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☆復讐の終わり

 エレナが落ちる。俺は瞬間、憑依能力を発動させた。


 視界が白くなると同時に、背中が重力に引っ張られる。欄干に足を引っかけて、エレナになった俺はなんとかふんばった。


 が、欄干に干されたような格好だ。身重というのは文字通りで、ここから腹筋を駆使して起き上がることもできずにいた。


 仰向けにぶら下がったままの(エレナ)を黒髪の少年が掴んで引き起こす。


 (オメガ)だった。


 普段は虚空を見上げて笑ったり意味不明な行動をする悪魔(デーモン)が、エレナの身体を担いで部屋に戻るとベッドに仰向けに放り投げる。


 表情は冷たく、まるでエレナを物のように扱った。オメガは礼服の襟をゆるめて脱ぎ捨てる。


「おい待て! お前いったい何者なんだ!?」


 すぐに元の肉体に戻れば悪魔を追い出すことはできるだろうが、明らかに“気配”が普段とは違っていた。


 悪魔が意識があるように行動したのは、過去にも一度きり――女道化師の魔人族との戦いでジェームスに「そいつはお前を救わない」と告げた時以来だ。


 悪魔は言った。


「エレナ……好きだ……ずっとずっと好きだった。お前も俺のことを愛していたはずだ。もう一度結ばれよう」


 愛おしそうに慈しむような眼差しで悪魔は告げる。俺は身をよじり手足をばたつかせた。


「俺はエレナじゃない! もう一度訊く。お前は何者なんだ? 何が目的で俺の身体を勝手に操るんだ!?」


 男の腕で両肩をベッドのマットレスに押しつけられて、身動きが取れなくなった。


 黒髪の少年は嗤う。


「俺はお前さ。エレナと出会ってからずっと、秘め続けてきたお前自身の感情だ。エレナを愛したい……エレナと結ばれたい……エレナを汚したい……エレナを自分だけのものにしたい。お前が認めない自分自身だよ」


「そんなわけ無い! 俺が……そんなこと思うなんて……」


「だったらなんでエレナの元に戻ってきた?」


「真相を知るためだ。ジェームスに復讐するためだ!」


「復讐ならとっくに終わってるだろう」


 オメガはエレナの膨らんだ腹をなで回す。


「きっとエレナの事だ。お前の子を宿したとわかってすぐに、ジェームスとも関係をもったに違いない。お前の子をジェームスの子だといって育てるつもりでいたんだよ。これ以上の復讐があるか?」


 長いピンクブロンドを振り乱して少女は首を左右に振った。


「嘘だ……そんなの……証拠がないだろ!」


「証拠はなくともエレナは本気だった。でなきゃ身を投げるなんてことはしないだろ? お前が国家反逆罪に問われた時は、まだショックを引きずってたんだろうなぁ。それに未遂じゃなかったわけだし、お前を助けたくとも処罰するしかない。だからエレナは変身できる魔法の指輪を残したんだ。それがあればアルフレッドならきっと逃げられるって、信じてたんだよ。健気じゃないか?」


「俺は……エレナを傷つけてなんていない!」


 悪魔(オメガ)(エレナ)の耳元で囁いた。


「おめでたいな俺ってやつは。まあいいさ。ジェームスは自分の子供と思ってお前の子を育て王にするんだ。茶色い髪の子をな。その時、ジェームスはすべて悟るだろうが……まあ、その顔を直接拝めないのだけは残念だよ」


 (エレナ)の身体から魂が抜けたように力も抜けていった。


 悪魔は続ける。


「お前の欲しがってた記憶を返してやるよ。大切なモノを汚してしまった後悔と苦しみから自分の心を守るために、お前は俺に真実を押しつけて記憶を無くしたフリをしてきたんだ。さあ、戻ってこいよ。俺と一つになってあの夜のことを思い出したら、昏睡したエレナと楽しもうじゃないか」


 憑依を解いて肉体に戻れば(アルフレツド)はどうなってしまうんだ。


「悪魔め……」


「悪魔はお前だろ? 相手に乗り移って自由に操るなんて悪魔の所業だ。なあ、認めろよ。自分が良い奴だなんて思い込むのはやめちまえよ。お前に危害を加えていない仲間を魔人族との戦いで何人見殺しにした? 救えた人間だっていたはずだろ? それにリンゴだって騙している。最後には捨てるような裏切りだ。もったいないことをしたな。あの娘はお前が命じればなんでも“奉仕”するぜ? なんでそうしなかったんだ?」


「リンゴは巻き込めない! だからおいてきたんだ。あいつも俺に騙されていた被害者でいいんだよ。でなきゃ守れないんだ」


「きれい事ばっかりだな」


「それの何が悪い!?」


「まあ好きにしろよ。でだ……戻りたくないっていうならこのままでもいいんだぜ。身体はエレナなんだから」


 エレナのドレスの開いた胸元に黒髪の少年は手を掛ける。


「やめろッ!」


「止めてみろよ? 自分なんだから簡単だろ? アルフレッド」


 俺は憑依を解いて肉体に戻る。悪魔は消え去ると同時に、去り際に俺の記憶を残していった。




 卒業を控えた月夜の晩――


 学園内の庭園の片隅で彼女を汚した感触が甦る。


 彼女の吐息、彼女の肌のさわり心地、彼女の流した涙の粒までも鮮明に思い出した。


 許しを請うエレナを俺は力尽くで陵辱した。




 呼吸が荒くなり心臓の音が大きく感じられる。


 ベッドに押しつけるようにしたエレナは憑依を受けたショックで意識を失っていた。


「これを返しておいた方がいいかもしれないな」


 俺は右手の小指にはまった指輪に手を掛けた。


 だが、思いとどまる。まだ俺にはこの指輪が必要だ。


 もしエレナが俺との間に子を宿したというなら、ジェームスへの復讐は悪魔(デーモン)が言う通り終わっているかもしれない。


 このあとエレナがまた飛び降りるようなことがあっても、ジェームスの立場はなかった。婚約と懐妊報告の祝宴の夜に、王女が自殺だなんて王家の顔に泥を塗る以上のことだ。


 俺が願った通りになるじゃないか。


 ジェームスが絶頂に登り詰めた瞬間に全てを奪う。


 もう何もせずともそれがかなうのだ。


 だが……。


「エレナ……どうか死ぬなんてことだけはしないでくれ」


 自分勝手はもう俺は彼女の机にあった筆記具を使い、。


 あの日の夜、俺がどうかしていた原因について、信じてくれとは言わないが……ジェームスから薬を盛られたことで過ちを犯してしまった。


 傷つけたことを謝罪し、俺を許さないでほしいと願い、もう二度と姿を現さないと約束する手紙を、彼女の枕元に残して部屋を出た。


 もう振り向くことはなかった。




 決着をつける必要があった。


 俺はパーティー会場に戻る。リンゴはまだ眠ったままだ。


 宴の始まりからしばらく、ようやく会場にジェームスが姿を現した。


 彼は挨拶のために登壇する。集まった人々の視線を一身に集めたところで、俺は壁際のソファーに腰掛けるとジェームスに憑依した。




「本日はよくお越しくださいました。今日は皆様に告白しなければならないことがあります。私の罪の告白です」




 会場の空気が凍り付くのをよそに、ジェームスはその口から罪を吐き出した。




「友人だった少年に錯乱の薬を飲ませ、エレナ王女を襲わせたのです。未遂と発表しましたが、私が二人を見つけた時にはすでに手遅れでした。ですが、傷心の王女につけいることは実に容易だったのです。彼女の心の隙間に入りこみ、私はこの地位を得たのです」




 不思議なことに、俺の肉体は笑い声を上げることもなく、勝手に動き回ることもなかった。


 目を閉じ静かに、まるで眠ったように座ったままだ。


 その間も俺はジェームスの口を動かし続けた。


 来賓たちの引きつった表情が滑稽で、祝賀ムードをぶち壊したことに俺は人生で最後の歓喜を覚えた。




 話し終えると同時に金髪碧眼の美丈夫は倒れ、水を打ったように静かだった会場がざわめきだすと俺はソファーから立ち上がった。


 混乱が大きくなる前に会場を出る。


 途中出くわした兵士には「ジェームス様が倒れられた。会場はパニックになりつつある。応援を頼む」と適当に言いくるめる。


 入るために階位を上げ貴族にまでなった王宮も、出るのは至極簡単だ。


 城門を抜け外に出る。


 ジェームスはどうなるだろう。


 エレナはどうするだろう。


 正気を失ったジェームスの狂乱がどこまで取り沙汰されるかはわからない。


 王家の体面を保つために、二人は無理にでも結ばれることになるのだろうか。


 そうでなければジェームスの告白は事実だったと認めるようなものだ。


 疲れていた。


 もう、ここにはいたくない。かといって帰れる家も俺にはないのだ。


 まるで脱獄した日を繰り返している気分だった。


 夜の町を歩く。王城のある中央区を抜けて大橋にさしかかると、そのちょうど真ん中で立ち止まった。


 川面に月が揺らいでいる。


 孤児院にも戻れない。ラポートのギルドにも行くことはできない。


 俺は右手の小指に嵌めた指輪をそっと抜き取った。


 暗くて自分の姿が川面に映ったかどうかもわからないが、黒髪黒目の少年(オメガ)は世界から消え去り、数ヶ月前に手配された茶色い髪の冴えない国家反逆罪に問われた大罪人に俺は戻る。


 冤罪を訴えて正義を勝ち取る事も考えたが、証明は難しいだろう。


 ジェームスが俺に何を飲ませたのかもわからない。


 それに……どんな理由があってもエレナを傷つけたのは俺なのだ。


「もう……疲れたな。そろそろゆっくり休みたい……」


 橋の欄干に登って立つ。


 水深はどれほどだろうか。このまま前に身体を倒せば楽になれるだろうか。


 いや、水死は苦しいらしい。楽には死ねないという話だ。


 俺には相応しいかもしれない。


 その時――


「ご主人様危ないです降りてください」


 少女の声が俺をこの世界につなぎ止めるように響いた。

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