蟲話
肇に。
肇に言って於かなければならない。
私は蟲が嫌いだ。
無闇に嫌いだというわけではない。
様々な理由、要因を以って私は蟲に忌避を覚える。
蟲は厭だ。
その有り様がまず受け容れ難い。
ただ生きているといえばそうだろう。
それを批判するとは何様だと怪しげな正義の徒が声高に叫ぶかもしれない。
一寸の蟲にと、古来から言うが、言いはするが——
——所詮、蟲だろう。
奴らは只在るだけだ。極めて原始的に生にしがみつく疎ましく胡乱なものだ。
衆生とは人だろう。
人は蟲ではない。
蟲は人ではない。
蟲は蟲に過ぎない。
蟲に心はあるのか?
それは愚問だろう。
愚にもつかない問いかけだ。
蟲とは本能のままに喰らい、睡り、子を成す。ただ、それだけの存在だ。
心など有りはしない。
人と違い、そこに心だの意思だの、情といったものが介在しない。それが蟲だ。
要らぬものは持たなくて良い。
それは、正に然りと思える。
が、人には心がある。
心があれば愛情を持つし、情けを掛け、騙ることもあるだろう。憎しみを持ち、同族を手に掛けるのも又、人だろう。
確かに、そう考えれば蟲は上等なのだろう。
愚図のような、人で無しと比較すればそれは蟲の方が生物として正しいのだろう。
だが、駄目なのだ。
厭なのだ。
どれほど言い繕うとも忌避せずにはいられないのだ。
そう考えればこそ、もしかすると私こそが屑であり、人で無しなのだろう。
屑は塵だ。芥だ。そんなものに比べれば生きているだけ蟲は正しいのだろう。
だからこそ、私は蟲を許せないのだろう。
驕りだ。
傲りだろう。
下に見ているのだ。
心の底で自分より下に。
生き様を僻み恨み辛み恐れ畏れ。
手に掛けることに後れ毛を感じながら潰し。
潰したことを仕方がないのだ止むを得ないのだと。
潰す潰す潰す潰す潰す捻り捩り撚り擦り剃りそうやって殺す。
殺して殺してキリもないのに終わりなどないのに只殺して手に掛けて。
それはきっと殺すことを快楽とさえ感じて仕方が無いのだと嘯いているようだ。
だから怖い恐ろしい怖ろしい堪らなく堪らなく忌避が募りだってそれはそうだろう。
幾千も手に掛け幾万も愉悦に酔い殺して殺して殺して殺してそれで何も無いわけがないのだ。
何時か明日か明後日か明々後日来週来月来年とも知れない明くる日に殺されるのだろう食われるのだろう蟲に。
嗚呼、だから私は蟲が嫌いだ。
蟲は厭なのだ。
だって、殺してしまうのだもの。