☆決別と軽蔑
王都の外れにある孤児院は、農村へと続く道沿いにぽつんとあった。
元は古い修道院だったのだが、偉大なる神の恩寵から省かれてしまったような暮らしぶりだ。
壁は崩れたまま補修すらままならず、子供たちを満足に食べさせることもできない。
吹けば飛ぶような孤児院に王都の衛兵たちの姿があった。
俺は孤児院のはす向かいに建つ穀物倉庫の壁に背中を預けて、なんとなしにそちらを見る。
ここに来るまで巡回する衛兵ともすれちがったが、誰も俺のことなど気にも留めなかった。
大の男が四人で院長のソフィアさんを取り囲んでいる。
聖堂教会から派遣された若いシスターで、俺にとっては母親代わりというよりも姉のような存在だった。学園は全寮制だったこともあり、この三年間で孤児院の手伝いに顔を出せたのは、年に一~二度。ソフィアさんの顔を見るのは去年の夏以来だった。
獄中の俺にパンを届けてくれたのもソフィアさんなのだろう。
こんな形での一方通行な再会になるとは予想もしていなかった。
衛兵の一人がソフィアさんに詰め寄る。
「よぉ姉ちゃん。嘘や隠し立てはあんたの……いや、この孤児院のためにならんぜ?」
「調べていただいた通りです。ここにアルフレッドは戻っていません」
俺の出生についてはメイティスに問い合わせればわかることだ。逃亡犯が育った孤児院に戻ってくるという読みも当たっている。
ガラの悪い衛兵が乱暴にソフィアさんの胸ぐらを掴み上げた。
「他にあの極悪人が行く場所なんてねぇんだよ! さっさと吐きやがれ!」
恫喝する男の肩を、上司とおぼしきカイゼル髭の兵士長が軽く叩く。
「やめないかね君。しかしお嬢さん、今、この孤児院は存続の危機にあるということを、ご理解いただけないだろうか」
ソフィアさんは怯えた瞳で「わかっている……つもりです」と力無く呟いた。
兵士長が髭を指でつまんで撫でる。
「つもりでは困ります。捜査への協力は国民の義務ですからね。逃亡犯について情報を伺うために、こちらとしては貴女に出頭を要請できるんですよ。もちろん聖堂教会からも許可はいただいております」
「三日も尋問すれば、どんな強情な女でも素直になるぜ」
最初に恫喝した衛兵が下品に笑う。それを兵士長は咎めなかった。ソフィアさんが首を小さくイヤイヤと左右に振る。
「そんな、三日も孤児院を空けたら子供たちだけでは暮らしていけません」
怯えるシスターの腕を下卑た衛士が掴んで引いた。
「まあガキはガキ同士、大人は大人同士で楽しもうじゃねぇか」
王都の治安を守る人間のセリフとは到底思えない。
「放してください! 孤児院の中は隅々まで調べたじゃありませんか!?」
建物のドアや窓の隙間から、怯える子供たちの視線がソフィアさんに注がれる。
「出て来ちゃだめよ! ここはお母さんに任せて!」
ソフィアさんはみんなを守ろうと必死だった。
俺は意識を衛兵隊の兵士長に集中した。
肉体の留守を悪魔に預けるのは不安だが、今は一刻を争う時だ。
憑依能力を起動させた瞬間――
ガラの悪い衛兵がシスターの胸を鷲づかみにする光景が。目の前に飛び込んで来た。
「おっと暴れるからいけないんだぜ? んげっへっへ神に仕える身のわりにゃあ、けっこう女らしい体つきしてんじゃねぇか」
俺は視線の端に黒髪の少年の姿をちらりと確認した。
「あは、あはははは、あはははは」
穀物倉庫のすぐそばで、悪魔はこちらを見ながら乾いた笑い声を上げていた。しばらくそこで大人しくしていてくれよ。
カイゼル髭を撫でつつ、兵士長になった俺は部下の男に告げる。
「それくらいにしておきなさい」
「げへっ? た、隊長、急にどうしちまったんです? 俺が脅して隊長が優しくする。それでどんな女も吐かせてきたってのに」
不満げに衛兵は自分からネタばらしをした。
「このお嬢さんの目を見れば嘘ではないとわかる。彼女は誰も匿ってなどいない」
「女は惚れた男のためなら平気で嘘をつく生き物でしょう? 隊長、あんたが言ったことじゃねぇですかい」
「いいからその手を離したまえ」
下品な衛兵の手首を掴んでソフィアさんから引き離すと、俺は彼女に一礼した。
「行きすぎているとは重々承知しておりますが、凶悪犯を捕縛するためにこのような方法をとったことをご容赦ください」
怯えて青ざめた顔のままソフィアさんは返答できずにいた。
「お詫びというわけではありませんが、どうか私から孤児院に寄付をさせていただけないでしょうか」
俺は隊長の財布ごとソフィアさんに渡す。受け取れないという彼女に「寄付するのは私個人の意志によるものです」と宣言する。
さらにソフィアさんに乱暴を働いた部下に告げた。
「そこで額を地面につけるつもりでシスターに謝れ。上司としての命令だ」
「そ、そんな無茶苦茶あるか! あんたおかしいぞ!」
「やれ。でなきゃお前をクビにしてやる」
実際にそんな権限があるかはわからないが、どうやら乱暴な部下は兵士長に弱味でも握られているのか、憎らしげに上司を睨みつけながらもソフィアさんに跪き「乱暴な真似をしてすみやせんでした」と頭を下げた。
この兵士長があとで下品な部下に背後から刺されようが、俺の知ったことではない。
「では、失礼します」
俺は他二名の部下を引き連れて、孤児院から最寄りの衛兵詰め所に向けて歩き始めた。
しばらくして、詰め所に続く橋の手前でフッと視界が白く染まる。
どうやら射程圏外だ。まあ、いきなりその場でぶっ倒れた隊長を衛兵たちも放置はできんだろう。ぜひ詰め所まで運んでいってやって欲しいものだ。
さて、俺の意識は元の肉体に戻ったのだが、先ほどまで穀物倉庫の壁際にいたはずなのに、俺の身体は孤児院の戸口に立っていた。
目の前でソフィアさんが泣きそうな顔をしている。つい俺の口から声が漏れた。
「あ、あの……大丈夫……か?」
「さっきから何がおかしいんですか?」
ソフィアさんは怒っていた。
「おかしいって何が?」
「別に助けてほしいなんて思いません。けれど、私たちが追い詰められるのがそんなに楽しかったんですか?」
悪魔は笑いながらソフィアさんに近づいていったのか。まったくなんてことをしてくれるんだよ。
ソフィアさんが哀しげに眉尻を下げる。
「ああ……こんなお金なんて必要ないのに。あとで返しに行かなくちゃ……ともかく、もうここには近寄らないでください」
「な、なんならその金、俺がさっきの兵隊に返してこようか?」
「見ず知らずの方にお金を預けることはできません。持ち逃げされたら困りますから。こんな時、アルがいてくれたら……あの子、どうしてあんな事を……」
「あの、アルっていうのは」
「もう放っておいてください。旅人の貴方には関係ないことですから!」
俺の言葉を遮って告げると、ソフィアさんは涙を振り切るように孤児院の中へと戻っていった。
俺には関係ない……か。わかっていたことだ。俺はもうアルフレッドじゃない。
王都に居場所なんてどこにもないんだ。
大切な家族を失ってしまったような気がして、二度と出ないと思っていたはずの涙が自然とこぼれた。