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ミグフォルクの罪

作者: 現地住民

 むせ返るような強い花の香りに、自分の本能が蘇る感覚を憶えた。



 人と同じ生態でありながら、人とは違う習性を持つ種族。ミグフォルク。食事も睡眠も交尾も、身体のつくりも心の在り方すら、この世に多く存在する人類と同じであるミグフォルクが、ミグフォルクである所以。それは、ミグフォルクの人々が固有にもち、発する香りにある。ミグフォルクたちは、異性と交尾するために、異性を己に惹きつけるために、己の身の内から香りを放つ。そして自分の生涯の伴侶を見つけて、子孫を残してゆく。その香りの幅は広い。一言で言い表すなら、十人十色。砂糖のように甘い香りを持つ者もいれば、さっぱりとしたミントのような香りを持つ者もいる。たまに、香りと呼べるかもわからないような、緑の香りや大地の香りとよばれるものを持つ者もいる。また、同じ種類の香りでも、全く同じ香りを持つ者は存在しないと言われている。その違いのわかる者はかなり限られてくるので、定かとはいえない。


 ミグフォルクが人と違う部分はもうひとつある。それは、どうしてか、香りで恋をしてしまうところだ。自分の運命の香りに出会ってしまうと、それまでにもしも違う伴侶を見つけていてもどうしようもなく惹かれてしまう。本来ミグフォルクは見目や性格でなく、香りで決めてしまうものなのだ。しかし、必ずしも運命に出会えて伴侶となれるわけではない。運命に出会えなかったからといって全てのミグフォルクが交尾の相手を選べなかったとしたら、ミグフォルクはとうの昔の滅びていただろう。

 相手を選んだあとで運命の香りの相手と出会ってしまうと、そのミグフォルクは肉体に大きな負荷がかかるらしい。ミグフォルクは交尾をする際、お互いの香りを混じ合わせ共有する。そうすることによって、その香りは他の誰にも与えることはできなくなってしまうのだ。そのあとで運命の香りに出会ってしまえば、身体はその香りを選びたがるのにそれを伴侶に選んだ相手の香りが檻のように無理やり塞き止めてしまう。そして、運命の香りをもつものが誰かを伴侶に選ぶまで、苦しみ続けることになるという。

 先祖たちはそれに気付くとどうにかして解決しようと模索したらしい。なぜなら、片方のミグフォルクが相手を運命として選んだとしても、必ずしももう片方も相手のミグフォルクを運命に選ぶわけではないからだ。過去には、自分を選べなかった運命の相手を愛しく思うあまり、心中に走るミグフォルクもいたという。ミグフォルクはそれほどまでに恋や愛に従順な生き物だ。それこそが、ミグフォルクの抗いようもない本能といえるだろう。



 まさか、それを己の身で体感するときがこようとは、露ほどにも考えていなかったけど。





「申し訳ありません。公爵様」



 そういって、頬をりんごのように紅潮させた少女をメイドに命じて下がらせようとする、ラントレンス子爵。僕は考えるよりも前に、その少女の目の前にひざまづいて、その手をとった。



「気にしないで、お嬢さん」


 子爵の娘と思しき少女は、僕が同じ目線から顔を覗きこむと、真っ赤な顔のまま緊張したように肩を強張らせた。手が微かに震えている。先ほどの香りは残り香しか感じられないので、彼女は香りを制御したのだろう。

 ミグフォルクの貴族社会では、香りが制御できるようになって初めて人前に出ることが許される。そうでなくては、感情の揺れるままに香りを周囲に散らしてしまう。何よりミグフォルクの香りは普通の人間たちにとっては少々刺激の強いものだ。一種の強いフェロモンと同じようなものらしい。一部のミグフォルクたちは、人間社会で生きていく道を選んだために、自分たちの香りを制御することを覚えていったのだ。

 その少女の様子をみれば、今香りを制御できなかったことが、普段からは考えられない事態であったことが窺えた。今にも泣き出しそうに瞳が潤んでいた。



「僕の名前は、リグロント・アリューシア。花の香りの、貴女のお名前を窺っても?」



 少女は瞳をまん丸にして、パチクリと瞬いて、そして素直な瞳で僕を見つめた。僕は頬を緩めて目を細めた。少女はまたパチパチと瞬いてから、恐る恐るといった様子で傍らに立っていた父親を見上げる。少女を見つめていた視界の端で、子爵が頷いたような気配がした。



「先ほどはすみませんでした、こうしゃくさま。わたしは、ラントレンスししゃくのむすめのミフリィルです」


 ミフリィルは僕に手をとられたまま、ぎこちなくもドレスをつまんで礼をした。5~6歳ほどだろうか。この歳の娘にしては、なかなかに弁えを知った少女のように思う。



「そう、ミフリィル。では、フィリィと呼んでも?」

「は、はい!」

「公爵様。我が娘は、まだ外へ出すには早かったようですので、今日は先に下がらせようかと……」



 僕がフィリィと話している間に割り込んでくる子爵を、僕はスッと見上げ微笑みかけた。



「彼女はもう随分立派な淑女のようですよ。何より、僕にとって彼女の失敗は、天上から降りたる幸運でしたしね。……淑女の失敗を喜ぶ僕の方がよっぽど失礼というものかもしれませんが」

「寛容なお心には感謝のし様もございません。しかし……」


 尚も言い募る子爵の様子に、僕は頭の芯の方が冷えていく。この男は、運の悪いことに勘の鋭い男なのかもしれない。



「子爵殿」


 僕は常には使わぬ少々の香りを放ちながら、語調を強めた。


「僕は、フィリィと話したいのだけど、子爵殿は、公爵である僕の要望を断りたいと言うのでしょうか?」


 ラントレンス子爵はグッと言葉を詰まらせた。そして、低く小さな声で「失礼いたしました」と臣下の礼をとった。

 僕の視界の中心にいるフィリィは僕たち二人を見比べながら、心配そうに眉を寄せた。僕はフィリィの頭を柔らかく撫でた。



「僕が君ともっと一緒にいたいと我侭をいって、子爵を困らせてしまっただけだよ。ごめんね」



 するとフィリィはまたパチクリと瞬いた後、頬を赤く染めた。



「私もこうしゃくさまともっと一緒にいたいのでうれしいです」



 彼女は、香りも見た目も中身も、全てが可愛らしい少女だった。






 あれから10年。僕の隣にはあの頃となんら変わらず、愛らしく微笑む彼女の姿。いや、大人びて、少し困ることは増えただろうか。

 彼女は僕を見れば、いつもあのときの花の香りを散らしてしまう。貴族社会では眉を顰められる事であろうとも、僕にとってそれが何よりの幸福だ。僕だけのためにその香りがあるようにとそう願っている僕にとっては。もし、その香りが他の者に向けられたとしたら、きっと僕にはどうすることもできないだろう。だから、フィリィの幸せそうな微笑みを守るため、僕は時間をかけて彼女に教えてあげたのだ。その結果に、心はとても満ち足りている。


 彼女の両親は不慮の事故で亡くなった。痛ましい事故だった。たまたま彼女がリースタン伯爵のパーティに参加していなければ、彼女も巻きこまれていただろう。しかし不幸は更に彼女に襲いかかった。次に彼女を養育すべき親族たちは、誰一人頼ることができない状態だったのだ。

 あるものは不幸にも人間に売られ奴隷にされ薬漬けになっていた。その後、国の王家が奴隷の立場から救い出したが、とても子供の教育を任せられるような精神状態ではないものばかりだった。将来を渇望されていた人材ばかりだっただけに、王家の血筋に連なるものとして一人の国を支える貴族として、とても残念でならない。

 あるものたちはそもそも論外だった。普通の人間や人間の血の混じったものたちばかりが、ミグドゥフォルクの国の金を横流ししていた。それを、フィリィを預けることになる少し前に見つけることができていたことは、不幸中の幸いといえよう。

 またあるものは欲と金に溺れ、己の仕事も果たさず堕落した生活に身を浸していた。彼らにもまた子供を育てさせることなどできようもなかった。そのものたちは過去に王宮に尽力してくれていた人格者であったので、その事実に父の兄である国王も驚きを隠せない様子だった。



 僕はすぐさま、国王に彼女の保護を嘆願した。

 一般の人間と比べると繁殖能力の低いミグフォルクは、その香りの希少性も相まって、人間に捕獲され酷い扱いを受けることが多い。なにより、彼女の持つ香りは、人間にも好まれやすいが希少とされる花の香りであり、尚且つ、王家に匹敵するほどその香りの力が強い。。

 僕の嘆願は正当であると判断したミグドゥフォルクの王は、フィリィの後見人になってくれた。そして家族を失い、突然国王を後見にもって不安であろうフィリィの元に、僕は時間の許す限り通いつめた。彼女の笑顔を守るのは僕であると出会ってから決めていたことだった。



 僕とフィリィは、明日、互いの香りを混じる。15歳の彼女の誕生日だ。

 ちょうど、3ヶ月前に僕は彼女に結婚を申し込んだのだ。初めて出会った頃と同じように僕は彼女の足元にひざまづいた。そして彼女もまた、あの頃と同じように顔を真っ赤にして、僕の申し出に小さな唇で「喜んで」と返した。こんな幸せなことがあったのか。そう思わず呟くと、彼女はようやく緊張を解いて花のように笑った。





 ミグフォルクとそれに連なる人々とが手を取り合い、僕らの国は誕生した。香りの人々の国。それが、ミグドゥフォルク国。

 人と同じ姿形、そして心を持ちながら、人間とは違う習性を持ったために人間から差別され、その香りの特殊さ故に人間に翻弄されてきた。それでも、その習性ゆえに情を捨てることもできない。僕らの本能はいつまでも、自分の中にある運命の香りを忘れることはできない。とある人間は僕らのことを、”恋を探す人々”と呼んだという。

 この国ができるときの出来事が綴られた歴史書には、人間から離れることを選ぶものと人間と共に生きることを選ぶものがいたそうだ。そして、共存を選んだ者たちがミグドゥフォルクを建国した。

 そのときに別たれた、人間との別離を選んだ者たちが、現在まで生きているかは定かではない。しかし、本当に完全に人間と別離したというのなら、彼らが今の時代まで繁栄している可能性は、限りなく低い。

 ミグドゥフォルクはミグフォルクの国ではあるが、全ての人がミグフォルクというわけではない。ミグフォルクの多くは運命に出会えないまま、ミグフォルクではない普通の人間と結婚したもののほうがはるかに多い。国内には、ほとんど香りを持たない人間とのハーフのミグフォルクたちも多く住んでいる。そうしなくては、繁殖能力の低いミグフォルクは絶滅してしまうのだから。運命に出会えなくとも、交尾できるという点では他の生物となんら変わりはない。それこそ、香りにある程度耐性をもっているミグフォルク同士と違い、ミグフォルクの香りは大抵の普通の人間なら、魅了してしまったり果ては服従させてしまうことすら難しいことではない。香りの力にも強さがあるので、同じミグフォルクであっても、強い香りの魅力をもっているものは弱い力しかもたないミグフォルクすら従わせることができる。それこそ、未だ強い力をもち続ける歴代の王族たちは、その力を使ってこの国を従え続けたといっても過言ではない。



 まだフィリィが両親と共にいた頃、僕はフィリィに質問をした。求愛の香りと共に。




「フィリィは僕のことが好き?」


 フィリィは僕の最大の求愛の香りに、常と変わらない少し恥ずかしげなだけの笑顔で返した。



「うん、大好きよ」



 僕は愛する人の求めたはずのその言葉に、死にたくなるほどの絶望と恐怖を覚えた。これだけのことでわかってしまう。本当はわかりたくなんてなかった。

 それから3年後、彼女は天涯孤独となった。






「あの、リグロント様」


 僕は腕の中の、いつまでも恥ずかしがりやな婚約者をみる。少し暗い表情が気になる。


「うん?」

「その……結婚したら私、領地から出られなくなってしまうかもって、本当ですか?」


 一瞬の間を置いてから、僕は彼女に笑顔のまま質問で返した。


「それは誰かに言われたの?」

「はい。王太子殿下が」

「……そう」


 僕は幼馴染である男の顔を思い浮かべた。……まあ、いいか。今は目の前の彼女の不安を除いてやらなくては。



「ほんの数年間、領地から出られなくなってしまうことは、あるかもしれない」

「えっ」


 更に不安そうに眉根を下げたフィリィの頬を優しく撫でてやる。



「だって君は、僕との子をその身に宿すかもしれないしね」


 その言葉にフィリィは思ったとおり、不安げな顔を一変させ顔を赤らめた。僕は愛しさからもう一度、彼女をギュウと抱きしめた。



「そういう意味だったんですね……」

「うん。そういう意味だったみたいだね」


 彼が考えていた意味とは少し、違うかもしれないが。しかし、結果は同じことになるだろう。子を宿し、子を産み、そして運悪く体調を崩してしまうことも、あるかもしれない。そんなことになれば、僕は君を外に出すわけにはいかなくなる。当たり前のことだ。ずっと求めてきた愛しい人なのだから。

 フィリィは僕に抱きしめられることをいつまでも恥ずかしがるが、それ自体はもう慣れてきたらしい。耳まで赤くなった顔を隠すように、彼女もまた、僕にギュウと抱きついてきた。



「王太子殿下が深刻そうな顔で言うものだから。私、もう王都の国王陛下や王妃様に会えなくなってしまうのかと思って……」

「フィリィが悲しむようなこと、僕ができるわけないよ」

「そうですよね」


 ちゃんと悲しませないようにしてきたんだから。そう思いながら、クスクスと笑ってしまう。彼女は自分が笑われたのだと思ったらしい。握りこぶしを作ってドンドンと僕の胸を叩いてくる。僕が「ごめんごめん」と宥めるように背中を撫でた。



「愛しているよ、ミフリィル」

「私もです……リグロント様」



 アーモンド色の瞳を覗き込む。昼間であったため、太陽の光を受けて、彼女の瞳はキラキラと輝いていた。僕がすることを察した彼女は、太陽の光に煌く瞳をそっと隠した。良い子だ、と心で呟いて、僕は彼女に口付けた。




 一般的に香りを混じ合わせる方法はひとつしかない。頭の付け根辺りにある香芯と呼ばれる箇所と、そこから下に伸びる香腺という背骨を伝って流れる箇所に一晩かけてじっくりと自分の香りを込めた唾液を染み込ませていく。その行為だけで香りを混じ合わせることはできるが、僕たちは古くからの風習に則って香りを混じ合わせながら初夜の儀式を行うのだ。

 ようは、相手の身体に自分の香りを染み込ませることさえできれば、それだけで、良かったのだ。



 少し長い口付けのあと、僕はそっと彼女の首筋に鼻をうずめた。そこからは、彼女の花の香りとともに、よく気をつけなければわからない程度に微かに香る雨の香り。





 あの日の衝撃は今でも忘れることはない。むせ返りそうなほどの強い花の香りは一瞬のうちに僕を捕らえてしまった。そのときまで知らなかった。まさか、自分が今まで信じて疑わなかった理性や論理や常識を全て覆すほど、恋焦がれるものがあるなんて。

 優秀だといわれてきた。早くに両親を亡くしたこともあって、若くして青年貴族となった。特に王族や王位に執着もなかったから、早々に王位継承権も放棄して、公爵になって。このまま特になんの感慨もなく、淡々と生きて、適当な貴族の娘と結婚して、そして死んでいくのだと。運命の香りの相手のことですら、恋に溺れたものの錯覚であって、自分とは無関係の代物だと。そう思っていたのに。



 僕らミグフォルクは、ある一部の人間たちから危険視されているようだ。禁忌の存在であると。それは正しくそうである、と僕は自嘲した。

 こうして僕らは暗鬱とした罪を重ねていく、罪深い種族なのかもしれない。ただひたすら、運命を求める心のままに。しかしそれでも逃れることなどできはしない。僕たちはそれに出会うために生まれてきたのだと、今はそう断言できた。

 僕は彼女を生涯手放すことはできないだろう。そのために行ってきた全てを罪深いと知っていながら、僕に後悔の気持ちは少しもわきおこらない。罪と知って尚、罪を重ねることを厭わない。罪を重ねて地獄へ堕ちるといわれようとも、僕らは愛を手放すことなどできない。


 これがミグフォルク。これがミグフォルクの本能。生き様。ミグフォルクの全てなのだから。




 何も知らない君が可憐な花のように僕に微笑む。虚構の幸福を僕は大切に抱きしめた。

多分、良く分からない部分も多いかと思います。理由はこの内容のほとんどを勢いだけで数時間で書き上げ、見直しも1度くらいしかできていないから…あとは、これに繋がるミグフォルクのお話を書きたいと思いながら、執筆してしまったからでしょう。これで終わりでない気持ちも混じったから、ダイジェスト感漂う内容になったような気がします。短編で投稿したのは、「他に中途半端になってる小説あるのに書いちゃっていいんかい?」という気持ちの表れです。それでもとりあえず投稿に踏み切ったのは、これが自己満足の趣味だから……別にいいかなーなんて。

というわけで、もしよくわからない部分があったら、おっしゃってください。


因みに、このお話は”むせ返るような花”の香りが春風によぎってきたことで思いつきましたが……あの花の名前はなんだろう?という気持ちのまま書いたので、彼女から香る花は明確に決めていません。まあ、別にいいかなーと思って。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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