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祝杯と采配

 ソフィアさんの言葉が心に残る。


「旅人の貴方には関係ない……か」


 俺は王都の下町にある酒場のカウンター席で少し早めの夕食をとりつつ、ぽつりとこぼした。


 賑やかな店内は噂話で溢れている。


 逃亡中の大罪人についての話題のほかに、衛兵隊の詰め所で刃傷沙汰があったなんて話を耳にした。


 この地区を任された兵士長が部下に襲われたのだとか。襲った部下もその場で御用となったらしい。


 もともと薄氷の上にあるような人間関係だったのだろう。俺が軽く背中を押した途端に二人仲良く不幸になった。お似合いな末路だ。


 俺がやったことに誰も気づかない。


 こうして姿を変えた今、王都に潜伏するだけならばさほど難しくはなさそうだった。


 復讐の相手――ジェームスがいるのだから、わざわざ離れることもないだろう。


 やつから全てを奪う。地位も名誉もその命も。


 手段だってある。


 だが、それでも警備の厳重な王宮は遠かった。


 俺はまだ憑依能力を使いこなせていない。


 肉体から意識が離れている間に、俺の元の身体を勝手に動かす存在は、そもそも制御可能なのかもわからない。


 悪魔(デーモン)――


 勝手にそう名付けたが、あながち間違ってはいないと思う。憑依の力は復讐を囁く悪魔だ。


 ふと、給仕の少女と酒場の常連とおぼしき若い男の会話が耳に入った。




「なんでもエレナ王女様が婚約するみたいですよ?」


「へー。やっぱりお相手は助けてくれた王子様ってやつ?」


「女の子にとって素敵な殿方はみんな王子様ですからねー。あっ! 確かお相手は貴族のおぼっちゃまらしいです。これで王女様も元気になってくれるといいですよねー」


「じゃあじゃあオレにいつも元気をくれるキミにプロポーズしちゃおっかなぁ。オレのこと王子様って呼んでくれてもいいんだぜ?」


「やだもぅ! はい、おかわりの麦酒ね! お客さんの元気の源はあたしじゃなくてこっちでしょ?」




 婚約の話は本当だろうか。だとすればエレナの相手はジェームス以外、考えられない。


 俺は自然と右手の小指を反対の手で庇う。


 エレナとの絆は切れていないような気がする。


 信じたいという願望以上に、今、こうして無事でいられる事が証明だった。


 俺が検問を素通りできたのも、エレナが変身の指輪の事を、他の誰にも話していないからだ。


 手配書はアルフレッドの姿で出回っている。


 だが、ならばどうして王女は大罪人に恩赦を与えることをしなかったのか。


 俺が“何もしなかった”と真実を公表してくれないのか。


 できない理由があるにせよ、確かめるには直接彼女に会うしかない。


 憑依能力を使っても宮廷に入りこむのは容易ではないだろう。不確定要素が多すぎる。


「会うなら堂々と……だよな」


 つい言葉が漏れた。


 今の俺はどこの誰でもない。過去のしがらみも後ろ盾も助けてくれる人もいなかった。


 そんな俺でも、なるつもりのなかった冒険者として名を上げることで、国王から貴族の身分を賜ることが夢ではないのだ。


 英雄も歴史を紐解けば元は流浪の冒険者だったりもする。


 偉人たちと自身を同列に語るなんておこがましいにもほどがある。


 とはいえ――


 憑依の力を使えば成し遂げることは可能なはずだ。他に道は残されていないように思えた。


 日焼けした浅黒いスキンヘッドの店主が、カウンター越しにグラスを磨く手を止める。


「お客さん、見ない顔だけど東から流れてきたのかい?」


「どうしてそう思うんだ?」


「旅人だって呟いてましたし、なにより髪の色に目の色が違いますから。ここらじゃちょっと珍しいですしね。けど、東方からの旅人さんにしてはマントも服もまるでおろしたてみたいで……つい気になっちまって」


 グラスを手にしたまま店主の視線がじっと俺を見据える。


「で、いったい誰に会うんですかい?」


 店主は人なつっこく笑った。


「服は前のがボロボロになったんで王都で新調したばかりなんだ。会いたい人とは会えずじまい。気づいたらこの席に流れ着いてた」


「そいつは残念でしたね」


 店主はまるで自分の事のように眉尻を下げた。そのまま続ける。


「いやねぇ私はずっと王都暮らしなもんで、だから船で遠方から来られたお客さんの話を訊かせてもらうのが大好きなんですよ。港のあるラポートから王都を訪れる人は多いですし、居ながらに世界旅行してる気分になるんです。故郷の話を聞かせてくださいよ。なんでも東方だとサムライとニンジャが覇権を争ってるって聞きますし」


 聞いたことがない話だ。下手な嘘は吐かない方が身のためだな。


「悪いけど東の事は俺もよく知らないんだ」


「おや、じゃあどちらのご出身で」


「実は俺も王都を出たことがないんだよ」


 店主はグラスを置いてスキンヘッドを撫でると困ったように愛想笑いを浮かべた。


 「それならいっそ気分転換に旅に出てみるのがいいんじゃないですか? 旅支度は済んでるようですし。こいつは私からの餞別です。さあぐいっと!」


 麦酒がなみなみ注がれたジョッキが俺の前にドンッと置かれる。


 酒は苦手だが気の良い店主の手前「飲めない」とも言いづらい。


 それに確かめておきたいこともあった。


「ありがとう。いただくよ。新たな人生の旅立ちに乾杯だな」


 麦酒に口をつける。一口、二口と飲み下す。喉を通る度に苦みを覚えた。が、奇妙な動悸や身体の芯が火のように熱くなることはない。


 あとは勢いで一気に腹の底へと琥珀色の液体を流し込んだ。


「おお! 良い飲みっぷりで。そうだ、旅から戻ってきたらその時は、冒険の話をたんまり聞かせてくださいよお客さん」


「ああ、約束する。必ず帰ってくるから」


 食事の代金を払うと俺は酒場を出た。




 外に出るとすっかり日も暮れて、見上げれば星々が瞬いていた。


 真実を知り復讐を果たすには今の俺ではジェームスに届かない。


 冒険者として名を上げ英雄になる。何もかも失った俺が宮廷に招かれる方法としては、これが今取り得る最適解だ。


 右手の小指が締め付けられるようにうずく。


 復讐など忘れて気楽に旅を。


 王女ではなく冒険者になりたがっていた赤毛のエレナの分まで……。


「ダメだ……それじゃあ」


 拳を握り込む。奪われたものを仮に全て奪い返せたとしても、もう元には戻らないのだから。

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