4-108 最終話
気がつくと、おれは、海岸のそばにいた。おれのまったく知らない場所だ。
堤防の上のベンチに、おれは横たわっていた。
あたりは、すっかり夜になっている。
夜風がここちよく通り過ぎていく。
空には、たくさんの星がかがやき、暗い海の向こうに対岸の夜景が見えた。
おれの頭の下には、真城さんの革ジャンがひかれていた。
頭のむこうに、真城さんの気配を感じる。
おれが起きようと頭を動かすと、後頭部と肩と背中と、もうあらゆるところが痛んだ。おれは、ラリアットをくらって倒れた時に、全身を打ったようだ。
(うー。またこっちのパターンかよ……。過去にもどってくれよぉ。未来にとんでるとか、ほんとやめてほしい。数日はすごい痛むぞ、これ)
おれは、時間が巻き戻らなかったことを恨んだ。
「起きたか?」
真城さんが、おれの方を見ないで、そうたずねた。
真城さんには見えてないだろうけど、おれはうなずいた。
「ここは……?」
なんで、おれは、こんな夜風がちょっと肌寒い堤防に、真城さんとふたりきりでいるのだろう。
おれの記憶がたしかなら、こっちの世界では、倉庫みたいな場所で、初代総長が真城さんに告白していたところだったのだ。
「初代総長は……?」
おれが、ひとりごとのようにたずねると。
真城さんは、ぼそっと言った。
「言ってやったよ。暴力的な男は嫌いだってな」
「え?」
(ええええーーーーーー! あんたが、それ言う!?)
おれは思わず、心の中でつっこんでしまった。
それにしても。ふられたのか、初代総長。
真城さんは言った。
「シャバーニは、まじめすぎんだよ。あたしは、いっしょにいて、おもしろいやつの方がいいんだ。どんな悲劇も惨劇も、バカバカしい笑い話に変えちまいそうな、すんげぇバカでおもしろいやつとかさ」
(不良軍団のボスを「まじめすぎる」とは……。さすが真城さん。だけど、悲劇まで笑い話にしちゃうようなやつなんて、いないだろうなぁ)
おれが、のんびり、心の中で、そうつぶやいていると。
真城さんは、おれを横目で見て、なんだか、一瞬、あきれているような、バカにしているような表情になった。
それから、真城さんは、無言で、対岸の夜景と夜空の方を見た。
あたりは静かだ。波の音以外に聞こえるものはない。
この周辺には、おれと真城さん以外の人は、いないようだ。
「夢を見るんだ」
真城さんは、ぽつりと言った。
「ずっと前から。まっ昼間に見る夢。ここじゃない、遠くの世界の。そこにいるあたしは、あたしじゃない。夢だからな。でも、やっぱり、あたしなんだ。子どもの時は、楽しい夢だった。幼なじみと一緒に楽しく遊んでいられる世界だったんだ。だけど、いつの間にか、夢の中でまで、あたしはひとりぼっちになって。つらいだけの夢が続いていた」
おれは、なんの話かわからずに、真城さんの話を聞いていた。
「だけど、ある日、へんなゴブリンを拾ってさ。すんげぇブサイクで弱くて、なにやっても失敗する、ドジでバカなゴブリンなんだけどさ。それから、だんだん、また楽しくなっていったんだ」
(ゴブリン? ブサイクで弱い?)
なんだか、まるで、おれみたいなゴブリンだけど。
「夢がさめなきゃいい、って思えるくらいに」
真城さんは、そこで沈黙した。
おれは思った。
(まさか、その「夢」って、あの異世界のこと……?)
おれの知っているあの異世界は、夢なんかじゃない。ものすごくリアルだし、帰ってくる時に、時間のずれが生じているし。
でも、ひょっとしたら、真城さんは、あの異世界のことを「夢」と呼んでいるのかもしれない。
でも、この世界の記憶なんてないって、リーヌは言っていたぞ?
だから、おれはずっと、二人は、ただ似ているだけの別人だと思っていたんだけど。
真城さんには、あの異世界の、リーヌの記憶があるってこと……!?
おれは、とまどいながら、もごもごと、口にだしていた。
「おれも……、その、ゲームの中みたいで、だけど、もっとへんな世界に、おれも……」
真城さんは、おれの方に振り返って、おれを見て言った。
「なに? おまえ、まさか……」
おれは息をのんだ。おれの心臓のこどうが早まっていった。
真城さんは、真顔で、おれにたずねた。
「変態勇者か?」
「えーーー!」
おれは、おもわず、叫んだ。
あのヤヴァい勇者かよ! おれ、真城さんにどう思われてるわけ!?
ヤヴァすぎるよ! あの勇者、趣味も性格も最悪じゃん!
しかも、むちゃくちゃ、リーヌに嫌われてるじゃん!
好感度「嫌い」のMAX越えで、今にも殺されそうじゃん!
もう絶望なんてもんじゃないよ……。
おれの脳内がパニックになっていた、その時。
真城さんはニヤッと笑い、おれのおでこを指でつついた。
「冗談だよ。おまえ、デコにへんなアザがあるからな。こっちで会った時に、すぐわかったよ。『ゲッ、ゴブヒコだ!』って」
「え?」
おれのおでこには、たしかに、変な形のアザがある。
その昔、おれがまだ学校に行っていた頃、散々からかわれてトラウマ化しているアザだ。
おれがゴブリンに転生しても、いやがらせのように、あのアザはそのままだった。
まぁ、ゴブリンの時は顔がブサイクすぎて、そんなアザなんてどうでもよくて、忘れてたんだけど。
(だけど、すぐわかったって……? すぐわかったって、いつのこと……?)
おれの心臓は、さらに早く鳴り出した。
ひょっとして、いや、ひょっとしないでも、あの沈黙の魔法にかけられたコンビニバイトの時からずっと、真城さんは、おれ=ゴブヒコって知ってたの!?
おれは、とまどい、
「じゃあ、なんで……」
と、つぶやきながら。
(なんで言ってくれなかったんだよ! 気づいた時に言ってくれよ!)
と、心の中で、叫んでいた。リーヌ相手になら、叫んでいるんだけど。真城さんは、ちょっと怖いから……。
真城さんは、バカにしたような表情をうかべて、おれに言った。
「乙女は素直じゃねーんだよ。言うわけねーだろ。オーバカヒコ!」
おれは反射的に、ゴブヒコ・モードに戻って叫んだ。
「かんぺきにリーヌさんじゃないっすか! おんなじ人じゃないっすか! なんで、言ってくれなかったんすか! てか、リーヌさん、こんな世界は知らないって言ってたじゃないっすか! ウソだったんすか!?」
真城さんは、口をとがらせて言った。
「うっせぇな。乙女は恥ずかしがり屋なんだよ」
おれは、頭を抱えた。
この人、完全に、リーヌだ!
「つーかさ、おまえ、いっつもシカトしてくるから、こっちでは、記憶ねーのかと思ってたんだよ。記憶あったのかよ! なんで知らんぷりすんだよ! あたしの顔くらい、おぼえてるだろ!」
そう文句を言う真城さんは、もうリーヌにしか見えない。
「だって、おれ、真城さんとリーヌさんは、そっくりな別人だと思ってたから……」
「あたしの名前は、真城リーヌだ!」
リーヌは、そう、衝撃の事実を告げた。
「そう、だったんすか……」
コンビニでも、名札とかシフト表、名字しかのってなかったんだよな……。
真城リーヌは、がくぜんとした表情で言った。
「ほんとに、気づいてなかったのかよ。こいつ、知らんぷりしてるだけなんじゃねぇかって、うたがってたんだけどな。だって、あっちの世界で、さんざん、あたしは、こっちの世界の話をしてただろ?」
「え? 異世界にいる時、こっちの世界の話なんて、してたっすか? おれ、1回も聞いてないっすよ?」
「……やっぱ、おまえは、すげーよ」
おれは、ここで、ふと気がついた。
真城さん=リーヌということは。真城さんは、当然、異世界で、おれがしてきたことを、ぜんぶ知っている。
おれ、異世界は異世界だと思って、なんか散々しでかしてたような気が……。
なんか、恥ずかしくなってきたぁ!
おれ、こっちの世界でやったら、ドン引きだったり通報されそうなこと、言ったりやったりしまくっていたようなぁ……。
でも、それを言ったら、リーヌもすごいよな……。真城さんって、ああいう人だったのか……。
いや、むしろ、リーヌが真城さんのふりをしていたと考えると、こっちでは、意外と、まともに生活していたともいえるけど……。
そこまで考えたところで、おれは、ふと思った。
そういえば、この世界に戻る直前。おれが、最後に、愛を叫んだ時のことは?
あの時、リーヌは意識がなかったはずだ。
ということは、真城さん=リーヌは、何が起こったのか、おれが何を言ったのか、何も知らないはず……。
おれが何も言わなければ、このまま、おれがどう思っているかは、わからないまま……。
でも、おれは、伝えないといけない。
おれは、悟ったのだ。
おれの鼓動が、さらに高まっていった。
リーヌは、何も言わずに夜景を見ていた。
この場所は、とても夜景がきれいで、星空も月も、今夜は、やたらときれいだ。
(あれ? いま、気づいたけど。なんか、ここ、とってもロマンティックな場所だぞ?)
おれの鼓動が、さらに、どうしようもないほど高まった。おれは、対岸を見つめたまま、ひたすらあせっていた。
頭の中が、真っ白だ。
言わなきゃいけないことが言えない。
異世界で、ついさっき、あんなに、おれは叫んでいたのに。
どれだけの時間がたっただろうか。数秒のようにも数十分のようにも感じられる。
リーヌは、対岸の夜景を見ながら、ぽつり、ぽつりと言った。
「昔さ、ダチが言ってたんだよ。ひとりじゃできなくても、ふたりでできればいいんだって。ふたりでできなくても、みんなでできればいいんだって。おまえもあたしも、1人じゃ何もできねぇやつだけど。ひょっとしたら、ふたりだったら、すげぇことが、できるかもしれないだろ? 1たす1が10になるかもしれないだろ? そういうタイプのやつなんだよ、きっと」
その時。おれは、石像のように固まって正面を見ながら、ようやく声をふりしぼった。
「あの、真城さん、いや、リーヌさん、おれ、その、じつは、その……」
リーヌは、おれの首の後ろに腕をまわすと、おれの言葉をさえぎった。
「しゃらくせぇ。ゴブヒコのくせに。二度も聞いてられっか。だまってろ」
「え?」
おれが、反射的にふりかえると、そこにはリーヌの顔があって、気づいた時には、おれの口にリーヌの唇が、おしあてられていた。
ショートケーキのような甘い味がした。
唇をはなすと、おれの首に腕をかけたまま、真城リーヌは、おれの目を見て言った。
「あたしとつきあえ。いいな?」
満点の星空の下、おれは何も言えずに、うなずいた。
こうして、真城リーヌは、おれの初キスと、おれの心を、永遠に奪っていった。
おわり。
でも、1つだけ、短い話を追加します。