4-102 呪印
強烈な光が消えた時、おれの前には、ボロボロに砕け散った鎧の残骸をまとったシャバーが倒れていた。
おれは、無傷だ。
シャハルンの盾は、おれが受けるはずだったダメージを、すべてシャバーに反射したようだ。
きっと、そのダメージは、この世界のダメージ上限に達していただろう。
おれの耳には、どこか遠くから、「ゴブヒコは蒼の騎士をたおした。ゴブヒコはレベル99にあがった」という青い妖精の皮肉な声が、かすかに聞こえてきた。
「シャバー!」
リーヌが叫んだ。
血まみれのシャバーは、ぴくりとも動かない。シャバーは、生きているようには、見えない。
おれの心が、罪悪感で痛んだ。
「ホブミ、シャバーを助けてくれ!」
リーヌは、ホブミに、こん願した。
その時、ホブミは、すでに蘇生魔法を唱えていて、次の瞬間には呪文の詠唱を終えた。
だけど、シャバーに、反応はない。
さっきまで魔法無効の歌を歌っていたカエル艦長たちは、今は何も歌っていない。蘇生魔法がきかないのは、カエル艦長たちのせいではないようだ。
ホブミは、シャバーにかけより、首筋に手をあてた。
シャバーの首筋には、黒い紋章が不気味に光っている。
「やはり。この呪印の力で、蘇生魔法が効かなくなっています。以前、状態異常を回復しようとしたときも、同じでした。私には、どうやっても、この呪いを解けませんでした」
カエル艦長たちが、ひょこひょこと近づいてきて、シャバーの様子をのぞき見た。
「これは、『冥廻牢の呪印』だロゲ」
「『冥廻牢の呪印』が刻まれると、状態異常を回復できないんだワグ」
「だから、蘇生もできないんだロゲ」
「この呪いを解除しないと、蘇生できないんだワグ」
「じゃ、その呪いをといてくれ」
と、リーヌはカエル艦長たちに頼んだ。だけど、カエル艦長たちは、手をふりながら言った。
「ただの艦長には、そんなすごいこと、できないロゲ」
「ただの艦長には、ハコブネの操作しか、できないワグ」
「あとは歌うことだロゲ~♪」
「歌はじょうずだワグ~♪」
お気楽カエル艦長たちに、ウソを言っている感じはない。たぶん、ほんとうに、ハコブネの操作と歌うことしかできないんだろう。
「じゃ、どうすりゃいいんだよ?」
と、リーヌが泣き出しそうな声でたずねると、カエル艦長たちは、親切に教えてくれた。
「冥廻牢のえらい人なら、この呪印をはずせるんだロゲ」
「あとは、このへんで、これをとけるのは、天空の魔女様くらいだワグ」
カエル艦長たちとリーヌが、そんなやりとりをしていた間。ホブミは、シャバーの周囲に魔道具を置き、別の呪文を唱えていた。
ホブミが呪文の詠唱を終えると、シャバーの周囲に光の壁ができた。
ホブミは言った。
「一時的に、この空間を凍結し、時間を止めています。空間凍結が続いている間は、蘇生可能な状態をたもてます。リーヌ様。ここで私が時間かせぎをしている間に、呪いを解いてください」
「わかった。ホブミ、シャバーを頼んだ。来い、ゴブヒコ」
と、言った時には、リーヌは、もうおれのベルトをつかんでもちあげていた。
そして、おれをつかんだリーヌは、ハコブネから、蒼の宮殿のバルコニーにむかって、跳躍した。
跳ぶというより飛ぶといったほうがいいくらいの距離を跳び、リーヌは、なんなく、宮殿のバルコニーに、着地した。
おれが、ハコブネの方をふりかえると、ホブミの指示で、カエル艦長たちが空間凍結のおりを運んでいるのが見えた。
リーヌは、宮殿の中に入って行った。おれは、あわてて後を追いかけていった。
バルコニーから屋内に入ると、そこは、広い廊下の端っこだった。
青いタイルが敷きつめられた広い廊下を、おれたちは、進んで行った。
じきに、オルガンの荘厳な音色が聞こえてきた。おれ達は、音がする方へと進んでいった。
やがて白い柱がたちならぶ空間へ、おれ達は出た。
壮麗な飾りがほどこされた柱はアーチをつくり、天井には緻密な絵が描かれている。
高いところに並ぶステンドグラスのような青い窓から、大広間に、いく筋もの青い光がさしこんでいた。
この大広間には、高窓と、柱にところどころ設置された青ランプ以外に光源がないので、うすぐらい。
そして、大広間の最奥の檀上には、巨大な金属のパイプが並んでいた。
その下、パイプオルガンの前に、青いドレス姿の天空の魔女が座っていた。
流れてくる音楽は、天空の魔女が演奏しているようだった。
天空の魔女は、演奏を止めた。
天空の魔女は、ゆっくりと立ち上がり、こちらに振り返った。
「あらあらー。そっちを選ぶの? やめといたほうがいいわよ~」
そう言いながら、天空の魔女は、こちらにむかって歩いてきた。
青い髪飾りをつけて青いロングドレスを着た天空の魔女は、まるで、さよならコンサートの伝説のアイドルのように美しくて、そして、あいかわらず、若かりし頃の母ちゃんそっくりだ。
「シャバーの呪いを解け! ゴブヒコの母ちゃん!」
と、リーヌはどなった。
「いや、あれは、おれの母ちゃんじゃないっす」
と、おれは言ったんだけど。
天空の魔女は言った。
「あー、あの呪印。あの坊やを蘇生できなくて困ってるわけね。でも、あれ、わたしのせいじゃないんだけど? そもそも、冥廻牢送りにしちゃったのは、あなたでしょ? 冥廻牢は、わたしの管轄じゃないし。助けてあげる義理もなにもないんだけど」
「わけわかんねーけど、シャバーをもとにもどせ! ゴブヒコの母ちゃん!」
と、リーヌが再度言うと、天空の魔女は、肩をすくめた。
「しかたないわねー。ほかでもない、あなたの命令だから。特別に、あの呪印、解除してあげるわよ」
でも、そこで、天空の魔女は、最後に、いじわるな条件をつけた。
「あなたが、そのゴブリンを忘れて、あの男と新世界に旅立つっていうならね」
リーヌは、即座に言った。
「ゴブヒコは捨てねぇ。決めたんだ。ゴブヒコが、どんなにバカでも弱くても、こいつといっしょにいるって。バカなら、教えりゃいい。弱けりゃ、守ればいい。だって……、だって……」
そこで、リーヌは、ぷいっと横を向いて、宣言した。
「アタイは、テイマーだからな!」
「煮え切らないわね。やっぱり、まだ迷ってるんじゃないの~?」
と、天空の魔女は言った。
リーヌは、いらいらした様子で、天空の魔女にむかって命令した。
「いいから、とっとと、シャバーにかかってる呪いを解け!」
「しかたないわねぇ。いいわよ。……わたしを倒せたらね」
天空の魔女は指を打ち鳴らした。
「はい、設定終了。わたしを倒したら、ジョーにつけられた冥廻牢の呪印は自動的に解除されまーす。ついでに、ハコブネのモンスターたちも、みんな、元の場所にもどしてあげるわ。大盤ぶるまいの大ボーナスよ」
そう気楽に言う天空の魔女に、おれは忠告した
「青い妖精、いくら神の使いだからって、よゆうぶっこいて『倒せたら』なんて設定にすると、後悔するぞ? 無条件に解除しろよ。この金髪カエル様、神様だって倒しちゃいそうに、ものすごく強いんだぞ?」
天空の魔女は、ぶぜんとした表情で言った。
「よーくわかっているわよ。あんた以上にね。さっきだって、大変だったんだから。もう少しで、大陸水没、文明滅亡だったのよ! ……でも、心配ご無用。わたしは、実体がない存在だから。今は、あんたの呪いのせいで、山田葵の姿に固定されちゃってるけど。わたしの正体は、この世界にあまねく存在する光の一部なの。だから、昔は姿なんて自由自在だったのよ~」
リーヌとおれは、首をかしげた。
「『じっちゃんがない存在』? ゴブヒコの母ちゃん家は、じぃちゃんがいねーほどの早死に家系なのか? ひぃじぃちゃんがいるやつもいっぱいいるのに。かわいそうだな」
「たしかに、うちは、わりと早死にっすけど。それより、天空の魔女の正体は『招く存在スルヒカリ』って、どういうことっすかね?」
リーヌは、あごに手をおき、真剣な声で言った。
「スルヒカリ……米なのか?」
「なるほど。コシヒカリに似たお米っすか。おれは、招き猫っぽいのを想像してたんすけど」
天空の魔女は、いらいらした様子で、叫んだ。
「どうやったら、そうなるわけ!? あんた達、同じ言語を話しているとは思えないわ! つ・ま・り、わたしは光なの! この世に光がある限り、わたしは、消えないわけ! いくら世の中にブルーライトカットグッズがまんえんしても、ブルーライトは消えないのよ!」
天空の魔女は、びしっとポーズを決めた。
「なるほど。青い妖精は、ブルーライトだったのかー。前から、青い妖精は、ちょっと目に痛いと思ってたんだよな~」
と、おれが、何度もうなずきながら言うと、
「ブルーライトって、青信号か? 青信号が消えねぇのか?」
と、これでも理解できなかったリーヌは言った。
それから、天空の魔女は、うんざりしたような顔で、もはや独り言のように言った。
「だから、倒されちゃっても、すぐ復活するわ~。むしろ、その衝撃で、あんたのスパパラマザコンの呪いから逃れられないかなーって、実は期待していたりしてー」
おれは、うなずいた。
「なんだかよくわからないけど。天空の魔女は倒されてもOKってことは、わかったぞ。じゃ、リーヌさん、遠慮なく、この天空の魔女を倒してくれっす」
だけど、天空の魔女は、ふくみ笑いをしながら、ぶきみに言った。
「そう簡単にいくかしら? わたし、大事な大事な『あんたの母ちゃん』なのよ?」