4-13 ギブ・ミー・チョコレート
大家さんはリーヌを見ながら言った。
「こんなバケモノに襲いかかるなんて、気が知れませんよねー。でも、賞金の額が額なので、イチかバチかやってみようっていう命知らずな輩が多そうなんです」
おれは気になってたずねた。
「賞金って、いくらだったんすか?」
「10億Yです」
この世界のお金はイェーンという。記号はYだ。¥の横線書き忘れたみたいな感じだ。価値はほぼ円と同じだ。読み方がちょっと変なだけだ。
つまり、リーヌにかけられた懸賞金は約10億円。
「じゅ、じゅ、じゅ、10億ぅ!? 一生遊んで暮らせるじゃないっすか! そんな金額言われたら、おれだって一瞬迷っちゃうっす」
思わず言ってしまってから、おれは危険なツッコミがくるかな、と思ってリーヌの方を見た。だけど、リーヌは、まったく気にしていない様子で、あさっての方向を見ている。
具体的には、リーヌは庭にいたノラ猫たちを見ていたんだけど。リーヌの視線を感じた猫たちは、みんな、そそくさと逃げているところだ。
とにかく、リーヌはおれの言ったことを、聞いていなかったらしい。
変だな、と思いながら、おれはそのまま大家さんとおしゃべりを続けた。
「てか、守銭奴の大家さんが、そんな話きいて、よく、リーヌさんの毒殺とか考えなかったすね?」
大家さんは、やけに自信をもって、はっきりと言った。
「むりですから。入手可能なあらゆる毒をもっても、リーヌは死にません」
「……試したことあるんすね?」
大家さんは、おれの質問には答えず、つづけた。
「それに、一度に10億もらうより、毎年1億3000万+αをもらうほうが、長期的にはおとくかもしれないですからねー」
大家さんは、そう、なにげなく言ったが。
「1億3千!? 家賃は月5万っすよね? 結局、修理費とかでその何十倍もむしりとられてるけど。にしてもリーヌさんが払ってるのは、そんな金額になるはずないっす。桁が2つはちがうっす」
大家さんは、あわてて、ごまかした。
「あれ? 計算まちがいかなー? 気にしないでください」
どうやら大家さんは、リーヌからの家賃収入以外に、リーヌを利用して、しこたま儲けているらしい。にしても、まさか、1億Y以上かせいでるなんて……。
「そんなことより。こんな状態じゃ、暮らせません。今回の被害は、壁の修理と床の張替の他は、テーブルとイスと花瓶と絵画とツボとじゅうたんとランプと本棚と……」
大家さんは、被害を受けたものをリストアップしはじめた。おれは、訂正しておいた。
「本棚は無事っす」
本棚は、ふっとんだ壁とは反対側に設置されてたので、壊れていない。
だけど、大家さんは、きっぱりと言った。
「すっかり汚れてしまったので、本棚も弁償です」
「えー? もとからボロボロの古ーい本棚だったのに?」
大家さんは断言した。
「当然です。それから、わたしのホテル滞在費と慰謝料もかかりますから」
「慰謝料!? それは、襲ってきた冒険者たちに請求してほしいっす。それか、町長さんに」
「町長さんからはすでにもらってますけど。足りません。我が家で暮らせなくなったわたしの心の傷は、大きいんですから」
大家さんは平たい胸に手をあてて同情をさそうような調子で、そう言ったけど。おれは知っている。大家さんは、ふだん、我が家が大っ嫌いだってことを。
「大家さん、いっつも、このボロ屋の悪口言いまくってるっすよね? 家中、古くてカビだらけで腐ってるみたいに臭いって。電気も通ってないし不便でしょうがないって。おまけに壁やドアを破壊したり勝手に食べ物を盗っていく害獣と、大家さんが大っ嫌いな犬とか猫を呼び寄せる上にあちこち汚していく、見ると悲鳴をあげそうに気色の悪い巨大な緑の害虫が住み着いている、とんでもない家だって」
おれは、そんな害獣も害虫も見たことないんだけど。でも、こわいよな。そんな巨大な虫が住みついてるなんて。
だから、おれは、そこで付け足しておいた。
「てか、そんなに害虫被害がひどいなら、駆除業者よべばいいじゃないっすか?」
大家さんは、横目でおれを見ながら言った。
「駆除していいんですかー? わたしとしては、もう、今すぐ、ここで叩きつぶしたいんですけどぉー?」
おれの背筋がぞくっとした。
「今、ここにいるんすか!? どこに!?」
おれは、きょろきょろあたりを探したけど、そんな虫は見つからなかった。……大家さん、幻覚でも見てるのかな?
だけど、とっても不気味な感じがしたので、おれは話題をかえた。
「とにかく、大家さんは、快適なホテル暮らしが夢とか、言ってた気がするんすけど……」
「気のせいです。わたしはレトロで趣のある古民家風我が家が大好きなんです。とにかく、今回の被害はこの程度ですが、次の襲撃では、どうなるかわかりません。だから、ほとぼりが冷めるまで、リーヌには出て行ってもらいます」
こうきっぱり言われると、もう、おれには何も言えなかった。リーヌは、みょうに静かで、一言もしゃべらないし。
……ちょっと、心配になってきたぞ? だいじょうぶかな? リーヌは、けっこう豆腐メンタルだからな。大家さんの説教による精神的ダメージでおかしくなっちゃったのか?
「それじゃ、リーヌ。賞金稼ぎの襲撃とリフォームが終わるまで、ここから出てもらいます。なるべく早めに出て行ってくださいね。S級冒険者がわんさか襲ってくる前に。そうそう、この新聞をどうぞ。ちゃんと、リーヌに読み聞かせてあげてください」
大家さんは、おれに新聞を押し付けて、去って行った。
大家さんがいなくなると、リーヌはさっそく立ち上がり、しずかにストレッチをはじめた。そこで、おれは、おそるおそる、リーヌに声をかけた。
「リーヌさん、ずいぶん静かだったっすね。今回は、本当に反省してたんすね?」
リーヌは、ぽかんとした顔でおれを見た後、両耳に指をつっこんだかと思うと、なにかをとりだした。
「この耳栓、すげぇぜ。なにも聞こえねぇ」
「耳栓!? 大家さんの話、なにも聞いてなかったんすか!? どうりで静かだと思ったっす!」
心配して損した!
リーヌは口をとがらせて言った。
「だって、大家の説教うるせーんだもん。ったく、心がズタズタだぜ。チョコでもやけ食いしねーとやってけねー。チョコくれ。耳栓やるから」
リーヌはおれの方に耳栓をのっけた手の平をさしだした。
「そんな耳栓いらないっす! だいたい、あんたは、説教きいてなかったでしょ! チョコなんて、もうないし。リーヌさんがさっき、これから大家さんに怒られそうだからって、『ストレスでチョコ食わねーとやってけねー』とか言って、全部食べちゃったんすから!」
「そーいや、そーだったぜ」
リーヌは頭をかいた。
「おれも食べたかったのにぃ。てか、将来への不安という、引きこもり時代にも感じていなかったストレスと戦う今のおれにこそ、GABAたっぷりのチョコが必要っす。それにぃー。おれ、一度でいいから、女の子からチョコもらいたいんす」
なぜだろう。今日は2月14日じゃないはずなのに、2月14日みたいな気分だ。
「ギブ! ミーッ! チョッコレーーット!!!」
おれの心からの叫びを聞き、リーヌはポケットに手をいれ、何かをとりだしながら言った。
「そこまで言うなら、くれてやろう。いざって時のためにとっといたやつを」
「リーヌさん、チョコをこっそりかくしもってたんすか!? ついに、おれにも、バレンタイン的瞬間が!?」
義理でもなんでもいい。義理チョコすらもらったことのないおれにとっては!
おれが手を出すと、リーヌはおれの手に、秘蔵品をおいた。
「これは……」
おれの手の中でかがやいていた、それは……。
「耳栓じゃないっすか!」
黄色い耳栓だった。
「ピカピカの新品だぜ。いざって時用のスペアだ。ちょこっとチョコっぽいだろ?」
「ぜんっぜん、チョコっぽくないっす! イエローの耳栓っすよ? 色も形も、どこにもチョコっぽさなんてないっす!」
「ほら、あの、mマークの、カリッとした丸いチョコのやつの、黄色と同じ色だろ?」
「m&m'sのチョコ? たしかにこんな色のもある……って、何色もあるうちの一色に色が似ているだけって、どんだけチョコと遠いんすか! そんな基準じゃ、あらゆるものがチョコっぽくなっちゃうっす! あーあ。がっかりどぅわ~」
おれが嘆くと、リーヌは手を出した。
「じゃ、返せよ。次の大家の説教に使うからよ」
「いや、やっぱ、もらっておくっす。なんか今日は2月14日っぽい気分なんす。だから、なんでもいいから、もらっておけば、なんか、バレンタインプレゼントをもらった気分になれるような気がするっす」
たとえ、それが、耳栓であっても! 生まれてはじめてもらったバレンタインプレゼントが、耳栓になったとしても……! 一生何ももらえないよりは、ましだから。
リーヌは、そこで明るくたずねた。
「で、大家はなんて言ってたんだ? 万事OK、ホワイトチョコみたいに白い明日が待ってるか?」
おれは暗い声で答えた。
「カカオ90%のダークチョコよりダークっす。ブラックホールみたいに黒い明日が待ってそうっす」
「ぬわにぃ? 90%って、けっこう大人な味だぜ? ……でも、甘いダークチョコなら、許そう」
「甘くないっす。現実は。おれたち、またホームレスっす。あと、リーヌさんは、賞金首で追われる身っす」
「ぬわにぃ!?」
というわけで、おれたちは再び流浪の旅にでることになったのだった。




