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功と賞

 俺は女道化師の束縛と人間を操る蜘蛛の糸のような結界を解放した。


 それと同時にリンゴに憑依対象を移す。


 途端に女道化師の魔人族が悲鳴を上げた。


「ちょ! このアタシよりも操る力に長けた人間がいるなんて信じられないわ!」


 魔人族の場合、人間よりも精神力が高いためか俺が憑依を解除しても気絶することがない。


 状況もある程度認識できているのがやっかいだ。


 再び結界を張られる前に――


 俺は憑依したリンゴの力を引き出した。すでに彼女は窮地に追い込まれて銀髪の本気モードになる寸前だ。


 赤毛は白銀色に染まり、リンゴの身体に炎のような紋様が浮かぶ。


 俺はリンゴの身体を借りて一気に魔人族の懐に飛び込んだ。


「無駄よ! このアタシは不死身だもの!」


 どうやらこちらの一撃を受けてから結界を貼り直そうというつもりらしい。


 俺が女道化師の弱点を探ったこと自体には、気づいていないようだ。


 上段回し蹴りをする挙動をフェイントに使って、女道化師の意識を首から上に向かせてから、俺は蹴り足を宙でぴたりと止めると、叩き着けるように道化師が操る人形にかかと落としを食らわせた。


 ズシャッ……と人形が地面に埋没するようにして砕け散る。


「嘘……でしょ……どうして……アタシの……」


 文字通り糸の切れた操り人形のように道化師の肉体が地面に崩れおち、弱点のある人形がキリのように雲散霧消した。


 魔人族が完全に蒸発すると、そこに残されていたのは拳大の大きさの黄色い宝石だった。


 すぐにリンゴから意識をオメガの肉体に戻す。


 戻れるのか不安に思ったのだが、すんなりと俺は自分の身体のコントロールを取り戻した。


 リンゴも力を出し切ったようにその場に倒れ伏す。


 直後――


「すげえぞ嬢ちゃん!」


 Aパーティーのリーダーが倒れたリンゴを抱き上げた。


 本来は俺がすべきことだが、今の戦いで精神力を使い切ってしまったのか俺も意識がもうろうとしてきた。


 魔人族への憑依は奥の手だが、消耗の激しさは人間相手のそれとは比べものにならないな。


 意識は闇の底に引きずり込まれるように途切れた。




 気づくとそこは野営地で、俺はまたしてもリンゴに介抱されていた。


「あ! ご主人様お目覚めですね。おはようございます」


「おはようって……星空じゃないか」


 俺は敷布の上で寝かされていた。相変わらずの膝枕である。視界の半分以上はリンゴの大きな胸に塞がれていたが、瞬く星とパチパチと爆ぜる焚き火の音で、ここが野営地と理解できた。


 かすかに声が聞こえる。Aパーティーのリーダー格だ。


「なあ坊ちゃん。こっちもプロだ。今まで死んでいった仲間の数の方が多い。けどな……こいつは良い奴だった。自分の傷よりも他の誰かの痛みに敏感でな。あんたにとっちゃ雇ったうちの一人で他人だろうけど、弔う言葉が『いくら欲しいんですか』はないだろ」


 首を横に倒すとAパーティーのリーダーがジェームスに詰め寄っていた。


「契約の倍支払うだけでは不満ですか?」


「そういうこっちゃねぇんだボウズ。大将があんな情けない声を上げやがって」


「ならどうすれば良かったというのです? 誰だって自分が生き残りたいと思うものでしょう」


「おめぇは人の上に立つ器じゃねぇな。金は契約の時のままでいい。仲間の死を利用した人間なんて思われたくねぇ。こいつは誇りの問題だ」


「クッ……」


 饒舌なジェームスも形無しだ。Aパーティーのリーダーは吐き捨てるように告げた。


「ほんと救えねぇよ。ガキが」


 いくらギスギスしようと俺には関係ない。


「なあリンゴ……もう少し眠りたい」


「はいです。ご主人様はリンゴがお守りしますから、ゆっくり休んでくださいです」


 まぶたを閉じると眠りはすぐに訪れた。顔も知らない母親の手でゆりかごを揺らされている赤子のような、そんな心地よさがあった。




 翌朝になり女道化師の領域だった荒れた街並みの全容が太陽の下に晒された。


 一晩ゆっくり眠って快復した俺には眩しい光景だ。


 灰色の大地は元の色を取り戻し、廃虚を覆う不穏な空気は微塵も残っていなかった。


 (まつりごと)はさっぱりだが、素人目ながら人の住める町を再興できそうだ。


 王都への帰りの馬車は三人きりだ。


 俺とリンゴとジェームスが客車に乗り、冒険者たちは北部の町に残った。ジェームスとは色々と折り合いがつかなかったらしい。


 リンゴは俺の肩に頭を寄せるようにして寝息を立て始めた。


 昨晩からずっと看病を続けてくれた分、まともに眠れていなかったのだろう。


 車窓を流れる景色をぼんやり眺めていると、対面の席に座るジェームスが口を開いた。


「オメガさんにうかがいたいのですが」


「なんだ?」


 素っ気なく返す。今のジェームスは任務を遂行し王宮に凱旋する立場だが、表情は暗い。


「あの時……道化の魔人族に追い詰められ、貴方が恐怖でどうにかなって笑い出したあとのことです」


 憑依によって元の肉体が悪魔(デーモン)に乗っ取られている状態は、俺がおかしくなったように見えるようだ。計算通りと言って差し支えない。


 無言で言葉を待つ俺にジェームスはうつむき気味になって続けた。


「私が救わないと……厳密に言えば、そいつは私を救わないと仰いましたよね」


「悪いがあの時は俺も錯乱状態で、よく覚えていないんだ」


「そうですか。いえ、ですが事実でした。アルフレッドが私を救うわけがない」


「アルフレッド? ああ、友人だったんだっけな」


「もし仮に、あの場にアルフレッドがいたとしても私を救ってはくれないでしょう。ですが貴方とリンゴさんは私を救ってくださった」


 顔を上げるとジェームスはじっと俺を見つめた。


「リンゴの手柄だよ」


「貴方が意識を失っている間に伺ったのですが、リンゴさんはオメガさんの合図であの魔人族の弱点に気づいたそうです」


 俺に体重を預けて静かに寝息を立てるリンゴは、そう口裏を合わせてくれたのか。


「いや……そのだな」


「おかしくなったフリをして道化の魔人族を油断させている間に、相手を観察してその弱点を見抜いた慧眼、恐れ入りました」


 ジェームスがそっと頭を下げた。式典などを除けばエレナ以外の個人にこんな態度を取るのを(アルフレツド)は見たことが無い。


「よしてくれ。恥ずかしい……まあ、上手くいったのもほとんど幸運だ。お前の護衛の三人が逃げた時、あの女道化師は逃がした。あれはおそらく人間を操る力の射程距離が、そこまで広くなかったからだと考えたんだ」


 頭を上げるととジェームスは目を輝かせた。


「なるほど。だから近づかずにいたのですか」


「それとお前が首を刎ねてリンゴが蹴りを心臓のあたりに叩き込んでも動いていただろ? 屍鬼は心臓が弱点ってのは、きっと罠だと思うんだ。あの廃虚の町を抜けてこられる冒険者なら、屍鬼の弱点も見抜いて攻略する。それを逆手にとったっていうわけさ」


 ふむふむとジェームスは俺の言葉に耳を傾け頷くのを繰り返した。そして首を傾げる。


「しかし、ではどうしてあの人形が本体とわかったのですか?」


「気づいてなかったかもしれないが、お前とリンゴが向かっていった時に女道化師は人形を背中側に隠そうという素振りを見せたんだ。本当にかすかな動きだけどな。向かっていった二人には気づけなくても、後ろで見てた俺には丸わかりだった」


 嘘である。が、もっともらしく言うと金髪碧眼の美丈夫は半分口を開けたまま「なるほど」と、半ば唖然とした顔つきになった。


「まあ、もし外れていたならおしまいだった。運が良かったなお互いに」


 会話を切るように締めくくると、ジェームスは首をゆっくり左右に振った。


「運ではありません。オメガさんの実力です」


 さらに前のめりになって俺の右手を包むように握る。


 布のミトン上から揉むようにして……。


「おや? 指輪かなにかを着けているのですか?」


「ん、ああ。まあお守りみたいなもんだ。それよりもういいか?」


 見せてくださいと言われるのが一番まずい。


「ええ。しかし小指にしているというのは珍しいですね」


 雲行きがおかしくなる前に話題を変えよう。


「で、報酬についてだが……」


 ジェームスは浮かせていた腰を再び座席に落とした。


「もちろんお二人の功績に見合うだけのものをご用意いたします。冒険者ギルドには魔人族討伐の功績を一つ、そして未来の王族の窮地を救ったことで一つ、特例を出させても二階位の特進をさせましょう」


「お前、未来の王族って……」


「私は今回の功績をもってエレナ王女と婚姻を結び、王家の一員になる予定です。もちろん準貴族たるオメガさんは貴族として取り立て、もしお望みでしたら領地として先ほどの町を安堵しましょう。王都から移民団と資材もご用意いたします」


 いきなり五青冒険者入りの上、望めば領主かよ。気前の良いことだ。


 まあ、一紅のリンゴが三黄になるのは喜ばしいことだ。


 彼女が独りになったとしても三黄であれば引く手あまただろう。


 俺はジェームスに笑顔で返した。


「俺なんかにはもったいない。婚姻おめでとうございます」


「声が固くなっていますね。そんなに緊張なさらないでください。お二人は恩人です」


「水を差すようで悪いんだが、一緒に戦ったのは俺たちだけじゃないんだ」


「そう……ですね」


 ジェームスから恨みのような感情の揺らぎを感じた。


「なあ、今よりもっともっと偉くなるのかもしれないけど、今回一緒に戦った連中や、途中で逃げた護衛のやつらを許してやったらどうだ?」


「なぜですか? 功には賞を与えるのが当然ですし、罪には罰が必要です」


 金色の柳眉がつり上がる。が、俺は吐息混じりに告げた。


「いずれ王国を導く立場になるお前にしてみれば、一介の冒険者なんてどうということはない相手だろ。それに苛烈な処罰を加えれば他の冒険者たちの反発も招く。例え逆恨みだろうと、人の恨みなんて買って得になることなんて一つもないんだ」


 ジェームスは顎に人差し指と親指を添えつつ呟く。


「わかりました。オメガさんがそう仰るのでしたら今回の件は不問にいたしましょう」


「まあ、いずれみんな解るさ。お前に説教や高説をたれる連中も、王女様と婚姻すると知ればお前が何をしなくとも背筋が凍るって」


 フッとジェームスの表情が柔和になる。


「オメガさんは私よりも策士かもしれませんね」


 俺は「策士は言い過ぎだろ」と笑って返した。


 これ以上、お前を恨む人間が増えては困るのだ。


 俺の恨みだけを抱いて沈んでもらうために。

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