4-107 神との戦い
羊くんが指を打ち鳴らすと、上空の光源が分裂し、渦巻き型の小型ロボットのようなものが、いくつも出現した。
同時に、羊くんの影から生まれた羊頭の巨人が、両腕をふり上げた。
そして、真っ黒な巨人は、巨大な黒い拳を、地表のおれにむかって、ふりおろした。
「ギャーー!」
おれは、駆け回り、巨人の攻撃をよけた。
巨人の真っ黒な拳骨がふれた地面は、水面のように波打ち、黒い蒸気がのぼっていった。
「ちょっと、まった! 羊くん! 話しあおう! 話しあえば、わかりあえるはずだー!」
上空に浮かんだまま、羊くんは、冷たい目で、おれを見下ろしている。
「いくら話しても、あなたが理解できなかったから、こういうことになっているんだよ。ゴブヒコさん。もう手遅れだよ」
真っ黒な影の巨人の周囲にうかんでいる白い渦巻き型ロボットから、いっせいにレーザー光線が、放たれた。
「うわわわっ」
おれは、跳びはねながらレーザー光線を、がんばってよけようとした。
だけど、無数のレーザーすべてをよけきることなんて、できない。
「ギャーーー!」
おれは、とっさに、シャハルンの盾で、レーザー光線をはね返していった。
シャハルンの盾は、レーザー光線をあちこちに反射し、はね返したレーザー光線のひとつが、渦巻きロボットにあたった。ロボットは一瞬だけ消えて、また復活した。
反射したレーザー光線のうち、巨大な羊の影にむかって飛んでいったものは、影に吸収されるように、ただ、消えてしまった。
そして、羊くんにむかって飛んでいったレーザー光線は、羊くんの手前で拡散して消えた。
シャハルンの盾は、受けるダメージを敵にはね返すはずの盾だ。だけど、今は、その効果が、出ている気配は、まったくない。
神々しい美少年は、平然とした顔で、おれを見下ろしている。羊くんは、冷たい声で言った。
「ゴブヒコさん。あなたは、ぼくにも、ぼくのしもべにも、ダメージを与えることなんてできないよ。これは、アクションRPGじゃないんだ。もしもこれがゲームだとしたら、あなたがプレイしているのは、別のジャンルのゲームなんだよ。だいたい、本当なら、シャバーはおろか、ぼくと出会う前にクリアすることだって、できたんだから。ぼくなら最初のセーブポイントでクリアしていたよ?」
「ど、どういうこと?」
羊くんの言ってることは、まったく、意味がわからない。この世界は、RPG風の世界だし、モンスターも出てくるし、ボスっぽい勇者も出てくる。
それに、まさに今、まるでRPGのラスボス戦みたいな状況なのだ。
「わからないから、こういうことになっているんだろうけど。ぼくはもう、容赦しないよ」
ふたたび、羊頭の巨人の真っ黒な腕が、上空から振り下ろされた。
右、左、右、左と、連続して。
「ギャー!」
おれは、走って逃げた。
だけど、4回目。巨大な拳骨が打ち下ろされた場所から黒い蒸気が噴出し、おれの左手の小指あたりが、それに触れてしまった。
「ギャ! いた……くはないけど……」
冷たい感じがしただけだ。
だけど、自分の手を見て、おれは、ぞっとした。
「おれの手、指が3本になってる……」
痛みも何もない。ただ、指が消滅してしまった。
「ギャーー!」
どうやら、あの黒い影にふれると、消えてしまうらしい。
「これ、なんてムリゲー!?」
そりゃ、おれは激弱だから、危険地帯でひとりになれば、いつでもムリゲー状態だったけど。でも、今回は、ほんとうに、手も足も出ない。手とか足を出せば、消えちゃうんだから。
羊くんは、おれを見下ろしたまま、言った。
「特別に、ヒントをあげるよ。あなたは、ぼくを倒す必要なんてないんだ。ぼくは、もう死んでいるんだから」
おれは、頭脳を高速で回転させた。
「ひょ、ひょっとして……。トゥルーエンドのためには、ただラスボスを倒すんじゃなくて、特定の行動をとらないといけないっていうタイプ?」
「ゲームに関することは、カンがいいね。そう、大事なのは、強さじゃないんだ」
「羊くんに、ほめられた!」
羊くんは、言った。
「どんなに努力しても、どんなに願っても、誰もが強くなれるわけじゃない。どんなに勉強したって誰もが同じように賢くなれるわけじゃない。学校の先生は、言わないけど。みんな、生まれた時から違う特徴をもっているんだから。でも、だからこそ、このゲームでは、弱いものが、強いものに勝つこともあれば、賢い人よりおバカな人が有利なこともある。その証拠に、ここにいるのは、ゴブヒコさん、あなたであって、シャバーニさんでもホナミさんでもないんだ」
「な、なんか、羊くんの話が、わからなくなってきた……」
羊くんは、おれには構わず、しゃべり続けた。
「敵を倒す強さより、弱い者に寄りそう優しさ。正解を導き出す賢さより、笑いを生み出すおとぼけっぷり。他の人を追い落とす競争心より、のんびりぼーっとなんでも受けいれる心。きっと、リーヌちゃんがほしかったものを、偶然、ゴブヒコさんが、すべて持っていたんだろうね。だけど、ゴブヒコさん。何もしなかったら、やっぱり、負けちゃうんだ。散々、誤解されるようなことをしてきたせいもあって。あなたは、かろうじてシャバーを倒したけど。今のままじゃ、足りないんだよ。迷いは消えていないんだ」
「わ、わからない……」
トゥルーエンドに到達するには、何か足りないらしいことだけは、わかったけど。
羊くんは、冷たい声で言った。
「残念。あなたは、いつも肝心のところが、わからないんだよね。もう、いいよ。終わらせよう。ぼくも、あなたの相手をするのに、疲れちゃったから」
羊くんは、空中を移動して行き、リーヌのいる玉座に近づいた。
羊くんは、玉座の背もたれに手を置き、おれを見下ろしたまま、言った。
「リーヌちゃんは、ぼくがもらっていくよ。永遠に、この暗闇の先の、死の世界で暮らすことになるけど」
「死の世界!? そんな……」
羊くんは、冷たい声で言った。
「どうせ、ほっといても、同じ結末になったんだ。リーヌちゃんは、この世界に永遠にいることはできない。むこうの世界で衰弱していってしまうから。この世界に永住するってことは、むこうの世界で死ぬってことなんだよ。だから、そうならないように、ぼくは、姿を消していたのに。あなたのせいで、リーヌちゃんは、戻ろうとしなくなってしまった」
羊くんは、やれやれ、というように、頭をふった。
「さてと。ぼくの話を、どこまで理解できたか知らないけど。ゴブヒコさん。あなたには、ここで消えてもらうよ」
羊頭の影の巨人が、ふたたび咆哮をあげ、また一段と、大きくなった。
そして、玉座が動きだし、羊くんと玉座、そして意識のないまま玉座に横たわったリーヌの姿が、遠ざかっていく。
「待ってくれよ!」
おれは、必死で、リーヌの姿を追いかけた。
「リーヌを連れて行かないでくれ!」
おれの前には、真っ黒な羊頭の巨人が立ちふさがっていた。
巨人が足をもちあげ、そして、暗い雲のように巨大なその足が、頭上から、ふってきた。
おれは、けんめいに走りつづけた。
走り続け、おれは、おれを踏みつけようとする真っ黒な足から、かろうじて逃れた。
でも、巨人の足が踏み抜いた地面から、黒い蒸気が大きく噴出し、シャハルンの盾をもつおれの右手がそれに触れ、盾ごと、消えてしまった。
片手が消えても、おれは、そのまま、リーヌを追いかけ、走り続けた。
空中に浮いた神々しい美少年は、冷酷な笑みをうかべている。
「ゴブヒコさん。なんで、追いかけるの? このままじゃ、死んじゃうよ? 勝ち目なんてないんだから、いつものように、あきらめなよ。そうすれば、あなたのことは、ゆるしてあげるよ。昔みたいに、家にひきこもって、好きなゲームをしたり、マンガを読んだりして、のんびり暮らせばいい」
おれは、羊くんにむかって、叫んだ
「あきらめない! あきらめられない! たしかに、いつもなんでもあきらめるおれだけど。リーヌのことだけは、あきらめられない!」
羊くんは、玉座のそばで、不気味な笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、特別に。ぼくにリーヌちゃんをくれるなら、あなたが望むものを、なんでもあげるよ。好きなものを手に入れて、幸せに暮らして、リーヌちゃんのことは忘れればいい。ぼくは、全能の神なんだ。リーヌちゃんは、ぼくを信じているから。この世界で、ぼくにできないことは何もない。あなたの望むものを、なんでも用意できるよ」
おれは、そくざに叫んだ。
「そんな竜王のひっかけみたいなのに、引っかかるもんか!」
羊くんは、皮肉な笑みをうかべている。
「本当にいいの? あなたがいつも望んでいたハーレムだって、最強の力だって、なんだって手に入るんだよ? いつでもちやほやしてくれてゴブヒコさんのことが好きでたまらない、たくさんの女の子たち。どんな状況でも困らないほどの、数え切れないチートスキル。使いきれないほどのお金に、誰もがひれ伏す地位と権力。いままであなたをバカにしていた人達が、みんな、ひれふし、頭を下げてくるよ? なんだって思い通りになる。すべてが手に入るんだよ?」
「そんなの、おれは、いらないんだ!」
おれは、必死に叫んでいた。
「おれは、よくわかってなかったんだ! ハーレムなんてあったってしかたない! 最強の力があってもしかたがない! リーヌがいなきゃ、意味がないんだ! バカにされたって、みんなに嫌われたって、それでもいい。リーヌといっしょなら! おれがこの世界を好きだったのは、リーヌがいたからなんだ! おれに必要なのは、リーヌだけなんだ!」
羊くんは、残酷な笑みをうかべて、言った。
「気づくのが、おそいよ。リーヌちゃんは、あなたには、渡さない。リーヌちゃんは、永遠にぼくのものだ。あなたは、ぼくに勝つことはできないよ。あなたがここに来てからだって、リーヌちゃんは、ずっと、ぼくを探し続けていたんだから。リーヌちゃんは、絶対に、ぼくを忘れない」
「だとしても! あきらめることなんてできない! おれは、リーヌを、死の世界になんて、連れていかせない!」
羊くんは、上空から、表情を変えずに、おれを見下ろしていた。
「あきらめないなら、あなたには、ここで死んでもらうよ。言いたいことがあったら、今のうちに言っといたほうがいい」
羊頭の巨人が、おれの背後からジャンプをし、ふたたび、おれの前に立ちふさがった。
羊の巨人の真っ黒な手が、おれを叩きつぶそうと、ふり上げられた。
おれは、遠ざかっていくリーヌの姿を追いかけて、全力で走りながら、よびかけた。
「リーヌさん! リーヌさん! 起きてくれっす!」
玉座にもたれかかるリーヌに、反応はない。リーヌは意識を失ったままだ。
羊頭の巨人の巨大な掌が、おれの上から降ってきた。
走り続けていたおれは、ちょうどその時、何もないのに、転んでしまった。
だけど、おれは、そのおかげで、運よく、巨人の指と指の間に入り、命は助かった。
巨人の黒い指にふれた、おれの左腕は、消え去ったけど。
両手を失い、立ちあがった時。おれは、もうわかっていた。
おれには、この羊頭の巨人を倒すことはできない。羊くんを倒すことはできない。
おれは、ここで死ぬ。
どんなに強く願っても。どうあがいても。
おれには、リーヌを助けることはできない。
おれの心の中から、後悔といっしょに、どんどんと言葉があふれてきた。
「ごめん……。おれは、弱くて……何もできなくて……どうしようもないバカで……」
おれは、今になって、悟った。
ずっと、わかりきっていたはずのことを。
「おれは、自分の気持ちもよくわからなくて……。好きとか、愛とか、どういうことなのか、なにもわからなくって……」
おれは、リーヌを追いかけて、ふたたび走りながら、叫んだ。
「だけど、おれは、ずっとリーヌのことが、好きだったんだ! これが好きってことだったんだ! 愛してるってことだったんだ!」
巨人が地団太を踏み、地面が波打ち、水のように黒い影が噴出し、そして、その黒い水たまりを踏んでしまったおれの右足が、ひざから下が、すべて消えた。
片足だけになったおれは、そのままの勢いで数回跳びはねた後、バランスをくずし、ばたりと倒れた。
おれは、もう走れなくなった。
玉座のリーヌの姿は、どんどんと遠ざかっていく。
おれは、声をからして、叫んだ。
たとえ、リーヌが意識を失っていて、聞いていないとしても。
おれは、どうしても、死ぬ前に言っておきたかった。
「おれは、リーヌが、どんなに恐ろしいやつでも、危ないやつでも、女神様でも大魔王様でもカエル様でも、なんでもいいんだ! リーヌのせいで危ない目にあっても、死ぬことになってもいいんだ!」
玉座が、リーヌの姿が、しだいに小さくなっていく。
おれは、地面に倒れたまま、遠ざかっていくリーヌにむかって、全力で叫んだ。
「おれは、リーヌを愛してるんだ!」
その瞬間、暗闇に満たされていた空間が、徐々に白みはじめた。
真っ黒だった羊頭の巨人は、じょじょに白く色あせ、この場所を満たしていく光の中に、消えていった。
周囲が光に満たされていく中で、リーヌをのせた赤い玉座と、その横に立つ羊くんが、ゆっくりと、こちらに、近づいてきた。
あるいは、おれがいる場所が、むこうに近づいているのかもしれない。おれは、床に倒れたままだけど。まるで、空間が縮んでいくように感じた。
羊くんは、ぐったりと玉座にもたれかかるリーヌに、笑顔をむけた。
「……だそうだよ。リーヌちゃん」
羊くんは、高所に浮かぶ玉座から離れ、ゆっくりと、おれがいる地表におりてきた。
地表におりると、羊くんの姿は、推定年齢17歳から、小学生の姿へと、まるで時を巻き戻すように、変化していった。
イケメン小学生な羊くんは、おれに、ほほえんだ。
「ゴブヒコさん。リーヌちゃんを泣かせたら、ゆるさないからね。リーヌちゃんは、けっこう泣き虫だから。がんばって」
そう言うと、羊くんは、おれに背を向け、まばゆい光の中に消えていった。
世界がどんどんと、白い光であふれていった。
おれは、意識が遠ざかっていくのを感じた。