第65話「あの女、妙だ」
「ニーノさん?」
俺と五十嵐は二人して首を傾げた。
何が不思議だったかというと色々だが、倉伊が夢先生のことを知っている風なのと、まるで外国人の名前のように呼ぶことが主な首を傾げた要因だ。
確かに、夢先生の苗字は「新乃」なので「ニーノ」さんにはちがいないが。
「やっほー、クライツェくん。日本の学校は楽しいかい?」
「はい」
親しそうな間柄なのに苗字呼びなんだ、と不思議な心地になった。っていうか、クライツェが倉伊の本来の苗字なんだ。
倉伊が慌てて俺たちに向き直り、夢先生を示して説明した。
「この人はニーノさんって言って、僕に日本語を教えてくれた先生なんだ」
「へえ、世間って狭いな。夢先生、俺の小学校のときの担任でもあるんだ」
外国人に日本語教えるとかしてたんだ、と夢先生を見た。目がばっちり合うと、何故か夢先生は得意げにピース。というか、倉伊との身長差がえげつない。
まあ、どこでどう人が繋がっているのかなんて、わからないものだ。
「日本語教えてもらったって言ってたけど、なんかの教室に通ってたの?」
「ううん。僕の保護者の知り合いだったんだ、ニーノさん」
倉伊の保護者……そういえば、倉伊には両親がいないのだったか。世界各地を転々としていたのもその保護者の都合だったかもしれない。
ただ、夢先生と知り合い、ということは、倉伊の保護者は日本に来たことがあるのだろうか。
疑問は色々あるが、夢先生が倉伊に何かを手渡す。
「そうそう、クライツェくん。リンさんから預かりものしてたの。ちょうど今日この学校に来る予定があったからネ。はい」
「わ、ありがとうございます。っていうか僕ノート忘れてたんですね……」
思った以上に親しいようだ。俺は五十嵐と顔を見合わせた。
五十嵐が珍しく遠慮がちに訊く。
「そのリンというのは、倉伊の保護者か?」
倉伊がその言葉にはにかんだ。それは純粋な笑顔というよりは苦笑いを噛み殺しているようなものである。
「ううん。でも昔からお世話になってる年上の友達……みたいな人」
友達、という部分で言い淀んだのをなんとなく見過ごせなかった。口には出さなかったが、倉伊特有の線の引き方というか、躊躇いがある。
そう思っているのは自分だけかもしれない、という可能性への予防線。倉伊は引っ込み思案な性格のようだ。
「今日はこの学校に本の寄贈に来たノヨ。伏見サンって司書の方がいるって聞いたのだケド」
夢先生が抱えた本を示す。余計なことを言わないように注意しながら、俺は健一朗さんが最近は休みがちであることを話した。
夢先生は気を悪くした様子もなく、わかったわ、と笑った。
「まあ、本は置いていくだけでいいからネ。司書サンには会えたらいいナ~、くらいの興味本位だったから。ありがとネ」
「あ、はい」
タイミングよく予鈴が鳴る。俺たちは教室に戻った。
その間に、神妙な面持ちで五十嵐が耳打ちしてくる。
「あの女、妙だ。関わると何かあるかもしれん。気をつけろ」
「え」
あの女って、夢先生のことだよな。気をつけろと言われても……それに「妙」とは何なのか。
詳しく聞けないまま、教室に辿り着き、午後の授業が始まる。
夢先生は確かに変わった先生だが、五十嵐が殺し屋と対峙したときのような真剣さで「妙だ」という点がわからない。まあ、七年も経って、容姿に一ミリの変化もなかったのは妙といえば妙だが、そもそも五十嵐は夢先生とは初対面のはずだから、そこではないだろう。
なんだろう、と悶々としながら、午後を過ごした。




