3-9 宿屋3
宿屋のおやじはお湯をタライにいれると、この部屋を立ち去った。
おれは毛布の中からはいだして、急いでリーヌの部屋に戻ることにした。
「しゅしゅしゅー。しゃよならー」
おれはとても友好的なモンスター、ゴーシュトに手をふって、廊下を急いで歩いて行った。
リーヌのいる部屋の前に戻ったところで、おれはドアの外から耳をすまして中の様子をうかがった。
すぐに、リーヌの声が聞こえた。
「うわっ、見、見えねぇ」
リーヌは慌てている。なんだかよくわからないが、異常事態みたいだ!
リーヌが危ない!
おれ、突入!
おれはリーヌを救出するべく、ドアを開けて中に入った。
部屋の中では、こっちに背をむけた上半身裸のリーヌが、両腕に服をひっかけて万歳した格好でふらふら立っていた。
おれは首をかしげた。
なんだ? なんだこれ?
ひょっとして、これは、あれか?
「服を脱ごうとしたら引っかかって脱げない。前も見えないよー。もうぬげない。どうしよう」ていう感じの一場面か?
「あんたは、3歳児か!」
と叫んだその時、おれはリーヌの裸の背中ごしに、横からちょっとはみでる一部分を見てしまった。
(あ、ぷるんぷるんしてる。あと、あとちょっとで、見えそう……)
その時、ホブミの叫び声が響いた。
「キャーーーーーーーーー! 変態ゴブリンが、着替えをのぞき見してるーーーー!」
リーヌは服の中から叫んだ。
「ぬわにぃ! エロヒコめ!」
「げっ! ちがうっす! のぞきに来たんじゃなくて……」
言い訳しても無駄っぽいので、おれはあわてて廊下を走って逃げた。
リーヌの怒鳴り声とか直撃したら、おれは死ぬから。
(なんでこうなる! おれは心配して様子を見にいっただけなのにぃ!)
心の中で嘆きながら、おれは1階まで大急ぎで走って逃げた。
1階に着くと、いきなり宿屋のおやじがおれに怒鳴ってきた。
「おい、ゴブリン! 廊下を走るな! うろちょろすんじゃねぇ! ほかの客に迷惑だろ! なーにが荷物みたいに静かにしてる、だ! うるさいにもほどがあるぞ! ったく。とんでもねー客を泊めちまったぜ」
ちくしょー。なんで、おれが怒られるんだよ。
おれは宿屋の1階の廊下を歩き続け、酒場に逃げ込んだ。
「ふー。あやうくリーヌに殺されるところだった。だいたい、よく考えたら、あの無茶苦茶強いリーヌがホブゴブリンなんかに殺されるわけないよな。おれが助ける必要はなかったなかった」
おれが独り言を言いながら汗をぬぐっていると。目つきの悪い酒場の客たちがこっちをいやーな目で見ていた。
「おい、ゴブリンがいるぜー? 狩るか?」
「あー? ゴブリン~?」
(げっ。おれ、酔っ払いに狩られそう……)
一難去ってまた一難。おれは急いで宿屋の方に戻ろうとした。
ところが、おれが酒樽の並ぶ酒場の隅を早歩きで進んでいると、突然、おれの視界が真っ暗になった。
「真っ暗だー。えー!? まさか、おれ、殺された? それとも、こんなところでセーブポイント? おーい。青い妖精ー?」
でも、青い妖精の声も聞こえないし、青い光も見えない。
おれが暗闇の中でしゃべっていると、変な音が聞こえた。
「たーる」
「なんだこの音?」
ふたたび、空間全体に響き渡る声が聞こえた。
「たーる」
おれは首をかしげた。
「誰かがタールって言い続けてる? まさか、美少女錬金術師!?」
「たーる~?」
「んなわけないか。タール~? とか言ってるし。あれ?」
「たーる?」
「なんか、このタールって声、なにかしゃべっているっぽく聞こえる」
「たーる」
やっぱり、何か言っているように聞こえる。どうやら、「たーる」という鳴き声の生物のようだ。何を言っているのかはわからないけど。
「まぁ、いいや。ところで、ここ、どこだろ? 真っ暗だけど」
「たーる」
その声を聞いて、おれはふと思いついた。
「……ひょっとして、樽の中?」
「たーる」
そうだ、と言っているように聞こえる。
「いや、でも、おれ、歩いていたんだけど?」
「たーる」
「歩いていて、樽に入っちゃったの? ……まぁ、おれ、ドジだからな。歩いているだけで樽の中に入っちゃうこともある……かなぁ? まぁ、いいや」
樽に入ったなら、出ればいい。おれは、手を伸ばしてみた。でも、手は何にも触れれない。前後左右、手を伸ばしてみたけど。
どこにも何もない。
「あれ? どういうことだ? 樽の中だったら、狭いはずだよな?」
いくらおれが人間よりちょっと小さめサイズのゴブリンだったとしても、手を広げれば両手が樽の側面に触れるはずだ。
おれは1歩前に出てみた。歩ける。
「歩けた?」
おれは10歩くらい歩いてみた。普通に歩ける。
「やっぱ、ここ、樽の中じゃないっぽいぞ? かなり広いぞ?」
「たーる~。たーる」
まるで、「そんなことないよ。樽の中だよ」と言っているように聞こえたけど、気のせいだろう。
「うーん。なぞだ。おれ、どこにいるんだろ?」
おれはよくわからない空間に閉じこめられてしまったみたいだ。
でも、不思議なことに、酒場の話声や食器のぶつかる音は聞こえる。
「どうしよー……。ふぁー。なんか、眠くなってきたぞ」
おれは大きなあくびをした。
ここは酒場の中のせいか、宿屋の廊下よりずっと暖かい。
今日は一日活動的に動いて疲れているせいもあって、おれはすっかり眠くなってきた。
「たーるー」
まるで、「寝なよ」と言っているような眠そうな声が聞こえた。
「うーん。どうしようもないから、寝るか」
「たーる」
おれは眠気に負けて、その場に横になってみた。
「うん。意外と床も柔らかくていい感じー」
なぜか、床はふわふわしていた。
おれは寝ることにして、うとうとしながら酒場の会話を聞いていた。
「ジェイシー町の武道会の話聞いたか?」
「ああ。今年は優勝賞品が豪華らしいぜ」
「俺はメタル狩りで勇者になる!」
「メタル、見つかんねーんだけど、どこにいるんだよ?」
「この近くにいっぱいいるって噂を聞いたんだけどなぁ」
そんな酒場の話を聞きながら、おれはいつの間にかぐっすり眠っていた。
[モンスター図鑑]
106 タール!:酒場にいることが多い樽みたいなオバケモンスター。ただの樽が繰り返し魔力をもつ人に話しかけられているうちにモンスターになったという。オバケモンスターにしてはめずらしく、無害。夜行性で、夜、近づいた人を飲みこんでしまうが、ダメージは与えずに、翌朝、無傷で吐き出してくれる。酔っ払いを保護してくれるので、結構ありがたがられている。




