4-1 本屋の会話1
「このあたりのコンビニに、とんでもないセクハラおやじがいるんだって」
歩武さんは、POPを作りながら、おれにそう言った。
「それ、真城さんから聞いたの?」
セクハラおやじなコンビニ店長といえば、おれと真城さんがバイトしてた、うちの近くのあのコンビニを連想するんだけど。
「ううん。近所のおばさんから。でも、真城さんも、そのコンビニ知ってるって。セクハラを拒否した店員はクビにするんだって。最低最悪だよね」
「へー」
ますます、あのコンビニっぽいんだけど。
なにはともあれ、今、おれと歩武さんは、お客のほとんどいない本屋で世間話をしているのだ。
おれは、同い年の歩武さんと、雑談するくらいには仲が良くなったのだ。
そうそう、真城さんは、おれがバイトに復帰した頃には、そろそろ怒りが静まってきた頃だったらしく、最初に会った時に1回ギロリと睨まれた以外、特になにごとも起こっていない。
まぁ、何事か起こっていたら、今ここにおれがいるわけないんだけど。異世界かあの世か、どっちかにいるはずだから。
でも、やっぱり怖いので、おれからは真城さんに話しかけたりしていない。……以前も、おれから話しかけたこととか、なかったんだけど。
当然、真城さんからおれに話しかけてくることはないから、あれっきり、一度も会話をしていない。
真城さんは、歩武さんに会いに、ちょくちょく本屋には顔を出すんだけど。
真城さんが来た時はいつも、本屋にものすごーい緊張感が漂う中、おれは一定の距離をたもって、目を合わせないようにしている。
なにはともあれ、おれは、ちゃんと本屋でのバイトを続けていて、毎日のように外に出るのにも、人と接するのにも慣れてきていた。
我ながら、すごい成長だ。この数か月で、めったに外に出ない引きこもりニートから、ふつうのフリーターに進化したんだからな。この成長速度なら、おれ、数十年後には、総理大臣とかなれそうだぞ。
さて、歩武さんとの会話に戻ろう。
「あのコンビニ、山田君の家の近くだった気がするから、気をつけて」
歩武さんがそう言うので、おれは素直にうなずいた。
「うん、わかったよ。おれがセクハラにあうはずないと思うけど、なにがあるかわからないもんな」
おれも、ピチピチの21歳だからな。
歩武さんは、あわてて言った。
「あ、違うの。もちろん、山田君じゃなくて、山田君のお母さんに気をつけてほしいの。山田君のお母さん、美人だから」
「え? そうかな。母ちゃんは、たしかに、おれが小学生のころはきれいだったけど」
そうなのだ。母ちゃんは、若い頃はとっても美人だったのだ。小学校の授業参観とか運動会でも、みんなの目を引くくらいに。
「でも、今はもうおばちゃんだからな……」
母ちゃんも、もう40代だからな。年は忘れたけど。どう見ても、おばちゃんだ。
「その年齢でいったら、相当な美人でしょ? ほんと、山田君と血のつながりがあるとは思えないよね。山田君も、そう思うでしょ?」
歩武さんは、さらりと言った。
「うん、昔よく言われた……。けど、よく考えると、今のおれにひどくない? 思うだけならともかく、同意まで求めないでよ」
「ごめんなさい。わたし、顔にはうるさいの」
近頃知ったけど、歩武さんは、地味な見た目のくせして、かなりの面食いなのだ。もう、あらゆるものに「ただしイケメンに限る」がつくほどに。
逆に言うとイケメンでありさえすれば、他は許されるらしいので、それで、あんなストーカー男に引っかかっちゃったということらしい。
おれは、そこでふと、疑問に思った。
「だけど、歩武さん、どうしておれの母ちゃんを知ってんの?」
おれと歩武さんの接点は、この本屋だけだから、歩武さんが、母ちゃんを知っているはずはないんだけど……。
歩武さんは、言った。
「だって、このあいだ、山田君のお母さん、ここにごあいさつにきてたよ?」
「え!? 母ちゃん、ここに来たの!?」
(母ちゃん、バイト先には来ないでって言ったのに。いつもいつも……)
とおれが思っていると、歩武さんは言った。
「ほら、店長が山田君を家まで送って行ったから、そのお礼に」
おれが、真城さんにぶん殴られて気絶した時、店長がおれを家まで車で送っていってくれた、らしい。おれは、おぼえてないけど。
「ああ、そっか」
(よかった。常識的な範囲内の行動で。それなら、別に、普通だよな)
でも、歩武さんの話は続いていた。
「山田君のお母さん、山田君の勤務態度について根掘り葉掘り聞いたうえで、山田君のだめなところやがっかりなところやあきれ果てる話を、小一時間店長に話していったんだよ?」
「えーーーーーー! 母ちゃん、なにやってんのーーーーー!!!」
おれは思わず大声で叫んでしまった。ショッピングセンター内を歩いていた人と、立ち読み中のお客さんが、びっくりしてこっちに振りむいた。
(母ちゃん……。ほんと、やめてくれよ。なにやってんだよ~)
歩武さんは、冷静に話をつづけた。
「店長、山田専門家になれそうだって嘆いていたわ」
「やめてくれ! おれの知らないところで、おれの専門家を育成するな!」
「私も偶然、ちょっとだけ話を聞いちゃったんだけど。私の記憶領域を、ひどくいらないものに使われてる感じがして、今、すごい後悔してるの」
歩武さんは、とても悔しそうに、そう言った。
「その記憶、すぐ消去してよ」
歩武さんは、頭を左右にぶんぶんと強くふった。
「忘れたいんだけど。期末試験の内容は、もう全部忘れちゃったんだけど。どうしようもない山田情報だけは、消えなくて。もう永遠に頭の中で流れる盆踊りの音楽みたいに、いらつくんだけど。どうにかしてよ」
「おれもどうにかしてほしいよ。たのむから忘れてくれよ」
そこで歩武さんは、おれにたずねた。
「そうだ。山田君って、お世辞とか、見えすいた嘘を、絶対に理解できないんだよね?」
「え? そんなことないよ?」
「そう? 山田君のお母さんがそう言っていた気がするんだけど」
歩武さんは、そこでちょっと考えてから、おれに言った。
「そういえば、山田君って、よく見ると、顔自体はそんなに悪くないよね。ヒゲはやしてみたら? ハンサムになるかも」
「え? そう? じゃ、ヒゲのばしてみるか」
おれは、あごをさわりながら、そう答えた。歩武さんは、にこやかに言った。
「きっとかっこよくなるよ。鼻の下にだけ数センチの幅で分厚く伸ばすのがおすすめ。クラシック回帰で今年の流行スタイルなんだって」
「よし。じゃ、そうしてみよう。鼻の下にちょびっとぶあつく……。ちょびヒゲってことだな」
「そうそう」
(ちょびヒゲでおれも、ダンディーに。ついにモテ期が来るかもー)
と、おれが思っていたら、歩武さんは、小さな声で、ぼそっと言った。
「……ほんとに、わからないんだね」
「え? なにが?」
歩武さんは、強い口調でおれに言った。
「冗談に決まってるでしょ! ヒゲはやしたくらいで山田君がハンサムになるわけないし、鼻の下にちょびヒゲなんて! チャップリンじゃないんだから。ありえないでしょ!?」
「ケチャッププリン? たしかに、ありえないな。すんごいまずそう」
おれが、ケチャップののったプリンを想像していると、歩武さんは、言った。
「ボケてるのか、本気なのか、わからないけど。もう、山田君はちょびヒゲのばして喜劇王になったほうがいいかも」
ちなみに、おれは、本気でケチャップ・プリンだと思っていた。チャップリンとか知らなかったから。
とにかく、歩武さんが喜劇王とか言うもんだから、おれは、今度は海賊王のようなひげをはやした喜劇王の姿を想像してみた。
「喜劇王、なんか、かっこいいかも。喜劇王に、おれはなる!」
「うん、なって。もう、どう返したらいいのか、わたしにはわからないから」
そこで歩武さんは話題を変え、なにげなく、おれに爆弾発言を投下した。
「そういえば、山田君って、真城さんが好きなんだよね?」




