第94話
ほのりのツイッターが「たいへんなこと」になっているというのを知らされたところで、俺はツイッターに疎いから確認することができない。具体的にどういう状況なのか全くわからない以上、下手にそれを口にするのは危険だと踏んだ。ほのりは俺たちがペアで別行動を始めてからスマホを開いている様子がなかったし、恐らく、彼女はまだなにも知らないのだと思う。
学からのメールだと気づいたのか、携帯見せなさいよ、と蓮香が詰め寄ってきたが、俺は靴を擦るようにじりじりと後退することしかできなかった。冷静さを欠いている今の蓮香にはこれを見せない方が良いような気がして。学と喧嘩をしたのか分からないけど、きっと学のことを心配しているのだろうから。
「あ、純さん……」
携帯の取り合いが始まろうとしたとき、ほのりがぽつりとそんな名前を零してきて、俺たちは彼女の視線の先を目で追いかけた。
純だ。
純の肩にしがみつきながら、覚束ない足取でこちらへ向かってくる女子。見覚えのある丸襟のワンピースと白いスニーカーに俺は息を飲みこんだ。
あれは、ひょっとして……本子、なのか?
「あれ、角尾さんかしらね。眼鏡をかけていないみたいだけど、随分美人になったじゃない」
「信じられない。あれが本子なのか? 裸眼だとカワイイじゃん!」
軽くこちらに向かって片手をあげた純は、まるでどこかで見つけてきたとっておきの宝物を俺たちに見せつけるように、本子を一瞥したのち得意げな顔をしていた。純の隣は美少女がよく似合うな。ずるいぜ。いつもカワイイ子にばかり囲まれて、一人くらい俺にも回せよ――
――って、そんな悠長なことを考えている場合じゃない!
ほのりの日記帳。純は今、それを盗んだ犯人だと疑われているんだった。そんな中にのこのこ現れて、これは結構ヤバい状況なのでは。
ほのりは日記帳を自分のカバンの中へ押し込んで、純と本子に向かって大きく手を振っている。まるで何事もなかったかのように。
ほのりのその行動に、俺と蓮香は思わず視線を交わしてしまう。蓮香がなにを思っているのかは分からない。ただ胸中は穏やかではなさそうだ。
「遅くなってすみません。ヤッコちゃんたちと、学は……?」
「ヤッコたちはまだ戻ってきてねえよ。学は……ちょっと、一人になりたいって」
桐ちゃんどうしちゃったのかな……とほのりは不安げに眉を潜めている。
ふん、とそっぽを向いた蓮香を見て大体の状況は把握できたのか、純は、本当にどうしたんでしょうね、と困ったように笑いながら蓮香を眺めていた。
丁度シャチのショーが終わった時間なのか、道は客でぞろぞろと溢れかえってくる。
俺たちは端によけながら、本子の顔をまじまじと眺めていた。
今にも転びそうになっている本子は、暑苦しいほど純にべったりはりついていて、恐る恐るといった具合で前進している。
「どうして眼鏡しないのよ。見えてないんでしょ、危ないじゃないの」
「ああ、いいんです。僕が眼鏡をしないようにお願いしたんですよ。こっちの方がずっと魅力的だったので。その代わり今は僕が彼女の目になりますから。ねえ、本子さん?」
「は、はい……」
「ふぅん。随分、現金なのね。最初は角尾さんなんて見向きもしなかったくせに。さすが女たらし。見てよみんな、これが斉藤くんなのよ。あたしが言った通りでしょう?」
嬉しそうに言ってきた蓮香に、俺とほのりは顔が曇っていく一方だった。
「女たらし」と言われたことに対しての弁解なのか、蓮香への挑戦なのか、その両方なのか、純は本子に、気にしないでください蓮香さんは今凄く気が立っているみたいです、と優しい顔を見せていた。
――あたしの秘密、斉藤くんに握られちゃったみたいなの。それで、彼に脅されたわ。あたしは秘密をばらされたくないから、彼と毎週セックスをする約束をしたことで口止めに応じてもらった。そういう男なのよ、斉藤くんは。
ふと、蓮香に言われた衝撃的な台詞が蘇り、俺は純を視界の隅へ追い払ってしまった。
純、そんなの、嘘だよな。
お前は確かに吉祥寺コンプレックス略してキチコンだし、ナルシストっぽいところが垣間見えることもあるし、場面を選んで親切心を振りまいている男だけれど、そこまで酷いやつじゃないって俺は思っている。いつでも俺の少し上をいっている、俺のライバルだ。
日記帳を盗んだのもお前じゃない。なぜなら、お前はいつだって意味のないことをしないからだ。誰よりも大人であろうとするお前が、ほのりの日記帳を盗ることで自分の首を絞めるようなことしないのは、ここにいる誰もが分かっているのではないだろうか。
そして純が本子の肩を支えているのも、単なる女たらしではなく、なにか意味があるのではないか。
「純、本子が眼鏡をするまで、頼んだからな」
「ええ。もちろん」
純を庇えば庇うほど、蓮香の中の狂暴な気持ちを膨らませていったのかもしれない。
このとき俺がもっと彼女へ歩み寄ることができれば、カレーに煙草を仕込まれるなんて悍ましいこと、止めることができたのかもしれないのに。




