4-56 天然
さわやかな風がふきぬける夕方の林の中で、永遠に続きそうな静寂の中、しずかに森林浴をしていると、リーヌが、ぼそりと、おれにたずねた。
「なぁ、おまえさ、頭悪いやつのこと、どう思う? ちっとも勉強できねーやつとか、さ」
「え? どうって。おれも中卒だから、ひとのこと言えないっす」
おれはついつい、あっちの世界での話をしていた。
こっちの世界だと、たぶん、おれ、小学校も出てないだろうな。……ゴブリンの集落って学校あるのかな?
「おまえ、バカだけど勉強できそうなのにな」
と、リーヌは、ちょっとおどろいたような声で言った。
「そうっすか? でも、そういえば、おれ、テストの点数は、けっこう、よかったんすよ。よくテスト問題の意味まちがえてたわりに。先生には、『まじめに勉強したら、トップレベルの高校にだって受かるかもしれないが、山田だからな』って言われたくらいだったんすよ。中3の時は、後半ほとんど学校行かないで、家でもあんまり勉強しなかったのに、わりと、いい高校にも受かったんす。行かなかったけど。おれ、きっと地頭はいいんすよ」
おれは、ついつい、あっちの世界でのことを自慢した。
「だよな。おまえ、すげぇバカだけど勉強はできるタイプだよな」
リーヌは、特に違和感を感じていないようだ。……やっぱ、ゴブリンにも学校あるんだな、きっと。
そこで、リーヌは言った。
「だって、おまえ、本読めるもんな」
「そりゃ、本くらい読めるっすよ。読めない人なんていないっす」
と、おれが何気なく言うと、草むらの中から、苦し気な音が聞こえた。
「ぐっ……うぅ……」
「え? ……ひょっとして、リーヌさん、本を読めないんすか?」
「わるかったな! 本くらいも読めねぇで!」
と、リーヌはむこうを向いたまま、叫んだ。
「いや、べつに、バカにするつもりじゃなかったんすけど。てか、リーヌさんだから、おどろかない……というか、むしろリーヌさんが本を読んでたら、すんごい、おどろくっすけど」
言われてみれば、本どころか、リーヌがまともに文字を読んでるところを、見たことがないな。
まぁ、ここ、中世ヨーロッパ風異世界だからな。きっと、学校とか、ちゃんとないんだろう。
ひょっとして、この世界では、人間よりゴブリンの方が学歴エリートなのかも?
リーヌは早口に言った。
「うっせー。あたしは文字をみると、めまいがすんだよ。別に、外人だから読めねーわけじゃねぇぞ。あたしは、生まれも育ちも、に……」
「別に、だれも、リーヌさんが外人だなんておもわないっすよ?」
そもそも、この世界の国境が、どうなってるのか、おれには、わからないけど。
リーヌは、見た目だけなら、中世ヨーロッパ風の人間の町、サイゴノ町に、自然にとけこんでいた。やることが、ひどすぎて、悪目立ちしまくってたけど。
数秒の沈黙の後、リーヌは言った。
「それに、あたしだって、誰かが声に出して読んでくれれば、本くらい読めっぞ」
「じゃあ、こんど読みたい本があったら、おれが読んであげるっす」
と、おれが言うと、
「……おう」
リーヌは、らしくない、くぐもった小さな、ちょっとかわいい声で、返事をした。
しばらくして、リーヌは、ごろんと、こっち側に回転して、おれにたずねた。
「なぁ、おまえって、何歳だ?」
「え? おれ、21っすけど?」
突然のことだったので、おれは思わず、人間年齢を答えてしまった。
リーヌは、予想以上に、おどろいていた。
「ぬわにぃ!? ありえねー。シャバーニと同じ年かよ。ぜってー、年下だと思ってたぜ。15か16だと……」
それを聞いて、おれも、驚いた。
「シャバーって21なの!? ……てか、リーヌさんって、何才なんすか?」
たしか、ひつじくんが、シャバーはリーヌより年上って言ってたよな。
なんとなく、シャバーもリーヌも、おれよりは年上だろうって思ってたんだけど。なんとなく、オーラが年上、っていうか、格上だから。
でも、ひょっとして、リーヌって、おれより年下なのか? ……そういえば、真城さんも、実はおれより年下らしいけど。
そこで、リーヌは、きっぱりと言った。
「アタイは、1000歳を超えている」
おれは、それを聞いて納得した。
「元・魔王っすもんね。やっぱ魔王の寿命は数千歳とか数万歳なんすか? あ、でも、そういえば、おれのゴブリン年齢って、何歳だろ……」
気づいた時には、大人ゴブリンだったんだけど。おれって、何才のゴブリンなんだ?
ゴブリン的にも21なのか? 実は、ゴブリン年齢は、ほんとに15才だったり? それとも、実は、ナイスミドルなおっさんゴブリンだったりするのか?
おれがそんなことを考えてると。
リーヌは、ちょっと沈黙した後、ぼそっと言った。
「まぁ、年とか、どうでもいいけどよ。つーか、……」
リーヌがそれきり黙っていたので、今度はおれが質問してみた。
「そういえば、リーヌさんって、いつシャバーと会ったんすか? けっこう昔からの知り合いみたいっすけど」
「シャバーか……。けっこう前だけど。何年とか、この世界、よくわかんねーんだよな。シャバーニと会ったのは、中学入ってすぐ、学校やめたころだけど」
リーヌは、なぜかシャバーのことを、シャバー兄と言っていた気がしたけど、おれは、そこは、気にしなかった。パスコルもシャバー兄ってよんでるし。
「へぇ。中学……」
この世界の中学校って、どんな感じなのかな。やっぱ、魔法とか教えてもらうのかな。
リーヌはボソリと言った。
「……あたしは、学校とか、あわねーんだよ。教科書とか黒板とか、文字だらけだろ。制服がどうとか、髪染めろとか、うるせーしな」
「髪? そういえば、リーヌさんって、見事な金髪っすね」
と、おれが言ったら、リーヌは言った。
「ああ。でも、これは染めてんだぜ? 地毛は明るい茶色だ」
「え? そうなんすか?」
「ほら、根本の方は、ちょっと茶色いだろ?」
と言われても。
「もう暗いから、色なんてわからないっす。でも、そんなこと、おれ、気づいたことなかったっす」
すると、リーヌは、おれをバカにしたように、言った。
「おまえは、いっつも、人の胸しか見てねーからな」
「なんすか、そんな。おれを、いっつもムフフなことしか考えてない、すんごいスケベみたいに。おれはもっと文明的な生き物っすよ。ムフフなことを考えてるのは、一日の半分くらいだけっす」
と、おれが文句を言うと、リーヌは、叫んだ。
「1日の半分もエロいこと考えてんのかよ! 時間を、ムダにしすぎだろ」
うーん。ひかえめに言っといたのにな。
「いやいや。ムフフなこと以外に、考える意味のあることなんてないじゃないっすか。だから、おれは有意義に時間を使ってるんす」
リーヌは言った。
「つまり、ふだんは、なにも考えてねーんだな。まぁ、おまえ、いつもそんな感じだけどよ。じゃ、テストだ。胸以外も見てたっつーんなら、アタイの目は、何色だ?」
「え? えーっと……」
言われてみると、さっぱりわからない。
リーヌの目って、何色だっけ?
「赤? ってことは、なかったような。く、黒? 金色? 青かったかも……」
リーヌは、おれに背中をむけたまま、舌打ちした。
「ほんっとに、見てねーな。おまえ、胸のサイズなら、答えられんだろ?」
「サイズっすか? おれ、実はサイズより形と質感を重視する派なんすよね。あ、でも、そういえば、おれ、リーヌさんのブラのサイズを知ってるから、答えを知ってるはずっす。えっと、答えは……」
と、おれがまじめに答えようとしていたら。
「マジで答えようとすんな! 質問してるわけじゃねぇんだよ!」
と、リーヌにどなられた。
「え? 当てっこクイズじゃないんすか?」
「おまえは……。マジでありえねーな。なんで、こいつに……。ま、ひょっとしたら、そういう、ぼーっとしたところが、ほっとするのかもしれねーけど」
「え? おれは、そんな、ぼーっとなんて、してないっすよ。おれは、いつでもボケーッとしたプップじゃないんすから」
だけど、リーヌは言った。
「プップより、おまえのほうが、ボケーッとしてるぜ? つーか、プップは頭いいだろ。おまえは、まぬけコンテストがあったら、優勝しそうだぜ?」
「えー? でも、優勝できるんなら、いいかもしれないっす。何でもいいから一番になるのが、大事らしいっすから」
「おう。優勝してこい」
リーヌは話をもとにもどした。
「とにかく、髪の色はな、中学入ってすぐ、教師に『校則違反だ。茶髪は禁止だ。髪を染めろ』って言われたんだよ。だから、金髪に染めてやったんだ。それ以来、ずっと金髪にしてんだ」
「へぇ。校則で金髪に染めさせるんすか」
「……」
日本だと、髪を染めるなっていう校則はよく聞くけどな。髪の毛を金色に染めろ、とは、さすが異世界だ。
「じゃ、こっちの学校に入ったら、おれも金髪にしなきゃいけないんすね。おれ、似合うかなぁー」
と、おれが言ってると、リーヌは言った。
「似合うわけねーだろ。金髪にしてぇなら、とめはしねぇけど。……てか、おまえって、すげぇ天然だよな」
「天然? 天然ボケ? それ、リーヌさんには、言われたくないんすけど。リーヌさんなんて、天然王国の女王みたいなレベルじゃないっすか」
と、おれが言うと、リーヌは言った。
「なに言ってやがる。アタイが女王なら、おまえなんて神じゃねーか」
「えー? でも、なんか、神レベルって言われると、ちょっとうれしいかも」
なんてったって神だからな。
とか、思ってたら、リーヌが言った。
「とか言ってるやつが、天然なんだろ?」
そう言われて、おれは気がついた。……おれって、天然だったのかも。
「たしかにー。でも、ホブミとかならともかく、リーヌさんに言われるって。おれ、相当っすね……」
「総統? 天然軍団の総統か? バッチリなれるぜ。がんばれよ」
とか言ってるリーヌ以上って、やばくないか……?