報酬と報賞
ヒルダがチャイムで執事を呼び用件を伝えると、すぐにフルーツの盛り合わせが銀の皿に載せられてやってきた。
応接用のソファーに座って、テーブルの上に置かれた銀の皿の上に並ぶリンゴが葡萄や柑橘を目を輝かせる。
「ごひゅひんひゃまぁ~リンゴはしあわせなのれす~」
「口にものをいれたまま喋るのはお行儀が悪いぞ」
「ごめんなさひぃ~」
「いいからゆっくり食べてくれ。リンゴががんばって巨人の魔人族と戦ったご褒美だから」
「ふぁ~いれす」
終始、口に果物が入ったままだ。最初に出会った時と比べてリンゴはずいぶんと表情も豊かになった。
これが本来の彼女なのだろう。
リンゴが果物に夢中の間に、難しい話は俺がつけることにした。
執務机に掛けて事情を訊く姿勢のヒルダに顛末を語った。
もちろん、俺が魔人族に「憑依」して弱点を知ったことなどは伏せなければならない。
俺は大陸帰りの冒険者三人組と意気投合した。
彼らとともに試しにパーティーを組むことにした。
そこで盾として扱われているリンゴと出会った。
化石の森で銀狼牙狩りをする中、リンゴを道具として扱う彼らに反感を抱いた。
付与術士の俺が加入したことで、実力を見誤った冒険者三人組は森の奥へと進もうとする。
俺は撤収を提言したが、彼らは聞き入れなかった。リンゴの事も心配で、ついていくことにした。
そこで銀狼の飼い主である巨人の魔人族と遭遇した。そこで――
「どうやってそんな強力な魔人族を倒したんですか?」
ヒルダの眼鏡の向こうにある瞳が、じっと俺を見据える。
「俺も巨人に掴まれて身動きが取れなかったんだが、リンゴが助けようと必死になってくれた。彼女には武闘家としての素晴らしい素養があったんだ」
「獣人族の方だと、武器を扱うよりも手足を駆使する戦い方を得意とする場合ってありますけど……冒険者でもなく訓練も受けてなかったわけですよね?」
ギルド長の視線がフルーツを両手に笑顔を絶やさないリンゴに向いた。
「やっぱりリンゴは林檎が一番大好きなので、食べるのは最後にしてあげるです」
赤い林檎を手に彼女はチュッと唇でマーキングした。
美味しいモノは取っておく派のようだ。
ヒルダは無邪気な少女から俺に顔を向け直す。
「リンゴ自身はわかってないようなんだが、恩を受けた人間に尽くそうとする性格を付け込まれて奴隷にされていたんだ。元々備わっている腕力や跳躍力なんかは、かなりのものだったんだ」
説明の途中にもかかわらずヒルダは小さく頷いた。
「つまり奴隷として扱われていたリンゴさんが不憫で、優しくしたところすっかりご主人様と慕われてしまった……と。なんだかオメガさんらしいです」
「あ、ああ……そんなところだ」
「リンゴさんに才能があったとして、それに愛の力が組み合わさったとしても魔人族は倒せませんよ?」
「あ、愛……だと? いや、その……」
「なんでオメガさんが口ごもって困り顔になって若干ほっぺたが赤くなるんですか?」
ヒルダがイタズラっぽく口を尖らせる。俺は咳払いをしてから返した。
「ともかくだ、巨人に捕まった状態でも付与術はできる。三人組の冒険者が倒され、残ったリンゴは俺を救おうと巨人の魔人族に突撃した。俺は彼女に付与術を使った。リンゴが魔人族の股間を蹴り抜いた……で、倒したというわけだ」
驚いたように半分口を開けたまま、ヒルダが眼鏡のつるを指で押し上げるようにする。
「たまたまタマタマが弱点だったところに、オメガさんの付与術で倍加した攻撃が必殺の一撃となって叩き込まれたんですね」
「女性の物言いとしてはどうかと思う部分はあるが、概ね今、ヒルダが言った通りだ」
ヒルダは席を立つ。と、応接ソファーで最後に残した赤い林檎に頬ずりするリンゴの元に歩いていって、膝を畳んで視線の高さを獣人族の少女に合わせて訊く。
「魔人族の股間を蹴ったって本当ですか?」
リンゴはぽかんとした顔で俺を見つめると、首を傾げた。
「えっとえっと、よくわかんないです」
すかさず俺はフォローを入れた。
「リンゴもあの時は集中していて、我を忘れていたみたいなんだ」
俺に憑依されていた時の記憶はリンゴにはない。
ヒルダはリンゴの青紫色の瞳をのぞき込んでから「本当の事みたいですね」と、納得した。
それから先は報酬の話となった。
今の冒険者ギルドの金庫には、買い取りできるだけの蓄えがないとのことだ。正確に言えば支払いは可能だがギルド運営資金が底をついてしまうという。
そこでヒルダから現金での分割払いが提案された。売却のための手数料をさっ引いても、一人慎ましやかに生活するだけなら余生を過ごせる額にもなるとか。それを元手に商売を始めるなんてこともできるという。
もしくはラポートの町でギルドが所有する不動産での報酬というのもあるらしい。家ができるのだ。孤児だった俺に帰れる場所が……。
だがそれよりも最後の項目が俺の心を揺さぶった。
「あのアメジストを国に納める……だって?」
ヒルダはゆっくり首を縦に振った。
「ギルドに売却するよりも額は減っちゃいますけど、ちゃんと王国から報賞がでます。それに働きに見合うだけの称号も授与されますよ。王に仕える騎士と同等の士爵位とかですけど。そうなればオメガさんは準貴族の仲間入りですね」
「貴族ってことは王宮に出入りできるのか?」
つい詰め寄ってしまった。困ったように眉尻を下げつつヒルダが俺に「どーどー。落ち着いてください」と言う。
「準貴族ですから園遊会とか……そうそう、近々行われるかもしれないと噂の、エレナ王女様の結婚披露宴みたいな大きな行事には呼ばれるかもしれませんね」
噂が膨らむだけなのか、本当にそのような動きになっているのか、外側からでは何も情報がつかめない。
焦る気持ちばかりが膨らんでいった。
ヒルダは続ける。
「あとはなにか特別な用事があると王宮からお声がかかります。冒険者から爵位を得た場合だと、その腕を買われて国を脅かすような魔物や魔人討伐に参加なんてことも。そこで活躍すれば領地と領民を安堵されて正式に貴族の仲間入りです。オメガさんって意外と出世欲の塊だったんですね?」
もっとずっと遠回りをするかと思っていたのに、突然……復讐への道が目の前に拓けた。
が、ふと冷静になって気づく。
「いや、だがそれじゃあ世話になってるこのギルドに何も……そうだ手数料だって払わなきゃいけないんじゃないか?」
ヒルダは人差し指でぽりぽりと自分のほっぺたを軽く掻く。
「本来ならギルド経由の依頼で、あのアメジスト級のお宝が手に入った場合だと手数料をいただくことになるんですけど、今回の場合はギルドを通した依頼ではありませんでしたし。買い取りに際しては手数料を戴きますが、王宮に納めるのであればわたしにはそれを止める権利はありません」
「俺に……なんで教えたんだ?」
「黙っているのはフェアじゃありませんし、考え得る選択肢は全部お見せしたいんです。そこから冒険者の方が何を選ぶか自由を保障するのも、わたしたち冒険者ギルドの使命ですから」
と、説明してからヒルダは小さくウインクした。
「というのもありますけど、なんだかオメガさんを応援したくなっちゃうんです。冒険者の世界では成功するのって一握りで、厳しい世界なのに不思議とオメガさんは他の人のことを気に掛けたりして……リンゴちゃんを保護したのも、オメガさんの優しさあってのことですから」
「そんな、俺なんて別に優しくなんか……」
否定しかけたところで、山盛りのフルーツを胃の中に納めたリンゴがギルド長の執務机前にやってきて、俺の隣に並ぶとぺこりとお辞儀をした。
「ごちそうさまです。とっても美味しかったです。こんなに良くしてもらえるなんて、ご主人様の次に好きになったです」
これにはヒルダも苦笑いだが「もし良ければリンゴさんも冒険者として登録しませんか?」と、獣人少女を勧誘した。
俺の顔を見上げて「こ、困るのです」と困惑するリンゴだが、俺は小さく頷いて返す。
リンゴはプルプルと首を左右に振った。
「ご、ご主人様と同じになるなんて、奴隷のリンゴが恐れ多いです」
「同じじゃないよ。俺は三黄でリンゴは一紅からスタートだ。階位的にも俺が上なんだから、今の主従関係っぽい状態も変わらないし」
と、告げた途端にリンゴはヒルダの手を両手で包むようにして上下に振った。リンゴの尻尾が何度も左右に揺れる。
「ぜひお願いするのです。ご主人様の下でずっとずっとお役に立ちたいですから」
「え、ええと、はい! 喜んでお手続きさせていただきますね!」
リンゴが本気になって冒険者として邁進すれば、あっという間に俺を追い抜いてしまいそうだが……ともあれ、このままずっと奴隷の身分を自覚し続けるよりは、冒険者として成長した方がリンゴのためになる気がした。