小さな出会い
土曜日。久々の休日。小さな狼を抱えながら、お昼の情報番組を眺める。…そう、白く、小さな子狼。ソファーに座ったわたしの膝の上に、お腹を投げ出しわたしと同じような姿勢で抱えられている。
テレビを見つめるそのつぶらな瞳からはそこはかとない知性を感じるが、政治家然とした顔をしてシャインマスカットの特集を見ているのでおそらく内容を理解まではしていないと思う。
ただ賢いのは事実なようで、噛み付くこともないし吠えることもないので、こうして抱き上げて湯たんぽがわりにできるほどだ。不思議な狼である。
この仔狼と出会ったのはつい今朝のこと。
昨日、小さなカードを手に持ち、不思議な文字を読み上げたわたしはその刹那、とてつもない光に包まれた。あっ、と思う頃にはもう意識はなく、次に気がついたときにはもう朝日がカーテンから差し込むような時間になっていた。
クローゼットの前にいたはずがベッドに寝ており、布団もきちんとかぶっている。枕元には熊の置物。意識が朦朧としながらも移動したのか?と思いながら体を起こすと、胸のそばあたりから白い何かがずり落ち、ベッドを経由して床に向かっていった。そのまま落ちたのか、ゴン、と鈍い音が鳴る。
なんだなんだ、とベッドから下を覗き見ると、毛玉──基、白い子犬のような生き物がシパシパと目を瞬かせていた。頭をぶつけたようで、前足でおでこを掻いている。
「…え?!なに、どこの子?!」
子犬は私と一緒に眠っていたのかしばし寝ぼけた様子だったが、大きな声にピクリと反応を見せるとハッとしたような表情になり(犬だけれど)、体を揺らしながら口をはくはくと動かした。
それはまるで勢いよく「わんわん」とでも言っているような仕草であるが、しかし私の耳に聞こえてくるのは子犬がベッドからはみ出て床付近まで垂れた布団を爪で掻き鳴らすシャカシャカという乾いた音のみ。子犬の口からは無音映画のように、鳴き声は聞こえない。
なんだろう、鳴いているわけじゃない?お腹でも減っているのかな?
エアーわんわんをしながらも真摯に見つめてくるので、そっとその姿を眺める。真っ白ふわふわの小さな体躯に、つぶらな瞳、何かを確認するようにひくひくと動く鼻。
瞳は一見黒に見えたが、光に当たるとその奥に深く燃えるような赤色が窺える。とても綺麗だ。
そしてなんといっても。
「可愛い…!!!」
とても可愛い。昔、猫を飼っていたこともあって普通に動物好きなのは自覚しているが、それ以上にただただこの子は愛くるしい。
ふわふわころころの毛玉だ。
何かを訴えかけるように必死にこちらへ前足を伸ばしてくるので、脇に手を入れて持ち上げてやり、ベッドの上に下ろす。そうされている間は先ほどまでの慌てようが嘘みたいにとても大人しく、されるがままだった。
暴れるかなと恐る恐るだったのだが、引っ掻いたり噛み付いたりすることもない。
だらん、と力を抜いて抱きやすいようにこちらに体を預けている。
下ろされると、たすたすと布団の上を移動してできるだけ私に近づき、必死な様子で手や服の匂いを嗅いでいた。
かと思うとまた私の顔を見ながらエアーわんわんをしたりと忙しないが何を考えているのか理解できない私にはどうしてあげることも出来ず、ひたすら落ち着くように体を撫でる。
…本当にもふもふだ。特に首の下なんかは最高だ。透けるような白さも相まって、まるで雲に触れているかのよう。
「にしても本当に君、どこの子?どこから入ってきたの?」
しばらくして落ち着いたのか、座っているわたしのお腹あたりに頭を寄りかからせてこてん、と横になった子犬。
指で鼻をちょいちょいしたり喉を掻いてやると嬉しそうにするし、指先を舐めてくるので充分に人馴れはしているようだ。
今時野良犬なんて見かけないし、どこかの家から迷い込んできたのだろうけど、戸締りしてあるはずなのになぁ…。
スマホでSNSを開き、ダメ元で迷い犬の捜索情報がないか軽く確認してみる。子犬はわたしの腕に頭を乗せつつ、手元を覗いていて可愛い。
そううまくは行かないもので、特徴や、市や区などのワードを追加してみても、やはりなかなかそれらしいものは見つからなかった。寝起きなこともあり、頭が回らないので一旦この子の犬種だけでも調べてみることにする。
些細な情報も、検索に役立つだろう。
「柴犬…、ハスキー…?うーん…雑種?」
顔を眺めたり、グリンと裏返して(怒らなかった)隅々まで確認しながらネットの情報と照らし合わせてみたが、いまいちピンとこない。
確定したのはこの子が男の子だということだけだ。男の子なんだねぇ、と声をかけてから少し元気がなくなってしまったのは気のせいだろうか?犬にも羞恥心ってあるのかな。
さまざまな犬種を調べるも、やはり雑種だろうか、といった程度にしか分からない。シルエットは日本犬と似ている気がするが、かと言って目元を見るとハスキーのような印象もあるので、洋犬っぽさが全くないわけでもないし。胸元にボリュームのある毛並みとかも見慣れない。
子犬や犬科の動物の子供の頃の写真がたくさん乗ったページをすいすいと指でスライドしていく。
ある程度進めていくと、小さな狼の写真が現れた。毛並みと色は少し違うが、どことなく雰囲気がこの子に似ている。
ピンとたった太い耳、少しだけ目尻がキュッと上がったつぶらな瞳。思わず指を止めてじっくり見ていると、スマホを持つ手にぽん、と小さな手が乗った。─写真とそっくりな手が。
子犬は私をじっと見つめている。
…いやいや、まさかね!
子供の狼なんてこんな住宅街にいるわけないし。まぁ、子犬が家の中にいるのも中々意味がわからないけど。写真の子はこんなに胸毛ふさふさしてないし。
腕の中の子犬…、は、まだ私を見ている。だめだ。頭が回らない、思考停止しそう。朝ごはん食べよう。
「君も何か食べる?」
やっぱり寝起きの頭は回っていないようで、迷い犬の保護はどこに連絡するのかとかよりも先に、子犬はなにが食べられるのかを先に調べていた。
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平皿に茹でた鶏肉をほぐしたものを入れて出してあげると、特に警戒した様子もなくはぐはぐと食べ始めた。
予想に反して、別段お腹が空いていたわけじゃないのか、食べる姿には落ち着きがある。ゆっくりと咀嚼するその姿からはどことなく気品すら感じる。
とはいえやはり小さな口で必死に食事をしているのは可愛いもので、思わず写真に収めてしまったのは仕方がないだろう。
横目で確認しながら、用意したシリアルを一口食べる。うん、美味しい。シリアルは大好きだけどカロリーや栄養の偏りが気になるので、休日の朝ごはんだけど決めている。至福のひとときだ。
サクサクと頬張る音が気になったのか、子犬が皿から顔を上げ私を見た。かと思うと、平皿を口に加えて引きずり、こちらの方へ近づいてくる。ローテーブルの前に地べたに座っているわたしの太ももに体がくっつくぐらい近づくと、満足げに食事を再開していた。
その行動は不可解ではあるが、正直なところもう何から何まで全部理解不能な状態なので考えることは放棄した。
ゆっくりと朝ご飯を食べ終え、時刻は7時過ぎ。1日はまだ始まったばかりだが、衝撃が大きすぎてすでに体力を消耗している。昨日から不思議なことが多すぎて…、不思議なこと?
そこでふと、昨日の綺麗なカードを思い出した。そういえばあれはどこにいったんだろう?
子犬を撫でる手を止め、出しっぱなしになっていたダンボール箱にパタパタと近づき中を確認するが、それらしいものは見つからない。うーんうーんと唸りながら箱の中を探っていると、ちょいちょいと太ももをつつかれた。
「あれっ、これ…!」
ちょこんとお座りする子犬の前には、ちょうど探していたカードの箱があった。鼻でずい、通して私に近づけてくれる。
よく分からないが、子犬がどこからか見つけてきてくれたのだろう。ありがとう、とお礼を言って受け取り、箱を開けた。
中にはちゃんとカードが入っており、眩いほどの美しさは一切損なわれてはいなかった。
ただ昨日とは中身の順番が変わっているようで、一番上にあったのは昨日で言う騎士がいたところが空白のようになっているカードだ。一枚手にとり持ち上げると、騎士のカードはその下にあった。
手に取ったカードと見比べてみると騎士がいないこと以外はほぼ同じで、間違い探しのようにじっくりと眺める。そういえば、このカードには不思議な文字が刻まれていたっけ。
そう、昨日はその文字を読み上げたら光が──
「…ん?」
確認するように騎士のカード、空白のカードを見比べていた時、あることに気付いた。見たことのない形状のその文字が、それぞれ2枚で違うこと。そして、見たことのない文字なのに、──なぜか読めてしまうこと。
騎士のカードには、レオン。空白のカードには、
「…ユキ、って、わっ!」
空白のカードに書いてある文字を読み上げた瞬間、子犬が急に膝の上に飛び乗ってきた。しっぽをぶんぶんと千切れそうなほどに振りっている。
ユキ、に反応したらしく、ユキ、ユキ、と口にするたびに口をぱくん!ぱくん!と開けて、まるで返事をしているようだ。
もしかしたらこの子もユキという名前なのかもしれない。
それにしても、なんで私はこの不思議な文字が読めるのだろう。見たこともないはずなのに、目にするとまるで翻訳されているかのように、読み方が頭に浮かぶ。変な感覚だ。
気になって、カードを全て出して机の上に並べた。子犬…ユキも気になっている様子だったので、私の膝の上に乗せ、カードが見えるようにしてあげる。
カードは全部で6枚。それぞれ違ったものが描かれている。
騎士。これは昨日見たもので、やはりどこか惹かれる一枚だ。
空白のカード。ユキは特にこのカードが気になるようでしきりに匂いを嗅いでいる。
翼の生えたドラゴンが描かれたカード。金の箔押しで描かれた鱗が美しい。その金の鱗は首元の一枚だけ、剥がれているようにも見える。削れてしまったのだろうか?
他にも、黒猫のカード、小さな妖精が3匹飛んでいるカード、大樹のカード。
全て細部までこだわり抜かれたデザインで、どのような意図で、誰が作ったのかがとても気になった。
どれだけ見ても飽きることのない美しさで、見入ってしまう。
ユキにもその素晴らしさが分かるのか、どんどんと空白のカードにのめり込んでいく。鼻をぐいぐいと押しつけ、そして、
すぽん、とカードの中に消えていった。