☆崩壊と解放
俺は魔人族の魔法――石化を発動させた。対象としたのは冒険者の皮を被った三匹の獣だ。まず表皮が石綿のようにかさつき、次第にうろこ状に硬化していく。
オキナルが絶叫した。
「は、話が違うッ!」
「交渉の余地などそもそも無いだろう。我が小娘を欲するなら貴様らを殺した後でいい」
手足をもがれて這い回ることさえできないケニィが涙をこぼした。
「いやだ! 死にたくねぇ! 死にたくねええええええ……」
石化が内部にも浸透し始めたようだ。涙は礫となり声も枯れ、眼球がひび割れる。
「くら……い……さむ……い……」
間もなく心臓に石化の呪いが達すると、剣士の青年は恐怖に怯え苦しむ顔のまま石像に姿を変えた。
黒魔導士ノートクロはすでに狂気に心を奪われてしまったようだ。
「おお! 身体が石に変わるというのか!? これは素晴らしい魔法だ! 身をもって体験すれば、この天才ならばすぐにも体得もできよう! あーっはっはっはっは! 大魔導の夜明けええええ……」
それきり黒魔導士は動かなくなった。
最後に残ったオキナルは呪詛のように言葉を紡ぐ。
「全部、貴様ら下等な獣人どもが悪いのだ! 遺跡に宝さえあれば新大陸でのし上がることができたというのに! 死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇ! 先に地獄で待っておるぞ! あちらでまたたっぷりと調教してや……る……」
三つの石像に向けて俺は開いた右手を向けると、ぐっと拳を握り込んだ。
獣人族の少女が悲鳴を上げる。
「やめて! やめてぇッ!!」
石化した男たちの身体に亀裂が走り、ひび割れ崩れると砕け粉となり風に消えた。正直な俺の気持ちは……スッとした。圧倒的な力で蹂躙し他人の復讐を自分勝手に成し遂げた自己満足で、何が悪い。
これで残す邪魔者は……銀狼の群れとこの巨人の魔人族だけだ。
俺は再び石化の呪いを銀狼の群れに仕掛ける。
獣人族の少女は次が自分の番だと勘違いしたのか、耳を伏せ目を閉じ頭を抱えてその場にうずくまった。
数秒の後、彼女を取り巻く銀狼たちが次々と石の塊に姿を変えて粉砕される。
「これでよし……と。おい獣人族のお前。目を開いて周囲を確認しろ」
「こ、殺すなら殺すです! けど、その方だけは……」
「ああ、解ってるって。オキナルたちに半分騙されて着いてこざるを得なかったんだろ?」
「そうなのです! ……あれ?」
恐る恐る少女は目を開ける。彼女を中心に同心円を描くように、銀狼だったものが石の粉に姿を変えていた。
俺は彼女に告げた。
「オキナルを殺した俺を恨むか?」
「急におかしいです。さっきと喋り方がぜんぜん違うし……」
「まあ、色々と事情があってな。さて……質問に答えてくれ。俺を恨むか?」
「わ、わからないです。わたしにはご主人様しかいなくて……ご主人様がすべてで……」
「そうすり込まれちまったんだな。もう辛いのや痛いのを我慢しなくていいんだ。オキナルは俺が殺した。その罪は俺のものだ。お前が悪いわけじゃない。お前にはなんの罪もない。だからお前まであいつの後を追って死ぬ必要もない。自由になったんだ」
オキナルへの執着や忠誠は、親鳥にヒナがついていく現象のようなものだ。
「そう……なのです? けど自由なんて……わからないです……わからない……けど」
少女の青紫色の瞳が巨人の手の中で「ウヴォアー」と声を上げる“俺”を見据えた。
「その方は、わたしに優しくしてくれて……嬉しくて……うう、胸が苦しいです。それになんだか、今のあなたと話してると、不思議とその方に話しかけられてるみたいで……」
野生の勘というやつだろうか。正体を見破られた気分だ。
巨人の姿で俺は首を縦に振った。
「ああ。実はその通りだ。俺にはこうして相手に乗り移る能力がある。今、俺の手の中で叫んでるのは抜け殻というか、俺もよくわからないんだが……ともかく俺がこの能力を解除すれば、巨人は元に戻っちまう」
少女は目をぱちくりさせたまま首を傾げた。
「あの、難しいことはわからないです。わたしはどうすればいいですか? どうしたらその方を……ううん、あなたを救えますか?」
わからないことはあっても、肝心な部分は少女に伝わったらしい。
「俺はもう救われることはないんだ。だからお前が逃げてくれればいい。困ったらラポートの町の冒険者ギルドに行って、そこで受付嬢をしているヒルダって人を訪ねてみてくれ。俺から……オメガからの紹介だって言えば力になってくれるはずだ。あと、俺からありがとうって伝えてくれると助かる」
少女は巨人の俺を見上げたまま、尻尾と首をぶんぶんと左右に降った。
「できないです! わたしには……ご主人様が必要なのです! あの……ご、ごご、ご主人様になってほしいです」
「いや、だから無理なんだって。巨人の姿のまま化石の森の入り口くらいまでは行けるだろうけど、魔人を解放したらその場で石化されてもおかしくないんだ」
「なら一緒に死ぬですご主人様!」
少女のまっすぐな眼差しに溜息すら出ない。
「俺はお前のご主人様じゃないぞ」
「ご主人様は言ったです。わたしは自由になったと。オキナルは悪いご主人様だと気づいたです。これからは、ご主人様は自分の気持ちで決めるです」
オキナルのような男に言わされていただけかと思っていたのだが、少女の本質を俺は見誤っていたのかもしれない。
彼女は尻尾を振って目を細める。
隷属することが幸せと言わんばかりに。
もし一人で町に返してやっても、また他の人間に騙されて同じような目に遭うかもしれない。
「わかった。その申し出を受けよう。だが、二人一緒に助かるには、この巨人の魔人族をどうにかしなければならないんだ」
「きっとご主人様ならできるです!」
両手の拳を握り込んで脇を締めると少女は鼻息荒く言う。
こうなれば賭けだ。自棄にはならず賭けに打って出よう。
今の俺は巨人の魔法を使うことができて、さらにその弱点も把握しているのだから。
水晶の森の奥で作戦を実行に移した。
まあ、作戦といっても行き当たりばったりの一発勝負だ。失敗すればそれで終わり。
獣人族の少女もそれを承知で、俺に力を貸してくれた。
まず、巨人の俺は左手にずっと握ったままの元の俺の肉体を解放する。
「あっひゅひょひょひゅ~」
相変わらず訳のわからない言葉を発するが、少女が手を取って俺の肉体を森の入り口方面へと誘導した。
俺の元の身体が奇声を上げて奇行に走ることも、獣人族の少女には一応教えてある。彼女は「ちっちゃい子供だと思えばいいんですね!」と、彼女なりに理解したようだった。
あまり離れすぎると元の肉体に戻ってしまう。せいぜい二十メートルほどだ。
そして巨人の俺はというと、自分自身の肉体に石化の魔法をかけることにした。
この魔法で巨人を倒してしまえればいいのだが、一つ懸念があった。
もし憑依中に憑依対象が死んだ場合、俺の意識は元の肉体に戻れるのだろうか?
ここからは生き残るための戦いだ。よって、巨人を巨人自身の石化魔法で完全に石にするということはしなかった。
四肢を石化させて行動の選択肢を奪ったところで準備完了である。
俺は少女に合図した。
「手はず通りに行くぞ」
「はいですご主人様!」
呼吸を整え獣人少女が大地を蹴る。その赤い髪が銀色に輝き、全身に焔の紋様のようなものが浮かび上がった。
彼女には全力で突っ込めとだけ命じている。
俺はすぐさま巨人の「憑依」を解いた。
人間が相手なら、俺の「憑依」を受けたあとは意識を失い記憶もなくなるのだが……。
巨人が吼えた。
「ぐぬぬおのれぇ! 人間風情があああ!」
人間よりも強靱な精神力を持つ魔人族だからか、記憶を失うこともなく俺たちの行動を見ていたかのようだった。
すぐさま巨人は四肢の石化を魔法で解除しようとする。
「殺してやるぞ下等生物どもおおおお!」
すでに獣人族の少女は加速の勢いを保ったまま巨人の懐に飛び込んでいた。
巨人も攻撃を一度だけ受ける覚悟したようだが、戦闘力の差は歴然である。
少女が巨人の顔面を狙い、飛び上がろうとした刹那――
俺は「憑依」能力で獣人少女に乗り移ると、巨人の顔面ではなく股間に跳び蹴りをぶちかました。
弱点を射貫く矢のような一撃と、何かを“砕いた”手応えならぬ足応え。
「な……ぜ……弱点……を……おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
巨人の身体がぐらりと沈み、全身から魔法力の光をほとばしらせると、ドスンと前のめりに斃れて動かなくなった。
その巨体が湯気か霞のようにシュワシュワと消えていく。
残ったのは大粒の宝石だった。アメジストだろうか。ただの宝石ではなく、魔法力が凝縮されたような結晶体だ。
俺の肉体がそれを拾い上げた。
「いららきらー!」
口を大きく開けて宝石を食べようとしたので、俺は少女の肉体を駆って、つい自分自身に蹴りをいれてしまった。
直後――
世界が暗転した。
気づけば水晶の森の木の下で、俺は少女に膝枕を借りていた。
獣人族の少女が優しく俺の髪を撫でる。銀髪は赤く染まり、彼女も元の姿になっていた。
「ご主人様。目が覚めたですか」
顔をあげると少女のあふれんばかりの大きな水蜜桃が額に触れた。
「あ、ああ……ええと……どうなったんだ?」
「わたしたち勝ったみたいです」
俺の手には巨人の魔人族を倒して手に入れた拳ほどもあるアメジストが握られていた。
そして、石化した森は緑の姿を取り戻し、水晶に変化した木々も次第に青葉を茂らせる。
魔物の気配も消えて、風が静かに吹き抜けた。生きている実感がした。
「お互い無事か」
「はいです。ご主人様」
俺の顔を膝と胸で挟むようにぎゅーっと押しつけて、獣人族の少女は尻尾をブンブンと振るった。
「わぷっ! く、苦しい! ちょっと待て!」
「わわ! ごめんなさいです。つい、嬉しくって」
少女は笑顔になる。最初に会った時とはまるで別人のようだ。
俺は身体を起こす。
「それから俺をご主人様って呼ばないこと。オメガって名前があるんだ」
「わかりましたですオメガご主人様!」
わかってないじゃないか。まったく。しかし……彼女に「憑依」の秘密を教えてしまった。
その事に後悔はない。
「なあ……ええと……名前は?」
「名前ですか? わからないです」
少女はキョトンとした顔で俺に告げた。
「わからないって……」
「記憶もないですし、前のご主人様は名前をくれませんでした」
「そうか。名乗りたい名前はないか?」
「あうぅ……わ、わからないです」
青紫色の瞳がじっと俺を見つめた。ああ、これは俺が名前をつけてやらなきゃいけないってことだな。