☆強襲と救出
王都の方面から林道を突っ切るようにして二頭立ての馬車が駆けてきた。箱型の客車は装飾の施された黒塗りだ。
御者の老紳士は必死の形相で馬に鞭を入れるが、スピードは上がらない。
逃げる馬車を五人が馬に乗って追いかける。見るからに冒険者崩れというか、野盗の類いだった。
全員、獣耳に尻尾を揺らしている。亜人種――獣人族である。
「ひゃっはー! もうすぐだ! 追いつくぞ追いつくぞおおお!! おい聞こえてるか女あああああ!! 俺様好みの顔と身体なら奴隷にしてしばらく飼ってやるぜえええ!」
剣を片手に馬を駆り“狩り”を楽しむ男の声に、俺は貪欲さを感じた。
「森に逃げ込んだつもりかもしれねぇけどな! そうそうデカい魔物なんて出てきやしねぇんだよ! 大人しくすれば命だけは助けてやるぜえええお嬢ちゃんんん!! あ! ジジイの方は殺すけどなあああ!」
野盗のリーダー格の黒い欲望は、馬車の中で怯える誰かに向けられた。
もう間もなく、馬車と一団が樹上の俺の眼下にさしかかろうとしている。
ワイルドボアを相手に死にかけたばかりで、俺はつくづく自分がバカだと思った。
太い木の枝から飛び降り、走る馬車の天井にしがみつく。
「な、なんだてめぇはあああ!」
客車に馬を横付けして野盗のリーダー格が奇声を上げた。
「通りすがりの悪魔憑きさ」
どうか俺が肉体を留守にしている間、振り落とされないでいてくれよ。
俺は即座に野盗のリーダーに意識を集中した。黒い欲望と精神が同調するのは一瞬だ。
視界がぼやけて消えたかと思うと、周囲の景色が加速するように次々と後方に吹き飛んでいった。
剣を右手に左手は手綱を握り、あぶみに体重をかけた状態で馬の背に揺られる。
上手くいったらしい。俺は野盗のリーダーに憑依した。
メイティスでは乗馬の授業もあったのだが、俺は落第ギリギリの成績である。
が、まるで手足の延長線にあるように、俺は馬をスローダウンさせることができた。憑依した獣人族の男の肉体が馬の乗り方を覚えている。
これならなんとかなりそうだ。
「あは! あはははは! あははははははは! ひゃーほひー!」
ふと視線を上げると、悪魔憑きとなった俺の肉体がこちらをじっと見つめていた。
悪魔は馬車の天井にしがみついて大笑いだ。
奇声に気づいて御者の老紳士が後方を二度見したが、馬に鞭を入れ手綱を握るので手一杯なようだ。
そのまま走らせてくれと祈りつつ馬車から離れる。
「なんですありゃあ?」
速度を落とした俺の隣に、副官らしき眼帯をした獣人族が馬を並べた。
俺はその獣人族の首を一刀の下に刎ね飛ばす。肉体に宿る膂力を遺憾なく発揮した。
悪人を殺す事への忌憚はない。ついに自ら手を下したが後悔はしていなかった。
眼帯の獣人の身体がドサリと馬上から落ちる。リーダー格の乱心に残る三人が困惑する間に、俺の方から馬を寄せて、利き手である右側にいた獣人を斬りつけた。
二人目が斃れ残るは二人。
「イカレちまったのかよアンタ! 人間どもに仕返しするってここまでオレらを引っ張ってくれたのに!」
知ったことか。吼える部下に突きを放つと、さすがに相手も剣でこちらの攻撃を受け流した。
俺は馬をさらに寄せ体当たりをする。と、挟むように反対から残るもう一人が俺に背中から斬りかかる。
わざと斬られた。
激痛が走ったところで憑依を解除する。いや、せざるを得なかったというべきか。
意識が元の肉体に戻ると、三馬身、四馬身と野盗の群れが遠のいていくのが見えた。
本来なら憑依された相手は意識を失うのだが、どうやら背中の刀傷の痛みが即座に野盗のリーダー格を覚醒させたらしい。
が、記憶は無い。自分が何をしたのかも解らず――
「な、な、何しやがるお前ええええええ!」
逆上したリーダー格は自分を背中から斬った部下の胸に剣を突き立てた。
残るはリーダーともう一人だけだ。
「先におっぱじめたのはアンタの方だろ! いきなり兄貴の首を刎ね飛ばしやがって……ゆるさねえ……兄弟を殺したアンタは絶対にゆるさねえ!」
「俺がそんなことするわきゃねえだろおおおおお!」
野盗同士の剣と剣が火花を散らす。あとは好きなだけ殺し合ってくれ。
馬車は無事、野盗の一団を引き離すと森を抜けた。
遠くに海を抱く三日月状の湾が見える。潮の香を風が運んできたところで。
「こ、このくせ者! 成敗いたす!」
御者が腰の短剣を抜いて、客車の天井に張り付いたままの俺に斬りかかってきた。
「こ、これは誤解だッ! というか俺のおかげで助かったんじゃないか?」
「野盗どもが勝手に同士討ちを始めただけであろう!」
紳士の目は血走っている。俺は飛び降りるより他無かった。
というか落ちたという方が正解だ。御者の老紳士の短剣においやられ、墜落した刹那――
客車の中で怯えていた亜麻色の髪の少女と、窓越しに一瞬だけ視線が合った。
手足を縮めて草原を転がる。柔らかい土の地面にも助けられ、あんな無茶な降車をした割りに無傷である。
街道に一人ぽつんと、俺は取り残されたように立っていた。
後方の森から追ってくる野盗の姿もない。共倒れかどちらかが生き残ったにせよ、もう馬車を追いかける余力はないだろう。
俺は土と枯れ草まみれになったマントや服をパンパンと叩く。
「見返りなんか求めないさ」
俺を振り落とした黒塗りの客車の背が遠のいていった。無事、町にたどり着くだろう。
自分を守るために憑依を使った時も後悔は無かったが、今回はなぜだろう……何も得られていないのに、不思議と悪い気はしなかった。