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蟲独死  作者: 田甫 啓
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蟲殺

 私は蟲が嫌いだ。

 中でも蟻というものは酷く耐え難い。

 あの小ささが耐えられない。

 一匹ならまだいい。

 だが、家の中に二匹、三匹と群れを成し始めたらもう無理だ。

 蟻走感に身体が強張り、居なくても気になって気になって床を柱を壁を見ずにはいられない。


 毎年、夏になると決まって蟻が出る。

 木造の古いアパートというのがいけないのだろう。

 二階だというのに何が好きで湧いて出るのか。

 何処かに巣があるのだろうと思うが、侵入経路がどうにも分からない。

 分からないが、目の前を這うので潰す。

 何匹殺したかも分からない程度に毎年そうやって潰すのだ。


 最初こそティッシュで、あんなに小さなものに恐れ慄いき腰が引けながらも潰して。

 それも毎年、恒例ともなれば慣れてくる。

 今では蟻が這っていれば人差し指で親指で、磨り潰すように殺す。

 そうやって殺すものだから床なり壁に蟻の死骸が汚くついてしまう。

 今では殺すことよりも、痕が残るのが耐え難い。


 潰す気が無くても歩いていれば潰してしまうのだから、床に死骸が転がり足の裏は言うまでもない。初めて素足で蟻を潰した時、足裏にこぶりついた、よれよれと動く蟻の成れの果てにゾッとして赤くなるまで洗ったものだ。

 

 共存など叶うはずもないのに、何故我が家を選ぶのだろうか。

 殺さなければ縦横無尽に這い回り、殺せば死骸が転がる。

 掃除の手間などない方がいい。

 余りに不毛だ。

 そんなことで掃除をするのは手間だから最近では殺してもそのままにしてしまっている。


 そうしておくと、同じ巣か別の巣かは知らないが蟻が運ぶのだ。死骸を。

 助けられるとでも思っているのか。

 葬ろうとでもいうのか。

 食らうのだろうか。

 食らうのだろうな。

 所詮は虫螻だ。

 親愛の情などない。

 仲間だろうがなんだろうが、食らうのだ。


 死骸を運び出す蟻を親指で潰す。

 死骸はもうただの物質だから気に留めるものでは無い。

 要らない物質なんてのはゴミだろう。


 蟻を潰しているとふと気付いた。

 可笑しな話なのだが、勘違いをしていたのだ。

 私は蟲が嫌いなのではなく蟻が嫌いなのだ。酷く今更な気付きではあるが。


 ゴキブリなどは所詮一匹であるし、処理も簡単だ。

 だから好みはしないが与し易い分、蟻よりも苦手とは思わなかった。


 だが、それが去年の夏からおかしいのだ。

 蟻は例年通り潰すのだが、事務的で執着めいた殺し方はしなくなった。

 もっと効率的に蟻用の殺虫剤を使うようになったし、死んでぱらぱらとしたやつを塵取りで集め捨てるようになった。

 その代わりに、今ではゴキブリが耐え難い。

 蟻に向けていた憎悪の全てが移行したようだった。

 

 その見て呉れではないのだろう。

 姿形であれば最初から嫌いだった筈だ。

 だが、そうではない。その存在が嫌いとでも言えばいいのだろうか。


 去年の夏、出始めの頃はスリッパや丸めた新聞紙で叩き潰していた。

 数は多くないが、でかい。

 蟻など比較にはならないほどの大きさだ。

 そもそも今まで気にならなかったのがどうかしている。

 去年、夏の終わりには見かけることも減っていたが、必要であれば足や手で潰すのも厭わなくなった。


 今夏、ゴキブリは見かけない。

 聞いた話だが、ゴキブリというのは賢く、危険な家を仲間に伝える習性があるという。

 であるなら、ゴキブリはこの家を忌避したのだろう。

 有難いことだ。今夏はゴキブリやら蟻の相手をしなくていいのだ。


 そう思っていると、飼い猫が足に擦り寄ってきた。

 頭を撫で、首を掻いてやると戯れて腹を向けてきた。


 可愛いやつだ。単身赴任が続いて寂しさを紛らわすべく子猫から育てている。

 今では立派に大人だが、それでも子猫のように懐いてくる。

 本当に可愛い。こんなに愛らしい生き物が他にいるだろうか。


 それなのに、何故これほどまでに厭なのだろう?


 気付けば、気付けば両手で猫を床に押し付けていた。

 腹這いだから引っ掻かれなくてすむな、と考えながら。

 大の大人の体重をありったけ込めてやればあっという間に死んでしまった。

 背骨でも折れたのだろう。

 さっきまでは殺したくなるほど厭だった。

 堪えきれず殺してしまうのだから、本当に厭だったのだろう。

 死んでしまえば、胸中に去来した厭な感じはもうしない。

 寧ろ何故そこまで憎く思えたのか不思議なほどだ。

 だらしなく弛緩したような肉の塊を持ち上げビニル袋にいれる。

 腐敗したら臭うか。それは厭だな、と何重にも袋に入れて縛る。

 暑いから腐るだろう。生ごみとして捨てては問題だろうか。

 朧げに見える猫の目が私を捉えた。

 肉塊にそんな感傷を抱くなんていうのはどうかしている。


 それにしても、家内らに猫を飼っていることを告げていなくてよかった。

 意味もなく手に掛けたなど大凡普通では無いだろうから心配させてしまうだろうし、丁度良かった。

 丁度良かった? ああ、そうか。


 そういえば。

 そういえば明日なのか。

 写真立てを手に取り、家内と自分、そして娘をみる。

 今年で、四歳だったか。

 なら、丁度良いか。

 夏は始まったばかりだ。

 これからもっと暑くなる。

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