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夏の秘密  作者: まーにゃ
シークレット9: 恋と、ナイフと、さくらんぼ味
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第68話

「悪いけど、お金は、ないわ……」


 力なく言った。

 ママを突き放すのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。

 楽しかったことが全くなかったと言ったら、それは嘘だ。

 こんな人だけれど、ママが小さいころに集めていたというビーズを、幼稚園くらいのときに見せてもらったことがあった。丸い形のビーズや、四角いビーズ、赤いビーズや青いビーズ、形も色もさまざまだった。

 あたしが熱を出したとき、一度だけ仕事を休んでくれたママ。その日は台風だったから、単純に仕事に行くのが面倒くさくなったのかもしれない。それでもあたしは幸せだった。その日、熱も下がってきたころ、綺麗な小瓶に詰まっていたビーズを机に広げて、アスタリスクの形をしたビーズを探す、というゲームをしてもらった記憶がある。きゃっきゃとはしゃぎながら、頑張って、あたしはアスタリスクのビーズを探した。5個見つかった。ママは4個だったから、あたしの勝だった。ママがわざと負けてくれたのか分からなかった。子供のころは、ママが手を抜いたことで勝ったのだとしたら何か嫌だな、と思っていたけれど、10代になって、ママが手を抜いていてくれていたとしたら嬉しいなと思ってしまったのだ。


 すごく細やかな思いでだと思う。

 けれど、あたしにとっては、これが唯一のあたしとママとの幸せな思いでなのだ。

 パパとママにどんなに酷いことをされていても、この思いでを蘇らせて、二人を信じてきた。あんなの、偽りの優しさだったに決まっているのに。その思いでは、弱いあたしの、まやかしの心の支えだったのだ。


 ママを突き放している今、そんな思いでが頭の中をめぐるなんて。


 なんとかその記憶を払拭したくて、あたしは小さくかぶりを振るっていた。できるだけ、ママを見ないようにもした。それでも、いざ、この人を目の前にしてこの人を突き放そうとすると、足がすくんでしまうのだ。口でばかり、あの頃にはもう戻りたくない、と強がっているけれど、本当は戻らないことなんてできないんじゃないかって、自分を信じてやれない自分も、ここにいたのだ。


「金がないのにどうやって高校へ通っているの? 定期代は? 食費は? 授業料は? 金がないなんて嘘つきやがって……」

「……あんたにあげるお金はないって言ってるのよ」

「ふん、まあ良いわ。腹いせにすごいこと教えてあげる」


 あたしの鼻の頭をちょんとつついたママが、にたりと笑った。





「あんたのパパね、死んだわよ」





 かち、かち、かち、と時計の秒針が、心の中へ滑り込むように、響き渡ってきていた。その直後、秒針の音を吹き飛ばすように、吹奏楽部の練習の音色が、聴こえてくる。ルパン三世のテーマの、サビの部分を繰り返し繰り返し、演奏している。これは、あたしが中学の時、金賞を受賞した決め手となった曲だった。



 ――ぱぱがしんだ。



 死んだということは、もう、この世にいないのだ。

 ずしんと頭が重くなり、あたしはその場にしゃがみ込んだ。「来賓用」とかかれたママの履いている緑のスリッパの文字が、歪んで見えている。


 ――殺してやる! 死ね! 斉藤! 死ね! 死ね!!


 斉藤に向けたあたしの声が、頭の痛いところを叩いている。思い出せない。いつ、そんんなことを言ったのか。しかし、斉藤の命を奪おうと必死だったのは、なんとなく覚えている。目が覚めたら、頭が痛くて、そして右手が痛かった。斉藤はいなくなっていて、他のみんなも寝てしまっていたから、あたしの身になにがおきたのか、真相は分からないままになっていたのだ。


 あたしは、実行したのか。

 殺人を。

 人の命を奪おうという行為を。



「パパが……死んだ……」


 人が死ぬということは、空白になることだった。初めて知った。このような虚無感を。

 あの人、大嫌いだった。あたしに優しいふりをして、あたしを裏切るから。例え死んでくれたとしても、構わないと思い続けていた。そう思うことで、あたしは強くなったと錯覚していた。

 でも、違ったみたいだ。

 人が死ぬということは、こういうことだった。突然、好きも、嫌いも、なにもかも、なくなることだ。あの人を見返せるくらい強くなる、そんな意気込みで握った拳も、一瞬にして意味をなさなくなるような、言いようのない虚しさが襲う出来事なのだ。死とは、わけもわからずあたしを悲しくさせる。寂しくさせるのだ。


「死」とはどういうことなのか、今までのあたしには分からなかった。

 それはあの雑学王の学くんにさえ、分からないことだった。




「そういうことだから。じゃあね、言いたいことは言ったから。お金くれないなら、あんたなんて、用なしなのよ。用なしなの」

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