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秘密と告発

 心臓が早鐘を打って呼吸も荒く喉もカラカラだ。集中力がよくもったと我ながら思う。


 講堂の中心は日陰者の俺には眩しすぎた。定位置の壁際に逃げ戻ると、ジェームスが満面の笑みで俺とエレナを拍手で出迎える。


「大変お上手でしたよ。さあ喉も渇いたでしょう」


 言いながらジェームスは俺にグラスを差し出した。中身もろくに確認せず一口飲む。


 小さな泡がいくつも浮かんでは消える液体の正体は、発泡ワインだった。


「って、これ酒じゃないか」


「ええ。学園長からのプレゼントだそうです。卒業も決まって僕らも大人の仲間入りをしたわけですから、これからは隠れてこそこそ飲まなくてもいいんですよ。よかったですねアルフレッド」


 美男子にとって俺はからかうのにちょうど良い相手らしく、イジられるのも毎度の事だ。ジェームスは「さあぐいっと! 男らしく一気に飲み干してください」と煽る。


「俺をなんだと思ってるんだ。まったく常習犯みたいに言わないでくれ。そもそも酒は苦手なんだよ」


「ということは、やっぱり隠れて飲んだことくらいはあるんですね」


 ダンスの後で心臓が早鐘を打ち血の巡りが早くなっているためか、グラスの半分を飲んだだけで顔が熱くなってきた。頭もぼんやりふわふわとしてくる。


 これ以上飲むと醜態をさらしかねない。


 すると、エレナが俺の手からグラスをつまみ上げてジェームスを睨みつけた。


「これは少々おいたが過ぎるんじゃないかしら? 残りはわたしが……」


 と、俺の飲みさしのグラスを口元に運ぶエレナを、ジェームスは慌てて止める。


「それはいけませんエレナ様。そこのボーイの君。同じものを二つ持ってきてくれませんか?」


 パーティー会場で空いた皿やグラスを片付ける給仕係を掴まえて、ジェームスは発泡ワインを取り寄せつつ、俺の飲みさしをエレナから没収した。


 再び俺の手元に残り半分のグラスが戻る。


 エレナはぷくっと頬を膨らませる。まるで餌袋いっぱいにドングリを詰め込んだリスのようだ。


「もう! ジェームスはいっつもこうなんですもの」


「ハハハハ。そう仰らずに、卒業とそれぞれの輝かしい未来を祝して乾杯しましょう」


 さらりとまとめて説得するあたりもジェームスらしい。どうやらグラスの残り半分も飲み干さなければ、格好がつかなさそうだ。


「ではアルフレッド。君に乾杯の音頭を取って欲しいんですけど、いいですよね?」


「仕切ってるのはお前だろジェームス」


「君は見せ場を用意してあげないと働きませんから。大学に進めば酒の席も増えますし、こういった挨拶をすることもあるでしょう。度胸とアルコールへの耐性は今からでもつけておいた方がいいですよ」


 ジェームスが言うとくだらない冗談ですら妙に説得力がある。


 俺はグラスを胸より高い位置に掲げた。


「では僭越ながら、俺たち三人の未来と卒業を祝して……乾杯!」


「乾杯ですわ」


「乾杯」


 それぞれのグラスの縁がチンと音を立て、俺は残るワインを飲み干した。


 カアアアッと身体の芯が熱くなり、自分でも顔が赤くなっていることが容易に想像できる。


 頭がぼんやりしてくると、いつの間にやら俺たちを取り囲むように、色とりどりのドレスに身を包んだ女生徒たちがワイングラスを手に集まっていた。


 みんなお目当てはジェームスだ。




「ジェームスさまぁ! わたしとも乾杯してくださ~い!」


「ず、ずるいわよ抜け駆けなんて!」


「ちょっと横入りしないでちょうだい!」


「せっかくの最後の夜なんだから邪魔しないでよ!」




 花に群がる蝶の群れ(肉食)である。


 俺とエレナはあっという間に輪の外へと弾き出され、ジェームスは愛想笑いを浮かべながら、空のグラスを飲み干すフリをして集まった少女たち一人一人と乾杯していく。


 きっと宮廷でも出世するだろうな、こいつは。


 そう思った瞬間――ドクンと心臓が跳ねるように大きく脈動した。


 頭がぐらついて、一瞬、気をぬいたところで俺は膝から床に崩れ落ちそうになった。


「あら、大丈夫ですの?」


 エレナがとっさに支えてくれてどうにか転ばすに済んだのだが、なんと格好の悪いことだろう。中腰でこらえる俺の姿は否応無しに情けない。


「済まない。いや、ありがとうエレナ。馴れないパーティーで疲れたみたいだ。もう一人で立てるから……」


 赤毛の少女は困ったように眉尻を下げつつ「ちょっと外の空気でも吸いに行きましょう」と、俺の耳元で囁いた。




 ◆




 講堂を出ると人目を避けるようにして、俺とエレナは学舎の中庭に向かった。


 今夜は満月だ。新月の晩と比べればまるで昼間のように明るい。


 庭園の噴水が奏でる水音に耳を傾けてみても、俺の頭は熱いままだ。夜風が頬を撫でても、炭火のように静かに体内で炎が燃えていた。


 酒には弱いがグラス一杯がここまで効くだろうか。


 エレナが噴水と月明かりを背負うように俺の前に立つ。


「二人きり……ですわね」


「いつもジェームスと三人だったからな」


「月が綺麗ですわ」


「ああ、満月だ」


 少女はうつむくと膝頭をもじもじさせてから、ぽつりと呟いた。


「実はわたしもアルフレッドに隠し事をしていましたの」


「急に改まってどうしたんだ? 俺は自分の秘密を教えたからって、見返りなんて要求しないぞ。俺が好きでお前に話したことだ」


 先ほどまで“ダメ元で訊ねてみよう”と思っていた事は言わないでおこう。


「訊いてアルフレッド。わたしのことを……」


 アッシュグレーの瞳がじんわりと涙で潤んだ。涙の粒が左右の頬を伝って落ちる。


「ど、どうしたんだよ急に泣き出すなんて」


「わたし、泣いてしまっていますの?」


「自分で気づかないやつがあるか。さてはエレナもさっきのワインで酔っ払った口だな? 顔に出ないんでその……驚いたよ」


「わたしもお酒は苦手ですけれど、あのワインは度数も低くてジュースみたいなものでしたわよ」


 眼鏡を外すと頬や目元をぬぐって、エレナはそばかす顔をこする。


「そ、そうなのか。ええと……たとえエレナにどんな秘密があっても、俺にとってエレナはエレナさ」


 赤毛の少女はゆっくりと頷くと、右手の薬指を左手で包んだ。


「実はわたし、ずっと姿を偽っていましたの」


 少女は薬指から祖母の形見の指輪をするりと外す。


 すると、エレナの全身が淡い光に包まれた。


 縮れた髪は綺麗なピンクゴールドのストレートに変わり、腰もくびれて胸元はドレスからあふれんばかりだ。


 肌も白くそばかすも嘘のように消え去って、灰色の瞳が金色に染まった。


 眼鏡をとったその顔は、まるで女神のような美少女に変身したのだ。


 その神々しいまでの姿にはかすかに見覚えがあった。


 学園の催しで王立美術館に行った時に、王女の肖像画を見たのだが……十五歳の王女エレナが三年ほど成長したら、俺の目の前に立つ美女と合致する。


「エレナ……いや、ええと、え、エレナ王女様……なのか?」


 長い髪を耳元でたくし上げ、少女は怯えるような哀しげな眼差しを俺に向けた。


「身分を隠すために、この指輪で姿を変えていましたの」


「ほ、ほ、本当に本物の……マジ……かよ」


「マジもマジの大真面目ですわ」


 俺に合わせて庶民的な言い回しを王女様はしてみせた。


 返す言葉も出ない。


 姿を変える魔法というのは犯罪防止などの観点から、王国では禁呪に指定されている類いのものだ。


 そんな魔法の力を込められた指輪があるとすれば、非合法の品物か、もしくは王族のための護身用くらいなものだろう。


 俺が黙り込んだまま固まっているとエレナ王女は視線を地に落とした。


「三年間、ずっと騙し続けたことを謝罪いたしますわ」


「ど、どうしてこんな重要なことを俺に教えたんだよ? じゃない、あの、こ、言葉遣いがなっていなくて申し訳ございません殿下」


 ますますエレナ王女は哀しそうに眉尻を下げる。


「そのような呼び方はしないでほしいですわね。アルフレッドが秘密を打ち明けてくれて、わたしはとても嬉しかった。ですから、わたしも知って欲しいと思いましたの」


 些細な庶民の出生の秘密と、身分を隠してきた王族の秘密とでは釣り合わない。


 そして――どうして彼女が哀しげなのか、俺にはなんとなく“感じる”ことができた。


 今まで通り普通に接してほしい。エレナはそう思っているんじゃないか?


 もし違っていれば不敬罪で禁固二桁年なんてこともあり得る話だが、思うより先に声が出る。


「あのさエレナ。エレナが誰だろうと、俺にとってはエレナはエレナだよ。俺たちの友情は変わらない。そうだろ……な?」


 告げた瞬間――


 エレナは目を細めると笑顔で泣いた。先ほどよりも大きな涙の粒が彼女の頬を流星群のように滑り落ちていく。


「よかった。ううん、きっとアルフレッドならそう言ってくださると、信じてましたから……」


「ああもう、また泣いちまって。これじゃあ俺が泣かせてるみたいじゃないか」


 ハンカチを差し出したが彼女は受け取らない。


「そういう時は、あなたが涙をぬぐってくださってもよろしくてよ。まさか恐れ多いだなんて思ってないですわよね? わたしたちはと、友達なのですもの」


 王族から庶民への理不尽な無理強いもいいところだが、きっと赤毛のチンチクリンだったとしても、エレナは同じ事を言うだろう。


「まったく、エレナは相当な泣き虫だったんだな」


「そうですわね。本当に」


 そっと彼女の頬を伝う雫をハンカチで拭う。


「このこと、ジェームスは知ってるのか?」


「ええ。彼はわたしの護衛ですもの。ただ、どうやって変身しているのかまで知っているのは、この世界でわたしとあなた、二人だけの秘密でしてよ」


 指輪のことはジェームスにも知らされていないのか。意外だな。


「三年間の謎が氷解したよ」


 学園の王子の進路が宮廷なのも含めて、疑問に思っていたあれもこれもすべて納得に変わる。エレナが宮廷の晩餐会を知っているのも、ダンスが上手いのも本物の王女様だったからだ。


 この三年間はエレナにとって、監視付きとはいえ自由を満喫するための時間だった。


 しかし、秘密ならあまり元の姿で悠長にしていられないんじゃないか?


「早く元の姿に……じゃない、あの……だめだやっぱりエレナはあっちの姿が俺にとっては元なんだよ。まいったな」


 王女は小さく息を吐く。


「もうあの姿は今日でやめようと思っていましたの」


「じゃあ王女だったってみんなに言うのか?」


 エレナを仲間はずれにしていた女子連中は肝を冷やすことになるだろうな。


「いいえ。このまま赤毛のエレナは姿を消す予定ですわ。けど……アルフレッドがそう仰るなら、もう一度だけ」


 指輪を右手の薬指に嵌めると王女は「反転(インバス)」と唱える。


 すると、あっという間に美少女はチリチリ赤毛にそばかすの、いつものエレナへと戻っていった。


 戻るというか、縮むというか。だが、そんな彼女だと俺もほっとする。


「あら、アルフレッドったら、こちらの姿の方がお好みなのかしら?」


「見慣れているから安心するんだ」


 俺の口振りも自然といつも通りだ。するとエレナはぷくっと頬を膨らませた。


「わたしを見ても全然ドキドキしてくださらないのね。だけど……」


 柔和な表情に戻ると、クセの強い赤毛を指でつまむようにしてエレナは俺に告げた。


「アルフレッド……わたしを特別扱いしてくださらないことが、なにより、わたしにとっては特別でした」


 言いながら、再び指輪を外してエレナは俺の手のひらに握らせると、両手で包むようにする。


「どうか三年間の友情の証として受け取ってくださいませんか? 祖母の形見というのは本当ですのよ」


 ピンクブロンドの王女の姿になって、エレナは俺の顔をじっと見つめた。


「大切なものだろ。庶民の俺が王族の宝を受け取るなんて……」


「これからわたしは、王女としての責務を果たして生きていきます。あなたの夢を教えてもらって、ようやく覚悟が決まりましたわ。けれど手元にこの指輪があると、思い出に逃げてしまいそうで不安で……だから……」


 エレナ王女から言い知れない決意を感じた。


「わかった。けど、もらうんじゃない。エレナの大切なものとして一旦俺があずかるよ」


「それって、あ、あずかるということは、いつか返してくださる予定もあるということですわよね?」


 王女はブルッと背筋を震わせた。


「ん? あ、ああ。そうだな。この指輪がエレナに必要になったら……って、せっかく覚悟を決めたのに余計なお世話だよな」


「そそそそそんなことありませんわ! いつか王族としての役目を果たしたら、指輪を受け取りにいきますわね」


「王族に来てもらうなんてとんでもない。呼んでくれれば俺が届けにいくよ」


 姿は変わってもエレナはやっぱりエレナだった。


 彼女が俺の手をそっと離した瞬間――


 ドクン……と再び大きな動悸が俺の胸を内側から叩いた。


 そして――




 俺は今、囚人服姿で裁判所の法廷に立っている。


 被告人席の俺を傍聴人たちの冷たい視線が責めたてた。


 裁判長の木槌が鳴り響き、判決が言い渡される。


「被告を国家反逆罪として死刑を言い渡す」


 有罪の判決を受けた俺のやってしまったこと。検事が言うには、俺はあの晩、エレナ王女を強姦未遂したというのだ。


 魔法学園メイティスの卒業記念パーティーの夜――


 エレナに秘密を打ち明けられて、彼女の指輪を託されたあとの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。


 気づいた時には王都の衛兵に捕縛され、尋問され、あっという間に判決を言い渡された。


 あれからエレナの姿は見ていない。自分でも、彼女にそんなことをしようとしたなんて信じられない。


 悔しさや怒りよりも、ただただ無力感だけが残る。


 孤児院出身の庶民の俺がいくら無罪を主張しても、誰も訊く耳などもってはくれなかった。

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