独りの旅路
安宿で一泊すると、翌朝、朝陽を背に王都から西へと伸びる街道に出る。
食事をするにせよ屋根のある場所で眠るにせよ、世に出ると金がかかると思い知った。
学園の寮生活が懐かしい。
街道を独り歩く。緩やかな丘陵を上がり振り返れば、遠くに城壁と掘りに囲まれた王城が見えた。
立ち止まる。孤児院は小さすぎてわからない。
自由を得た。そう思うと同時に、隣にいつもいてくれたチリチリ赤毛に眼鏡の少女の、そばかす混じりの笑顔が無いと気づく。
「もうエレナとはさよならだな」
城にいるのは本物の王女様だ。
復讐よりも先に、俺はまず俺自身の力で生きていかなければならない。
王都から南西へと抜ける街道を進めば、半日ほどで貿易と商業の港町――ラポートにつく。
宿屋の店主に聞いた話だと、ラポートは人とモノと金が交ざり合う賑やかな町らしく、冒険者ギルドは王都よりも活況だそうだ。
冒険者の登録申請は王都ではなくラポートですることに決めた。
爽やかな風を頬に受け、マントをなびかせると俺は再び歩き出した。
しばらく進むと道が二つに分かれていた。目の前には鬱蒼と茂る森がある。街道は森をぐるりと迂回するように続いていた。
まっすぐ森を抜ければ大回りせずに済みそうだ。王都近郊は魔物も弱く、遭遇しても切り抜けられるだろう。
怖いのは地域によって強さがある程度一定になりがちな魔物よりも、魔人族や亜人種……それに人間だ。
亜人種は人間に近いが獣のような外見的特徴を持っている。王都のあるこのパゲア大陸では下級人種として扱われていた。が、その身体能力や生命力は人間以上だ。逃げ出した奴隷が犯罪に手を染めるなんてことは、よくあることだと学園で習ったものだ。
ついでに言えば、長命で莫大な魔法力を持つ魔人族にとって、人間も亜人種もまとめて下級というか、下等生物らしい。
悪魔の語源も彼ら魔人族である。人間が恐れる超常的な存在だ。ただ魔人族は個体数が人間ほどに多くはないことと、魔人族同士で縄張り争いをするおかげもあって、人間は彼ら“上位種”との全面戦争を回避できている……と、これも授業で聞いた話である。
また、魔人族にとっては大気中の魔法力が少ない場所は住みづらく、人間にとって高濃度の魔法力は肉体や精神を侵すため、棲み分けもできているのだとか。
時折、大気中の魔法力が薄い場所に酔狂な魔人族が住み着くこともあるというのだが――
まさか王都のお膝元にはおりますまい。
腕試しも兼ねて俺は森を突っ切る道を選んだ。
鬱蒼と生い茂る木々のトンネルを歩く。
さっそく俺の目の前に、角の生えた大きなウサギが三匹現れた。一匹が中型犬ほどのサイズで、愛らしいふわふわな姿と裏腹に槍のように鋭い角の殺意が高い。
とはいえ、こちらも名門メイティスにて実戦に近い訓練を三年間続けてきたのだ。
魔法で顔や姿が変わっても、身のこなしはこれまで通り。
まあ、しばらく収監されている間にやつれはしたが、むしろ身体は軽く精神は研ぎ澄まされている。
角ウサギが三匹同時に動いた。
先行する二匹の突進をかわして、最後の一匹に初級雷撃を叩き着ける。
甲高い悲鳴を上げて角ウサギは動かなくなった。その身体が光に溶けて消え、角だけが残る。
魔物について研究は進んでいるが、その土地に湧き出た魔法力が生き物を模した存在――という説が有力だ。
残る二匹も雷撃で倒す。と、自然と俺は拳を握って声を上げていた。
「っしゃああああああ!」
学園ではクラスメートたちに負けて当然と諦めていたが、落ちこぼれない程度には修練を重ねてきたつもりだ。
相手が最弱レベルの魔物だったとしても、勝利は勝利。戦利品のウサギの角を道具袋に放り込んだ。
冒険者ギルドに登録すればギルドで買い取ってもらえるだろう。まあ、いくらくらいになるかはわからないが……。
この調子なら案外苦労せずに、冒険者家業で暮らしていけるかもしれない。
と、思っていたのもつかの間――
森に棲息している魔物は角ウサギだけではなかった。そう都合良く、ウサギばかりと戦えないものである。
ワイルドボア――
ロバほどの体長の猪だ。牙だけで十分凶暴そうなのに、こいつも角が生えている。
この森の魔物には、頭に角が生えていなければいけないというようなルールでもあるのだろうか。
ともあれ、俺は命からがら大木に登って三十分ほど、幹が突進で折られないことを樹上で祈り続けた。
上から何度か初級雷撃を放ったが、ワイルドボアの動きを一瞬止めるのが精一杯である。どうにも雷撃が通じにくい。
憑依能力を試すには、木の上はリスクが大きい。肉体を悪魔に任せると飛び降りかねない。それに王都で野良犬に試したが不発に終わったことも考えると、魔物には恐らく通じないだろう。
ワイルドボアが突進する度、大木がぐらりぐらりと揺れる。木の幹は牙と角で樹皮が剥がされ穿たれた。
俺の胃にも穴が空きそうだが、さすがに大木をなぎ倒すことはできず、こちらも魔法力が回復する度にワイルドボアに雷撃の嫌がらせをしたこともあって、退散させることに成功した。
不機嫌そうに鼻息を荒げながら、森の奥へと引き返していくワイルドボアに俺は安堵する。
解っていたことだが、付与術師は単独行動向きではない。
とっととラポートの町で冒険者登録をして、伴に戦う仲間を見つけないと話にならない。
ただ――
俺はこの先、誰かを信じられるだろうか。親に捨てられ、孤児院という家族を失い、親友と思っていた男に裏切られた。
もっとも信頼していた少女との絆を信じたいと願う気持ちが、この数日の間に揺らがなかったと言えば嘘になる。
冒険者として名を上げるならパーティー参加は避けられない。
見ず知らずの人間に命を預けられるだろうか。
そんな事を考えているうちにワイルドボアの気配も完全になくなり、森は静けさを取り戻した。そろそろ地上に降りようかと思ったところで――
いくつもの馬蹄の音と、車輪の転がる音が遠くから近づいてきた。