4-58 純情乙女
「おまえの母ちゃんって、どんな母ちゃんだ?」
と、リーヌは、おれにたずねた。
「母ちゃんは、一言で言うと、パーフェクト母ちゃんっす。仕事してんのに、家事もばっちりで、学校のイベントにまで全部出るんすよ。おれは、学校行事とか、できる限り出ない主義なのに。あと、母ちゃんは、おれが事件を起こすたびに、あちこちに謝罪して解決してくれるっす」
すると、リーヌは、なぜか、ほっとしたように言った。
「なんだ、おまえも実はワルだったのか。安心したぜ。完全に違う世界に住んでる感じで、心配だったんだよな。わかりあえねーんじゃねぇかって」
「え? おれは、ぜんぜん、ワルじゃないっすよ? おれはドジだから、いろいろ起こるだけっす。なんかしらないけど、いつのまにか、騒動になってたり、みんな怒ってたり……」
と、おれが言ってると、リーヌは言った。
「あー。それわかるわー。ふつうにしてると、なぜか抗争になってたり、色々ぶっつぶしてたりすんだよな」
「おれのは、もっと平和っす! リーヌさんみたいな物騒なことには、絶対、ならないっす!」
と、おれがびっくりして叫ぶと、リーヌは、口をとがらせて、文句を言った。
「あんだよ。そこは、あわせろよ。『わかるわかるー』って言えよ」
「いやいや、ちっともわからないっす。てか、それがわかるって、かなり危ない人じゃ……」
リーヌは舌打ちして叫んだ。
「ウソでもいいから、『わかる』って言ってほしいんだよ! 乙女はシンパシー感じてぇんだよ!」
「むりっす!」
それから、リーヌは妙に熱心に、おれに質問してきた。
「で、おまえの母ちゃんは、他は、どんな感じなんだ? きびしいのか? うるさいのか? 嫁いびりなのか?」
「嫁いびり? どっからそんな言葉が? それは、未知の領域っすね」
嫁の前に、彼女がいたことないからな。
「でも、もしも、おれに彼女がいたら……」
おれは、想像してみた。
もしも、おれが、家に彼女を連れて帰ったら……。
「母ちゃんは、おれの彼女だとは、絶対、信じないっす。たぶん、サギ師か泥棒だと思うっす」
おれだって、おれが、ゲーム画面でもフィギュアでもない人間の女の子を連れてきたら、「おい、いますぐ警察か消費生活センターに相談しろ! 急げ!」ってアドバイスするぞ。
「な、なにぃ!? 彼女の存在を全否定なのか!? 手ごわすぎるじゃねーか。おまえの母ちゃん!」
と、リーヌは叫んだ。
「え? いや、母ちゃんは、やさしいっすよ? 本物の彼女だったら、たぶん、むちゃくちゃ歓迎してくれるっすよ? たぶん、救国の聖女とか、命の恩人とか、そういうレベルの扱いになるっす」
「……どっちなんだよ。チクショー。おまえとは、会話が成り立たねぇ」
と、リーヌはなげいた。
「よく言われるっす。でも、リーヌさんには言われたくないような……。とにかく、母ちゃんは、おれが何やっても『しかたないわねぇ』で終わりで、やさしいっす。でも母ちゃんは、頼りになるんすよ。おれ、しょっちゅうサギに引っかかるんだけど、母ちゃんに頼めば解決してくれるし。てか、母ちゃんに聞けば、いつでもなんでも解決っす。もちろん、おれは、生活費は全部母ちゃんの収入に頼ってるっす。近頃はおれ、バイトもしてるけど、あれは、おれのおこづかいだし」
妙な沈黙が数秒続いたあと、リーヌは、心底おどろいたような声で言った。
「おまえ……やべぇマザコンだな! 前から、自力で生きていけなさそうなダメ男オーラ全開のやつだとは思ってたけどよ。おまえ、母ちゃんいねーと、生きていけねーじゃねぇか! 赤ん坊なみじゃねぇか!」
「ただのマザコンじゃないっす。スーパーパラサイトマザコン、略してスパパラマザコンっす」
と、おれは言っといた。
リーヌは、つぶやいた。
「やべぇ……。おまえって、知れば知るほど、やべぇな。想像をこえてるぜ」
「そうっすか? おれって、かなり平凡っすよ?」
あっちの世界で、想像を超えてやばい人っていったら、真城さんとか、いるからな。
そこで、リーヌは、さびしそうな声で、つぶやいた。
「でも、うらやましいな。マザコンになれるくらいの母ちゃんがいて。あたしの母親は、子どもなんてどうでもいい、ろくでもねぇやつだからな」
その声が、あまりに寂しげだったので、おれは、なんだか、リーヌがかわいそうになった。
「リーヌさん……」
おれが、なにか、元気づけることを言おうと思ったところで、リーヌは言った。
「あたしにくれよ」
「え? なにを?」
と、おれが聞き返すと、リーヌは即答した。
「おまえの母ちゃん」
おれは、思わず叫んだ。
「むりっす! 母ちゃんって、あげられるもんじゃないっす!」
リーヌは、すんごく大きく舌打ちした。
「ケチケチマザコンめ! いーじゃねーか。あたしに、母ちゃん、わけてくれたってー。おまえの母ちゃん、よーこーせー!」
「んな、むちゃくちゃな!」
しばらくして。リーヌは、マジメな口調になって、ぽつりと言った。
「……なぁ、おまえ、ほんとに気づいてねぇのか?」
「え? なににっすか?」
リーヌは、ぼそりと、怖いことを言った。
「知らんぷりしてんなら、ぶっ殺す」
「えぇ!? なんだかわからないことで殺さないでくれっす! 知らんぷりしてないことだけは、たしかっす!」
おれがびっくりして、そう言うと、リーヌは、あっさり言った。
「おう。信じるぜ。おまえ、とにかく、すげぇからな」
なんだかわからないが、おれは、ほめられた。
そこで、リーヌは起きあがって、こっちを向いて座った。
リーヌは、おれの目を見ながら、いたずらっぽく、ニヤリと笑った。
「なぁ。乙女のキスとかいうの、試してみるか?」
「え?」
「キスだよ、キス」
冗談だろうけど。
魚のキスとか出てくるんだろうけど。
それに、リーヌは、今、カエルなんだけど。……むしろ魚のキスと一緒に泳いでそうな姿なんだけど。
でも、おれの心臓はドキンとなった。……おれ、だいじょうぶかな。心臓病かも。だって、カエルだぞ? おれ、さすがに、両生類には、ときめかないはずなんだけど。
リーヌは、いたずらっぽく言った。
「オホシミ山で、アタイが乙女の中の乙女なら、おまえも乙女だって言ってたじゃねーか? おまえが本物の乙女だったら、キスしたら、人間に戻るんだろ?」
「いや、『乙女のキッス』って、ゲームのアイテムっすから。乙女がキスしても治るかどうかはわからないっすよ? てか、おれは、乙女じゃないし」
と言いつつ、おれは、なにげなく、つづけた。
「でも、乙女がバージンって意味なら、ひょっとしたら、効果あるかもしれないっす。おれ、キスしたこともないっすから」
数秒、静寂が続いた後、リーヌの、おどろいた声が返ってきた。
「え……? おまえ、21って言ってたよな……?」
「え? そ、そんなにドン引きなほど珍しくないと思うんすけど? ていうか、たぶん、非モテの間じゃ、普通っすよ? てか、さらにいえば、その後20代は出会いのない社畜か引きこもりで過ぎていき、30才過ぎてもキスしたことないとか、転生するような男には、たぶん、よくあることっすよ?」
「ああ? 30過ぎったら、小学生の子どもが2、3人いるころだろ? 一番上が、そろそろ小学校卒業しそうな感じだろ?」
と、リーヌは言った。
「それはないっすよ。だって、それじゃ、20才くらいで、もう子どもが生まれてるじゃないっすか」
たしか、日本の平均結婚年齢は30才前後だったはずだ。
でも、リーヌは言った。
「んなもんだろ。あたしの知ってるやつら、わりと二十歳くらいで産んでるぜ?」
「じゃ、この世界では、そうなんすね」
ここ、中世ヨーロッパ風異世界だからな。きっと、みんな15才くらいで結婚するんだろう。
ちょっと、カルチャーショックだけど。
「つーか、おまえ、ほんとにキスしたことねぇのか……。うむ。カエルは帰る」
と言って、リーヌは立ち上がった。
「ちょっ、なんすか。変なダジャレでしめないでくれっす」
「いや。いいじゃねーか。初キスは大事にとっとかねーとな。おまえ、本物の純情乙女だよ。この純情乙女勝負、アタイの完敗だ。さすが、プリヒコだぜ」
そう、いさぎよく負けを認め、リーヌは、さっそうと歩き出した。
「勝ちたくなかった……。てか、プリヒコは、やめてくれっす!」
と、おれが言うのは、もう聞かずに、
「さぁて、パーティーだ!」
と言って、リーヌは、どんどん山をくだって行った。