(第82話)
◇10.2 愛の確認
和則が死んだ。
突然のことだった。ツイッターで知った。気持ち悪くなってしまい、パソコンの上にカリントウだらけのゲロを吐いたので、もうこのパソコンは使えない。買い替えなきゃ。お姉ちゃんのお金で買えばいいや。いや、そんなにお金ないか。お姉ちゃんのパソコンをもらおう。
和則がもうこの世にいなくなった――そんなこと、すぐ理解できるはずがない。ただ、言いようのない絶望感が私の中を渦巻いていた。
「ほのかちゃん、お昼ご飯できたわよ、ここに置いておくわね」
ドアの向こうからおばさんの声が聞こえる。
もう、おばさんとは3か月顔を合わせていない。元気そうだと思われると都合が悪いから。私は可哀想な、翼の折れた天使なのだから。
私は、異常だ。
でも普通になりたいなんて思ったこと、これっぽっちもなかった。お姉ちゃんを自分に注目させるために、敢えて「私は普通にはなれない」と可哀想な子を演じながら訴えていただけで、一生養ってもらえるなら、ぶっちゃけ今のままの方がお得だと思ってしまう。
おばさんの気配がなくなったことを確認し、ドアを開けて、食事の乗ったお盆を部屋の中へ引き寄せた。ゲロ臭い私の城に、目玉焼きにかかったソースの香りが広がっていく。ゲロと目玉焼きのソース。ナンセンスな香りの組み合わせに、私は再び気持ち悪くなってしまい、ゴミ箱の中へ嘔吐した。胃液しかでない。
汚れたパソコンとゴミ箱を、ドアの向こうへ追い払い、私は目玉焼きの中央にフォークをブスっと突き刺した。
「死ねよ」
誰に言ったわけでもない。非常にムシャクシャしていたから、言ってみただけだ。
和則の代わりに誰かが痛い目に合えば良かったのだ。たとえば、そう、お姉ちゃんとか。お姉ちゃんはのうのうと生きていてずるい。お姉ちゃんは和則を好きじゃないから、和則が死んでも平気な顔をして生きていける。でも今の私は違う。和則がいなくなったら、ダメなのだ。本当に心が壊れてしまいそうだ。両親が死んだときよりも、たぶん、辛い。
目玉焼きを半分ほど一口で頬張り、吐きそうになりながら、やけになって咀嚼する。
溢れる感情が抑えきれず、目玉焼きや、他のおかずに涙が落ちていく。しょっぱくなってしまいそうだ。今はどうせ味なんて感じないけれど。
付け合わせのサラダを食べているとき、そういえばお姉ちゃんから朝、一度着信があったのを思い出した。面倒くさいからでなかったんだけど、もしかしたら和則の死を知って、それについて私を励まそうとして電話をかけてきたのではないかと、今になって思いついた。お姉ちゃん、私をちゃんと心配してくれているのだろうか。
愛する和則を失った可哀想な翼の折れた天使――広井ほのかを、もっともっと心配してほしい。お姉ちゃんの私への愛情を確認したい。
どうして一回しか電話をかけてきてくれないの。もっとかけてよ。心配じゃないの。私の元へ駆けつけてよ。お姉ちゃんなんだから。
お姉ちゃんがちゃんと私を心配しているかどうかをチェックするために、スマホからツイッターへログインした。お姉ちゃんのアカウントで。お姉ちゃんは単純だ。IDはメールアドレスと同じだし、パスワードは生年月日なのだから。
まさかと思ってやってみたら、本当にログインできてしまったものだから、それからはこうしてお姉ちゃんのツイートを確認している。お姉ちゃんのアカウントは、フォローの申請を承諾された者にしか見られない鍵つきのアカウントに設定されていたから、私のアカウントからでは見ることができないのだ。私はお姉ちゃんにフォローの申請はしない。私が見ていると知ったら、きっとツイートを慎むようになって、本当の愛情を確認できなくなってしまうから。
ウサビッチのトップ画面が表示されると同時に、お姉ちゃんの顔写真のアイコンも表示された。
そして、お姉ちゃんの最新のツイートを見て、怒りに震えた手からスマホが滑り落ちた。ガチャン――そんな音をならしながら、目玉焼きが乗っていた食器の上にスマホが叩きつけられる。
――今日は鴨川シーワールドに来ました。楽しもーう(^^)v
そのツイートと一緒に、写真も投稿されていた。水族館の入口に並んで映っている人たちの写真だ。
曇った顔をしている女子、瓶の底みたいなダサいメガネをかけた女子、いかにも気の弱そうな男子、その気の弱そうな男子の肩を強引に引き寄せ入る男子、背が高くてとにかくイケメンの男子。小学生くらいのツインテールの女の子。そして、お姉ちゃん。
お姉ちゃんは、心配、してくれていなかった。
お姉ちゃんが私のこと、見放した。私は和則を失った可哀想な妹なのに。どうして自分だけ楽しんでいるの。お姉ちゃんのくせに。お姉ちゃんのくせに……!
楽しそうに写っていたお姉ちゃんの写メを見て、私はいてもたってもいられなくて、ソースに濡れたスマホを引っ掴み、机の引き出しから“あるもの”を取り出した。
お姉ちゃんを苦しめる、とっておきの、切り札だ。
そう、お姉ちゃんが高校の友達に一番知られたくないこと――生年月日。昔、お姉ちゃんの保険証のコピーをこっそりとったことがあった。いつかお姉ちゃんに裏切られたときに使ってやろうと準備していた奥の手だった。
私はさっそくスマホで保険証のコピーの写真を撮って、写真の編集アプリで生年月日と名前以外の箇所を塗りつぶし、ツイッターを開いた。
そして、お姉ちゃんになりかわり、悪の告白をしたのだ。
――夏の暑さで気が大きくなっているので、勇気をだして言います。私、広井ほのりは、みんなに隠していましたが、本当は今年で23歳になる女です。17歳ではありません。今まで現役の高校生として学校に通っていました。だまし続けてごめんなさい。写真は証拠の保険証です。【拡散希望】
「ふふっ、ふふふふふ、はは、あはは、あーはっはっはっは!」
残念だったわね、お姉ちゃん。これで貴女もおしまいだ。
私は「普通」なんかになりたくない。ずっと異常で構わない。貴女が勝手に、私が普通になりたいと思っていると勘違いしたんでしょう。私に生き様を見せるとか、必死になってバカみたい。私はなんにも悪くない。悪いのは全て、お姉ちゃん。
アカウントを消そうとしたって無駄だ。ユーザー名もパスワードも変更したから、もうログインできないに決まっている。仮に消されたって何回でもアップしてやる。
1件、2件、3件と、増えていくリツイート。
東村山高校の生徒を中心に、瞬く間にお姉ちゃんの秘密が、ネットを介して駆け抜けている。




