☆離別とリベンジ ※復讐パートには「☆」を入れることにしました
天高く眩しく照らす太陽を見上げて目を細める。
本来なら俺の処刑が執行されている時刻だ。
こうして自由の身でいられている。俺は助かったのである。
王都を流れる運河の岸辺で水面に映る自分の姿を確認した。
黒髪黒目の凛々しい美少年である。右手の小指には指輪が嵌められていた。少女の薬指に合わせたサイズだったため、やや強引ながらも小指にねじ込んで今に至る。
身なりも囚人服ではなく、学園の制服や衛兵の制服、よっぱらいの上着など幾度かの“着替え”を経て、現在は店で揃えた冒険者風のマントに旅人の装束だった。
金は看守の財布から拝借した。今さら盗難の罪を足されても、死刑宣告のあとでは怖いものではない。看守が死刑囚たちの持ち物を売って得た金ならなおさらだ。
どうやらあの獄中で、俺の罪悪感は死んでしまったらしい。
さて、本来なら与えるはずの付与術師の俺は、結果的に相手の肉体を“奪って”しまったわけである。
この現象について俺は“未知の魔法もしくは技術に自力でたどり着いた”と結論づけた。
通常、付与術を使うにしても自身の生命を維持する程度の余力は残すものだ。
でなければ死んでしまう。それが常識である。
もしかすれば俺以外にも、この能力に目覚めた付与術師は存在したかもしれない。
が、彼らは歴史の影に隠れて表に出ることはなかったようである。
この「憑依能力」とも呼べる技は間違い無く、禁呪の類いだ。
脱獄してから酔っ払いや町の住人、冒険者に野良犬などで試した結果――
1.乗り移られた相手はしばらく意識を失う。前後の記憶も消失する。
2.動物など言語で意思疎通ができない相手には憑依できない。
3.射程はおよそ目が届き相手の顔が識別できる程度の距離まで。夜間や暗闇などでは射程が落ちる。元の肉体の目の届かないところに憑依した対象が移動すると強制解除される。(かならずしも視界に捉えている必要はない)
4.仮面で隠すなど顔を識別できない状態の相手には乗り移れない。
5.同じ相手に何度も使うことができる。
6.俺が憑依している間、俺の肉体は勝手に行動する。
大まかにわかったのはこのくらいだ。晩から朝にかけて、可能な限り検証を行った。
これから俺が別の人間として生きていくだけなら、必ずしも使う必要のない能力――
とはいえ理解しておくに超したことはない。
顔の見えない相手には仕掛けられないというのが最大の弱点だが、加えて問題となるのは最後の条件である。
俺の肉体を勝手に動かす悪魔は、大人しくしている時もあれば、そこら中のものを口にいれたり奇声を上げ出すなど、まるでハイハイを覚えたての赤子のようなのだ。
と、思考を巡らせていると町の人々がこぞって石橋を渡って行くのが見えた。
岸辺から上がって、俺はその一団に混ざり込む。
「何かあるのか?」
若い男が目を丸くした。
「あんた旅人さんかい? 公開処刑だってよ。いや怖いねぇまったく」
一瞬言葉に詰まったが、俺はこうして自由の身だ。そのまま町の人々に紛れて王都の中央広場に到着した。
絞首台に太った大男と、ひょろ長い白髪の男が立たされている。
片方は昨晩世話になった塔の看守だった。
もう一人は監獄長のバルナスである。塔を抜け出した俺は、バルナスに憑依して監獄の跳ね橋を降ろさせ衛兵の巡回も停止させた。見張りも詰め所で待機させて、誰にも見られることなく悠々と正面から出ていったのだ。
二人には直筆で、囚人への虐待や所持品の横領と黙認したことへの謝罪文を書かせ、二人それぞれの机の引き出しにしまっておいた。
昨日の今日で略式裁判すらスッとばして処刑というのも、逃がしたのが国家反逆罪の少年だからだろう。
「い、嫌だ! オレぁ死にたくねぇ! 何も覚えてねぇんだ許してくれ!」
「ふざけるなこの裏切り者! 貴様のせいでこんなことになったんだぞ!」
「なんだよテメェだって“売り上げ”の半分を懐に入れてたじゃねぇか! つーかアレだ! こ、こいつの指示だ! 全部バルナス監獄長が、あの死刑囚のガキを逃がせって言ったから、オレは言う通りにしただけなんだよぉ!」
「牢屋の鍵を開けたのは貴様ではないかッ!!」
責任のなすりつけあいになるも二人の処分が覆ることはなかった。
「お前らも国家反逆罪の片棒を担ぐ気かー!」
「ふざけんな死ね! 死んでわびろ!」
「凶悪犯を逃がすなんて何考えてるのよ!! うちの娘が襲われたらどうしてくれるのさッ!!」
世界は罪を許さない。俺も法廷で同じ思いをしたが、こいつらに同情心は湧かなかった。
執行人が麻袋を罪人たちの頭にかぶせる。もごもごと何かをうめきながら訴える看守と監獄長だが、集まった人々の怒声が最後の懇願をかき消した。
首に縄がかけられ、慈悲の入りこむ隙間もなく、作業的に絞首台の足下の床がパタンと落ちる。
まるで腐りかけの果実がブラブラと枝から揺れて落ちるように、二人の身体は宙を数回行き来すると動かなくなった。
集まった人々は悪人の死に黒い欲望を満たしたようだ。
二人を殺したのは俺である。だが、何も感じ無い。達成感もなければ心が痛むこともない。
後悔もしていなかった。むしろ、監獄長が看守と同じ穴の狢だったおかげで、俺は堂々と監獄を出ることができたとさえ思う。
果たして監獄長が公明正大な人間だったなら、俺は今と同じ選択をしただろうか。
広場を独り離れる。
行く当てもなく町をさまよい歩くうちに、足は自然と王都の端にある孤児院へと向いていた。
途中、何度か検問があったのだが、手配書の人相書きや身体的な特徴の不一致で、どの検問所でも素通りである。
髪の色くらいは変えられるかもしれないが、かつて茶色かった俺の瞳は、今は黒曜石の如く黒々としていた。