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士愛月花

作者: やきたらこ

 三河国みかわのくに、元亀元年。盛夏。


 鬱蒼うっそうと茂る雑木林ぞうきばやし。落ち葉や小枝の上をわらじを履いた白くて細い足が踏みしめる。天蓋てんがいは新緑に染まり数多あまたの木々は風揺られてしとやかに踊る。

 時は真昼。お天道てんとさまが真上にいるころ。

 ちょうど両手を回す程の大きさの籐カゴを菊は抱えあげた。身をあぶる炎暑に参り、袖を肩程までまくりあげている。

「これくらいでいいかしら」

 籐カゴ一杯に満たされていたのは種類豊富な山菜。

 病床の母のもとへ帰るべく菊は山を降り始めた。



 しばらく降りると何やら話し声が聞こえてきた。

 なんだろうと思って近くまで行ってみるとそこには――

 薄汚れた装束の三人のいかつい男たち。彼らは楽しげに何かを話しているが。

(山賊!?)

 盗品とおぼしき物を風呂敷ふろしきの上にいくつも広げてあった。

 菊は一歩後ずさる。


――パキッ――


 音のした方を反射的に見た。菊の足元で小枝が半ばでポキリと折れていた。視線を山賊へ戻すと、三人とも菊の方を見ていて、立ち上がったその手には各々の粗末な武器が握られていて――

 直後、菊は全力で反対方向へ駆け出した。


 背後から三つの足音と罵声が聞こえてくる。

 掴まったら殺される。

 死にたくない一心でひたすらに走る。


 走って…………、走って……、走って、走って、走って走って走って走って走って走って走って


 地面を這う木の根につまづいて転んでしまった。

 転んだ時に右足をくじいてしまい、立とうとしても力が入らなかった。

「居たぞ、こっちだ!!」

「さっさと捉えろ!!」

 山賊の声が段々と近づき、やがて追いつかれた。

 彼らは肩で息を吸いながら菊のことを舐めるように見る。

「こいつ、中々の上玉じゃねえか?」

「農民のクセにいい女だな」

「殺すのは勿体無いほどだ」

 語られる内容から菊は自分が殺されずとも死んだ方がマシのような状況になりそうだと思った。

 脳裏に病床の母の顔がよぎった。

(ごめんなさい。一人にさせちゃう)



「その者から離れろッ!!」

 その声は唐突に聞こえた。山賊のそれではなく、もっと凛とした強さを秘め確たる芯を備えた幼さが見え隠れする声だった。

 菊が視線を声の主へ向ける。

 そこに立っていたのは菊と同じ年頃の男児だった。しかしその身なりは泥まみれの農民である菊のそれとは全く違っており、青や白の立派な着物。そして腰には武士の魂である刀。

「なんだコイツは!?」

 山賊たちは尚も舐めた調子で幼さの残るさむらいを睨みつけた。

「ここで退くのなら命は取らぬ。今一度言おう。その者から離れろッ! さもなくば……」

 流麗な動作で刀身を鞘から抜き放った。鈍色にびいろに輝く刀は木々の間から漏れる日光を受け雄々しく輝く。僅かに反った刀身を山賊たちへ向けて構えるさむらいはゆっくりと菊へ近づいた。

 その構えを見た山賊の一人が数歩後ずさる。

「駄目だ。俺たちには勝てない。コイツは高津家の跡取りで剣術の神童とも謳われる高津吉衛門たかつよしえもんだ」

 言うと、怯えた様子で山賊の一人が逃げ出した。続いてもう二人も悔しそうな顔で逃げ出した。





「あ、ありがとうございますッ!! おさむらいさま!」

 助け起こされた菊は吉衛門に向けて深々とお辞儀した。

「頭など下げなくてよい。わしは当然のことをしたまでじゃからな」

 菊は頭を少し上げ吉衛門を見た。吉衛門は朗らかな笑みを浮かべている。

「高津の家訓『悪鬼を挫き弱きを守る』に従ったまでじゃ」

 どこか誇らしげに微笑む吉衛門。

 菊はその姿を少し見つめ続け、すぐさまお辞儀を深くした。

「それよりぬし、怪我してるようじゃの?」

 菊は自分の右足を左足の後ろに隠した。

「いえ、私はどこも、……悪くありませぬから……」

「嘘をつくな。どれ、わしがおぶってやろう」

 言うと吉衛門は反対を向くと体勢を低くした。

「あの、その。悪いです。このくらい平気ですから」

「遠慮するでない」

 言われ、菊はおずおずと吉衛門の小さくも広い背中に体を預けた。

 吉衛門はその細身で軽々と菊をおぶって山を降りだした。


「何故このような身分の私にここまでしてくださるのですか?」

 吉衛門におぶられ、ゆさゆさと揺れながら菊は疑問を口にした。

「簡単なことじゃ。わしが助けたいと思ったからに決まっておろう?」

「は、はぁ……」

 しばし無言の空気が流れる。菊は手を吉衛門の腕に回してみた。細めながらもしっかりと鍛練の積んである腕だった。



「怪我の手当をしなければいかんな。一度屋敷に戻る故、しばし待たれよ」

「だ、大丈夫です。手当くらい自分で出来ますから」

「いんや、ほっといたらそのままにしてそうじゃわしが手当する」

 そうこうしているうちに大きな屋敷に着いた。しかし吉衛門は正面の門から入らずに裏の方へ回る。

 屋敷の裏手には馬屋がいくつかあった。そこを吉衛門はそそくさと駆け、屋敷を走り、あっという間に自分の部屋へ着いた。

「済まないな忍びで抜け出してる身であるがゆえ

 菊は苦笑で答える。


「これでよいな」

 菊の右足首は包帯できっちり巻かれ、多少動かしても痛くなかった。

「ありがとうございます」

「うむ、これも武士の勤めだ。なんて言えばよいのだろうがわしにはよう分からん」

 刀を畳の上に置き、座布団を二枚。一枚は足元に無造作に放り投げ、もう一枚は菊の座りやすい位置に丁寧に置く。

「座れ。ここまで来て茶の一杯ももてなさん程無粋ではない」

 言われるまま菊は座布団の上に座った。吉衛門は座布団の上であぐらをかきながら茶を立てている。

「茶道は苦手でな。口に合わなければ飲まなくて構わん」

 菊はそうっと茶碗を口元へ持って行き一口喉を通した。

 苦味が口の中に広がる。続いて茶葉の香りが口内を満たした。

「美味しいです」

 思わず笑顔がこぼれた。それを見た吉衛門は微笑む。

「それは良かった。それにおぬしの本当に笑った顔。初めて見た。とても綺麗じゃな」

「い、いえそんな……」

 頬を赤らめながら顔を背ける菊。なぜだか胸が苦しかった。

「そういえば名を聞いておらんかったな」

「名は菊といいます」

「菊。いい名じゃ」


 ししおどしの音を聞いて吉衛門の立てた茶を飲みながら菊と吉衛門は色々と話に更けた。

「そうか、菊の母上はやまいに倒れておるのか」

「はい。お金があれば薬が買えるのですが。農民の……しかも小作人の稼ぎなど毎日を生きれるかで……」

「ふむ……」

 少し考える素振りを見せた後、吉衛門は言った。

「ならばここで働くといい。わしが直接金を渡すのは父上に怒られるが、わしの身の回りの世話をしてくれるのであればそれなりの賃金が出る筈じゃ」

「い、いいのですか?」

「父上に後で掛けあってみる。菊の家を教えてくれ。後で結果を伝えに行くからな」

 菊の心の内は感謝で溢れ、それは瞳から涙といった形になって零れた。

「ありがとう……ございます」

 ポロポロと涙をこぼし始めた菊を見て妙に慌てた調子の吉衛門。

「こ、これ。泣くでない。きっちり働いてもらうからな。(それに、また会えるしな)」

 後半の方は聞こえなかったが菊は感謝で溢れる涙を止めるのにしばらくかかった。



 数日の時が流れ、菊の家に一人の男が訪れた。

「話していた仕事だよ。それじゃおかあ、行ってくるね」

「気をつけるんだよ。それとおさむらいさまに失礼の無いようにね」

 病床の母を一人置いていくのは気が引けたが母を助けるためであるから仕方がなかった。



 吉衛門の部屋へ着いた菊。

「身の回りの世話と言ってもすることは少ない。せいぜい部屋の掃除くらいだ。めしの用意は他の者がする」

「はぁ……では私は何を?」

わしのそばに居てはもらえぬか……」

 菊は疑問だらけの頭をかしげた。

「それがお望みなら……」


 静寂が流れる。

 吉衛門は読書に更け、菊はそれを見守ったりしている。

――ゴ、コン…………――

 ししおどしの音の風情を感じた菊。視線を戻すと吉衛門が自分を見つめているのに気付いた。

「あの、何か御用でしょうか」

「特に用は無いのだが……どうしてだろうか、わしは……忘れてくれなんでもない」

 言うと吉衛門は本を閉じ、立ち上がる。

「お供します」

 菊は母の言いつけ通りに真摯に仕事に向かおうとした。しかし、

「行水はいつも一人でと決めておるのでな。菊はゆっくりしておるとええ」

 一人残された菊は素直に正座して待つことにした。


 待ってるうちに段々と眠気が襲ってきた。なんとか起きていようとしたのだが、ついに睡魔に身を委ねてしまった。



「起きたか?」

 未だ朦朧とする意識の中、男の声が聞こえた。それは強くて優しい声で――

 ハッと目が覚める。体を起こすと一枚の薄い布団がハラリと落ちた。

「私、眠って……」

「ぐっすり眠っとったぞ」

 菊はすぐに吉衛門へ向き直り頭を下げた。

「申し訳ありません。無礼をお許しください!」

 ひやりと何かが菊を焦らせた。だが吉衛門は軽く笑う。

「いい。自分の家だと思ってくつろいでくれ」

 困惑しながら顔を上げる菊。吉衛門は少し残念そうにしながら、

「残念だが今日は時間だ。また明日来てくれるな?」

「はい!」

 明日からはしっかりと働こうと強く思った菊だった。





 もみじやいちょうが色づき始めた頃。

 仕事も手につき、頼まれていないことまで吉衛門の世話をすることが出来るようになっていた。

「済まない。ありがとう」

 剣の稽古の合間に吉衛門が水汲みに行かずとも冷たい水が飲めるよう配慮して前もって井戸から汲み上げてきた。

「もう、慣れもうしましたから」

 笑顔で答える菊の顔には初日のような情けなさは無い。

 吉衛門は木刀を左手に縁側へ腰掛ける。そのまま菊の汲んできた新鮮な井戸水が入ったおけで顔を洗う。

「はい、」

 菊の手には白い手ぬぐい。礼を言って受け取る吉衛門。

「菊にはすっかり世話になっておるな」

 庭に立っている色づき始めたもみじを眺めながら呟いた。

「菊の母上の容態は?」

「おかげさまですっかり元気になりました」

 以前、隣の街まで薬を買いに行こうとした時、吉衛門に連れていってもらったことがある。本来は半日掛かる行程だが馬だったので午前中のうちに帰ってくることが出来た。

 菊は少し前から、母の薬を買いに行った時辺りから思ってたことを思い切って聞いてみることにした。

「どうして、私なんかにかまってくれるのですか?」

 やや、虚を突かれた表情を作った吉衛門だったがすぐに笑みを作って言った。

「菊に、惚れたからじゃ」

 今度は菊の方が驚く番だった。

 何も聞こえなくなり、頭が真っ白になる。信じられなかった。

「な……何故なにゆえ……私…………なのですか?」

何故なにゆえ?……」

 吉衛門はすっくと立ち上がり、


「簡単なことじゃ。人を好きになるのに理由などいらん。ただその気持ちがあればよいだけなのじゃから」

 一度言葉を切った吉衛門は菊を見下ろし、だからと続ける。

わしの……妻に…………なってはもらえぬだろうか」

 感情が溢れた。留めきれない涙は頬を伝う。

「喜んで!」






 挙式はしなかった。

 静かにしたいという菊の気持ちを尊重した吉衛門はあまり騒ぐことはしなかったのだ。

 菊の母も屋敷に招かれた。やはり驚いた顔をしていた。


 菊と吉衛門の成婚から数ヶ月の時が過ぎ、新雪が降り始めた頃だった。

 凍えるような寒さの日。その日元々病にかかっていた高津吉郎たかつよしろう(吉衛門の父)が病死し、吉衛門が家督を継いだ。





 父の病死から少し立つ。

「承知した。この書はしっかりと処理しておく。それと家康公への年貢はまとまったか?」

 立派に政務をこなす吉衛門を影から支える菊の姿があった。

「あまり気を詰めすぎないようにしてくださいね」

 かたじけない、と手渡された茶を飲む吉衛門にはやはり疲れが見えるようだった。

「まだ寒いのですし、無理は禁物ですよ」

 吉衛門は菊の心配を軽く笑い、

「風邪をこじらせた時は菊に看病してもらうからええ」

 二人でクスクスと笑った。




 楽しい時はあっという間に過ぎる。


 薄桃色の桜の季節。

 緑萌える牡丹ぼたんの季節。

 紅に染まる紅葉の季節。

 淀みない深雪の季節。


 菊と吉衛門は十八になった冬の頃だった。

いくさ……ですか……」

 顔を不安一色の表情に浮かべながら菊は聞き返す。

「先程、家康公から招集の手紙が届いた。恐らく上洛を目指す武田を叩くつもりなのだろうが上手くいくかは……」

 曇った表情の吉衛門。菊は思わず抱きしめた。

「必ず、戻ってきてください……」

 声を出すのも辛い程胸が苦しかった。

 そんな菊の耳元で優しく強い声は囁く。

「心配するでない。必ず生きて帰る…………菊の元に」

 抱擁を解くと、接吻を交わした。厚い唇を重ねるうちに不安はいつしか消えていった。



「では行ってくる」

 吉衛門を筆頭に五十の兵が馬やそれぞれの武器を持って門から出て行った。

 それらの様子を菊は見送った。姿が見えなくなってもその場からしばらく動こうとしなかった。

 大丈夫。負け知らずの高津吉衛門のことだ。必ず帰ってくる。

 自分に言い聞かせ、菊は自分と吉衛門の部屋へ戻った。


 数日が立つが吉衛門は帰って来ない。いくさが長引いてるのだろう。夫婦茶碗、吉衛門のものに少しのヒビを見つけて涙が溢れそうになった。まるで吉衛門本人が傷ついているようで。



 いくさから帰ってきたのは行きの半分もいなかった。その中に高津吉衛門の姿は無かった。

 泣き崩れる菊に声を掛けられる者は誰もいなかった。


 次の日、遺品を受け取った菊はその鎧の中に一通の手紙を見つけた。


『お菊へ

    これを読んでいるということはわしはもうこの世にいないのだろう。

    だが悲しまないで欲しい。わしは戦って死んだのだ。それが武士の

   本望であるというもの。

    わしの葬式などはやらんでもええ。その代わり。家をしかと守って

   欲しい。

    それと、

    短い間だったがお菊と共に生きることが出来て本当に幸せだった』


 最後には汚い文字で『ありがとう』と書いてあった。

「あの人……らしい…………文字」

 汚くて、見難くて、でもどこか芯が通っていて力強い字。高津吉衛門という男の生き方を表しているようだった。


 ぽつ、ぽつ、と手紙の上に数滴の涙が零れる。

 堪えきれない感情が喉の奥から嗚咽として漏れた。






 それから数日立ったある日だった。武田軍と野田城のちょうど合間にあった村と屋敷は武田の軍勢によって蹂躙じゅうりんされることになった。

「早く、逃げて!!」

 村の各所、屋敷の至る所で避難の騒ぎが起きていた。

「お菊様も早くお逃げを!!」

 炊事の女性にせかされるが菊はその場所――菊と吉衛門の部屋を動こうとしなかった。

「私は残ります。あなた方は早くお逃げください。こうしている間にも様々なところで火の手があがっております」

 何かに耐えるような表情を作った炊事の女性だったがすぐに逃げ出した。

「これでいい。皆の者は逃げて……」

 まぶた閉じれば浮かぶのは楽しき日々。


 再びまぶたを開けた時には既に屋敷は半分以上が燃えていた。菊と吉衛門の部屋も炎に包まれている。

 ふとした瞬間に菊は何かが見えた気がした。炎で揺らぐ部屋。いつも彼が座っていた場所。彼にとてもよく似た影は軽く笑って、

 菊はクシャッとした笑みを浮かべてまどろみの中へ落ちていった。

 初挑戦の時代恋愛物はいかがでしたでしょうか。

 拙作は一応時代の出来事に沿った内容にしてみたつもりなのですがまだまだ不慣れなものでして。

 「この時代はこんなんじゃねぇよ!!」とか「もっとこんな感じだわ!!」とかいうのがありましてもそこは大目に見てくだされ。

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