に戻らなけれならないのだ。


長い一日になりそうで、ため息を飲み込んだ。




――――――――

――――――

――――


数日経った。


「とんでもない大悪党の世話係」の私だが、驚くほど平和な日々が続いていた。


1日3食食事を持ってきて給仕をし、それ以外は部屋の隅で、持参した椅子に座って待機。

ほとんどずっと一緒の空間にいる訳だが、私が警戒しているのが伝わっているのか、部屋の主は私に近づこうとはしなかった。チラチラとこちらのことは見ているが。


その中で、部屋の主は声が出ないらしいということもわかった。時折何かを話すように口を動かすが声は出ておらず、それにあきらめて口を閉ざすような仕草が見られた。


蒼騎士様に報告すると自白剤のような効果のある魔法薬を渡され、食事に仕込んで出すように指示された。


仕込んだ日、違和感のない程度に話しかけてみた。結局、返事をするように口をモゴモゴと動かしはするが声は出ておらず。

それをまた報告すると、本当に喋ることができないようだと結論づけられた。


強い魔法を使うのには詠唱が必要不可欠なので、好都合だと蒼騎士様は仰っていた。


でも、私は自白剤のせいでしゃべりたそうに、でも声が出ない様子の部屋の主を見てなんだか可哀想だなぁなんて思っていた。


声を引き出そうと喋りかけると、嬉しそうにして顔を上げて口をモゴモゴとさせる。でも声が出ないことに気づき、すこし顔を下げて、頭をペコリとさせるのだ。


なんだかそれに可愛さを覚えてしまう自分もいた。


彼女があまりにも何にもないのでそのうちこちらも余裕が出てきて、部屋の隅に張り付くようにしていたのを少しだけ近寄って待機するようにしてみた。

そうすると嬉しそうにしていたので、薬を混入させた罪悪感が少しだけ晴れた気がする。



部屋の主は喋れないことを抜きにしても終始暇そうで、「あまりにも何もすることがなく気が狂ってしまっても困る」とのことで蒼騎士様が部屋に置いておいたペンと紙を使って毎日何かを書いていた。


ちなみに紙にも魔法が施されていて、書かれた内容は蒼騎士さまのところにあるもう一つの紙に浮き出てくるそうだ。

簡単には読めない暗号で書かれているそうで、なんとか解読しようと私の1日の報告と照らし合わせたところ、食事の内容や回数のメモを取っているらしかった。


…なんでそんなことを暗号で?2人で頭を捻る。

蒼騎士様は納得いかないらしく、もう一度考えてみると言っていた。


ある日、部屋の主は紙に暗号を書いて私に見せてきた。文字のようなものが、5つ並んでいる。

3個、間を空けて2個。

わざわざ見せてくるというのは私に何か伝えたいということだが、暗号で書かれていたら分からない。


不安そうに、でも少しの期待を込めたような目でこちらを見ていることから考えると、彼女は扱う言語が異なると考えた方が良さそうだ。話し言葉は同じだが、きっと扱う文字が違うのだ。


そう考え、その日は遠征に行っていた蒼騎士様に手紙で伝えると、「報告感謝する」とだけ返事が来た。



――――――――

――――――

――――


その日はここ最近で一番ついていなかったように思う。

この数日間、ヴィクトール様が視察と称して駐屯所にいらっしゃっていた。

その間私はヴィクトール様の身の回りのお世話と部屋への訪問を同時にこなすことになり、大変に忙しくなった。

慣れない場所で以前と同じことをしなければならないというのは難しいもので、重なる粗相で食事を連続して抜かれている。

おそらくこれが屋敷でのことであれば折檻があったのはもちろんのこと、もう私はこの地を踏めていないだろうと思うので、こればかりは駐屯所に送られたことを感謝した。


ここに蒼騎士様がいらっしゃればこっそりとパンをくださったりするのだが、不運なことに遠征が延びてヴィクトール様が帰られる予定の日までここには戻れない。

ヴィクトール様はそれも不満なようで、私への仕置きは八つ当たりも含まれていたように思う。


結局私はヴィクトール様が帰られる朝には、5回の食事をしっかりと抜かれていたのだった。馬車までお見送りをする際、ステッキでゴンと膝をぶたれた。御者が見ていたので「すまない、当たってしまった」と言っていたがわざとだろう。





フラフラする。朝の支度を終え、部屋の主が食事を始める頃にはもう立っているのが精一杯だった。打たれた膝も痛み、うまく体勢を保てない。


食事中は立って待機をするのが礼儀だが、このまま倒れるよりはもう椅子に座ってしまおうか。立っていろと指示をされているわけではないし。


いつもより回転の遅い頭を使って思案していると、目の前に影が差した。部屋の主が近づいてきていたのだ。

いつもならここまで近いと流石にびっくりしたかもしれないが、今はそんな元気もない。

一週間ほど共に過ごして、警戒心も薄れてきていた。

聞いていたように、とても怖い人物だと思い続けることができなくなっていたのだ。


両肩を支えられて、今まで彼女が座っていた食卓の椅子に座らされた。

私の持参する椅子は背もたれがないから、こちらに座らせてもらえたのは正直助かった。

今の私は座っていても後ろに倒れる可能性がある。


相変わらず一言も喋らないが、覗き込んでくる顔が雄弁に「心配です」と語っている。

ぐらり、と体が傾くたびに支えられるその手が優しくて。


それに少し絆されて、口が緩んでしまった。


「ふつか…」


小さな声しか出なかった。

彼女は私が給仕以外で口を開いたことに驚きつつも、聞き漏らさないように、私の顔を見つめているようだ。

そういえば自白剤を使った時ぐらいしか、私から話しかけることはなかったかもしれない。



「ふつか、何も食べていなくて…」



どういう気持ちで言葉にしたかは覚えていない。


ヴィクトール様は、良くも悪くも私の命を握っていた。間違いなく彼のおかげで生かされているが、またそれはつまり彼が私を殺すのすら造作もないということだった。


分かっていても、どこか他人事と考えていた。でも今は打たれた膝が余計に痛く感じて。

おばあさんのゲンコツの痛みが懐かしく思えるのだ。


貧しくても、何にもなくても。今よりは暖かいものに触れていたような気がする。

硬いパンでも良かったんだ。スープがなくても、お肉や野菜を食べられなくても。

硬いパンは、たくさん噛むから、みんなで話しながらゆっくりと食事をするのにちょうどいいんだ。


おばあさんが持ってくる白いパンは何よりものご馳走だったのに、屋敷で食べる白いパンは味気なくて。


ふと、目の前にパンが現れた。スープに浸された、硬いパンだ。部屋の主が差し出している。

遠いところにあった思考がやっと手元に戻ってきて、慌てて言葉を出す。


「ほ、ほどこしは…っむぐ」


口を開けると、無理やりパンを突っ込まれた。

小麦の味が広がる。ゆっくりと噛んで、飲み込んだ。

すると、すでに次のパンが用意されている。また無理やり口に入れられた。

ゆっくり噛んで、飲んで。何かを考える暇もなく、次々と口に押し込まれる。


しばらくすると、頭にあたたかいものがのっていることに気づいた。


撫でられている。あたたかい手で、ゆっくりと。




思い出した。

木の枝を抜いた私におばあさんがきついゲンコツを落とした日。

謝りながらも大泣きする私に、おばあさんは何かを語りかけていた。

残念ながら、自分の泣き声や心臓の音でおばあさんが何を言っているのかはあまり聞き取れなかったけれど。なんとなく頷かなければいけない気がして、そうした。

すると泣き続ける私の頭を、おばあさんは優しく撫でてくれたのだ。


あれはあたたかい許しの温度だった。

だから、涙は止まらなくても、ゲンコツを食らったところはもう痛くなくなったのだ。



涙が頬を伝ったのがわかった。

おばあさんが眠りについてから、初めて泣いた気がする。

生きるのに必死で、泣く暇もなかった。


たまたま生き延びて、ここまで成長した私。

拾ってくれたおばあさんにも、ヴィクトール様にも感謝している。

もちろんヴィクトール様には感謝の気持ちだけではないが、やっぱり今生きているのは保護していただいたからに他ならない。



でも結局はたまたま生きているだけの命だ。

もし何かが少しでも違えば。

水をこぼしたり、窓の汚れが取れていなかったり、枯れた花が花瓶にそのまま入っていたり。そんな些細な失敗で屋敷から消えていった子たちの1人だったかもしれない。


そう考えたら、少しぐらいやりたいことをしてみても許されるんじゃないかと思った。

幸い私はスラム街出身で、迷惑をかける身内もいないひとりぼっちだ。



こんなに優しい手をしているのに、悪いことをして捕まったのだというこの人のことを、もう少し知りたくなった。

まずはあの日見せてくれた5文字。あれはきっと彼女の名前だったんじゃないかと思っている。

今度はちゃんと理解するまで向き合いたい。

その後は、ベッドの古びた布団を洗って干して。床じゃなく、横になって眠れるようにしてあげたい。



「お食事が終わって、その後はきっとお暇でしょうから…少しだけお話ししても…いいですか?」



そう伝えると、部屋の主は嬉しそうに笑って頷いた。

この部屋に来るようになって、初めて見た笑顔だった。


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