プロローグ「お役所仕事」
こういうコンセプトのなろう作品は過去にもあったっぽいけど、まあ、私の知ったことではない。
「あなたはトラックに轢かれて死にました」
声のした方を見ると、見るからにくたびれた、しかし見目麗しい女性が、せわしなく卓上の書類をひっつかんでは『承認』印を突き、後ろに放り投げている。
「えっ?」
「ごめんなさい。見ての通りちょっと忙しいの。説明している暇がないから、そこにある冊子見ておいてもらえる?」
「はあ……」
机の端に乱雑に重ねられた書類の頂上に『異世界転生とは?』というタイトルの小冊子。
手に取ってページをめくってみる。
『伝説の武器とかスキルを一つ貰える例のヤツ(※アイテムボックスと言語能力、若い体、美貌付き)』
見開き一ページ目に巨大なフォントでそう書いてある。
ページをめくっても、めくっても、書いてあるのはその一文のみ。
冊子を閉じて目の前の女性に尋ねる。
「誤植みたいなんですけど」
すると、ハンコ女史が苦笑する。
「ああ、それね、その冊子には、その人に必要な情報だけ書いてあるから」
そう言ってハンコ女史は机の反対側を指さす。
指のさす方を見ると、書類を積み上げた一番下に分厚い百科事典のような本が置いてある。
「それ武器とスキルの目録。書類崩さないように引き抜いて」
と、ハンコ女史。
目録の上の書類が崩れないように、上下から両手ではさんで持ち上げる。
書類を逃がす先がないかなと周囲を見回すと、ちょうど自分の左側に袖机があったので、書類をそちらに逃がす。
重たい目録を持ち上げて、やはり袖机の上に逃がし、卓上の空いたスペースに書類を戻す。
「そっちのソファでどうぞ。決まったら声かけて」
ハンコ女史が自分の方を指さすので、振り返ってみると、そこには一人掛けの深緑色のソファ。
目録を持ち上げ、ソファに向かう。
座る前に座面を手で押してみると、上質の肌触りに適度な堅さを残した絶妙な弾力性。
目録をソファの横のサイドテーブルに置いてから、ソファに体を沈める。
目録を手に取り、膝の上にのせて、表紙をめくってみる。
それからどれくらいの時間がたったか思い出せないが、気づくと目録の最後のページだった。
目録にはいくつか付箋が差し込まれており、改めて付箋の挟んであるページ見直していく。
それからさらにもう少しして、目録に挟んだ付箋が一枚だけになると、それを見計らったようにハンコ女史が「決まったらこっちに来てちょうだい」と声をかけてきた。
ソファから立ち上がり、目録を抱えてハンコ女史の元に戻る。
「じゃあ、コレにサインして」
ハンコ女史は机の引き出しからクリアファイルに入った書類を引っ張り出し、こちらに差し出してくる。
「ペンあります?」
「ソレでどうぞ」
右手を見ると、古ぼけた濃紺の万年筆。
クリアファイルから書類を取り出すと、二枚挟まっていたらしく、はらりと一枚が手元から滑り落ちてハンコ女史の机の下に滑り込む。
「おや、すまない。そのまま放っておいてくれ。下手に潜り込むと迷子になるからね」
ハンコ女史の言葉の意味はわからないが、ともかく残った一枚をクリアファイルから取り出し、袖机の上に乗せて眺める。
しかし、内容は全く読めない。一文字一文字はくっきりはっきり見えるのだが、覗き込むと別の文字が見える気がする。
「右下ね」
と、ハンコ女史。
書類の右下を見ると、確かに空欄がある。
万年筆のキャップを外し、銀色のニブが美しいペン先を書類上に走らせる。
サインし終わった書類をクリアファイルと一緒にハンコ女史に返却する。
「はい、ありがとう」
ハンコ女史は受け取った書類を自分の手元に置くと、他の書類と同様に『承認』印をバシンと突き、それとほぼ同時に「あああああああああああああ」と叫んだ。
承認印の押さえれた書類を持ち上げてこちらを見るハンコ女史。
わずかな沈黙の後、ハンコ女史は机の下にもぐり、先ほど落としたもう一枚の紙を拾い上げると、再び椅子に体を預けて二つの書類を見比べ、大きなため息をついた。
「何か問題ですか?」
ハンコ女史に尋ねると、ハンコ女史はこちらを見て何とも言えない愛想笑いをしてから言った。
「お、おめでとうございます。採用です」