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夏の秘密  作者: まーにゃ
シークレット8: 登校日
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第63話

 淡河くんが興味をしめしてくれた途端、スタンバイされていた小山くんの手が便器の外へ外れた。彼らの力関係を僕は把握している。誰が起こしたかわからないけれど、謎の精液ぶっかけ事件のおかげで根東くんが退学した今、不良グループのリーダーは淡河くんだ。その下に、小山くん。その更に下が、周りの取り巻きたちになっている。つまり、淡河くんの関心さえ引くことができれば、一時的にイジメを回避することもできてしまうということなのだ。

 そして、ハルの大切なものを盗むという交換条件は、淡河くんの心を掴んだ。

 咄嗟にでたものだったけど、なんとかさくらんぼが捨てられずに済んで良かった。いや、まだ安心できない。淡河くんがそれで良いと言ってくれるまで、交渉に徹しないと。


 僕はよろよろと立ち上がり、両手を広げて淡河くんへアピールした。


「そうさ……ハルはかわいらしいペンギンのストラップを、た、大切に使っているんだ。ハルの持ち物に、ああいう、かわいいのもは他にないから、き、きっと、大切な人にもらったものなのかと……思う」

「ほう。じゃあ、お前は、その大切な人からもらった柚野ストラップを、自分のために奪おうってんだな?」


 言葉にされるとさすがに良心の呵責にさいなまれたが、前髪をかきあげる前田さんの横顔が脳裏にチラついて、僕はぐっと拳を握った。

 盗んでみせるさ。

 あんなやつの大切なもの、前田さんにもらったさくらんぼのためなら、いくらだって盗んでみせる。一石二鳥じゃないか。ハルを懲らしめることもできるし、前田さんのさくらんぼを守ることもできる。これは良いアイデアだと思う。


「う、うん。奪うよ。僕、ハルの大切なもの、絶対奪ってみせる……」

「……桐カス。やっぱりお前、カスだな。俺たちよりも、よっぽど悪魔なわけで。陰湿極まりねぇよ。でも、お前がそこまでいうなら、その覚悟、見せてもらうわ」


 僕の元へ近づいてきて、僕の前髪を掴んだ淡河くんが、至近距離で言い放った。

 次の瞬間。



「あー! 学の姿が見えねぇと思ったら! テメーら、また学をイジメてやがるなぁ!」


 びしっと指をさしながら今更登場したハルに、不良たちは失笑していた。

 ハルの片手にはモップが握られている。僕の姿が見えないことで、どうせまたイジメられていると予想し、それを持って校内を探し回っていたのだろう。見つけ次第、淡河くんたちとモップで戦おうとして。こういう上から目線なところも、よくよく考えたら鼻につく。ハルが転校してきて、確かにこれでもイジメは減ったけれど(ハルが一々つっかかってくるから面倒くさいと思ったのだろう)、それをみんなに感じ取られてしまうのも、少し嫌だと思ったことがある。男のくせに、ハルに頼ってばかりだと思われてしまうから。家ではマザコン、学校ではハルコン。それって最悪じゃないか。


 ハルを鼻で笑った淡河くんが無言で立ち去っていくと、その後を続いて小山くんが立ち去っていき、残りの集団もぞろぞろと退散していく。

 モップをもてあましているハルが、きょろきょろしながら、あれ? あれ? と困惑しているようだった。なにもしないうちに不良が退散したことを「あいつら、俺の顔を見て怖くなって逃げ出した」と勘違いしはじめたハルが、鬱陶しくて仕方がなかった。


 大丈夫か? 手を貸してきたハルのそれは掴まずに、僕はゆっくりと立ち上がった。


「もう、学ちゃんったら、恥ずかしがりやなんだから!」


 僕の肩を叩いてきたハルは、やっぱり少し、変だった。



          ******



「それでは、帰りのホームルームの最後に、席替えをしたいと思います」


 えー。そんなクラスからのバッシングが、学級委員の角尾本子かどおほんこさんへ集中する。松岡先生の、静かにしろ、という注意で、教室内のざわめきが失速していく。


 席替え。


 そんなのをやるなんて聞いてなかった。それもそのはず。松岡先生が、今さっき、席替えをしようと思いついたのだ。

 きっかけは、リア充グループの永谷さん。帰りのホームルームが始まってから隣の席の彼氏――小山くんとずっと喋っていて、松岡先生はそれに腹を立てたのだ。本当に余計なことをしてくれる。僕が閻魔様だったら、永田さんと小山くんを間違いなく地獄送りにしてやる。


 だって、二人のせいで、僕は前田さんと、離れ離れになっちゃうんだぞ。

 

 忘れもしない。2年生に進級したあの日。

 初めて2年3組の教室に入って、黒板に貼られていた座席表通り、僕は廊下側の一番後ろの席へついた。今年はどんなイジメが繰り広げられるのだろう。そんな絶望感で満ち溢れていた僕に、隣の席の彼女は、よろしくね、と、言ってくれたのだ。そんなこと言ってくれた女の子、初めてだったんだ。僕は緊張しきってしまって、そのあと彼女へなんて返したのか覚えていない。


 前田さんの隣の席になって、彼女の横顔を毎日見ている間に、僕はいつの間にか彼女のことが好きになってしまっていた。


 みんなが紺色の靴下の中で、白い靴下を履いている前田さん。先生にも、クラスメートにも、誰にも染まらない前田さん。芯がしっかりしているのに、男の先生に注意されると一瞬怯えたような顔をする前田さん。クールなのにお弁当が可愛い前田さん。スカートが短い前田さん。胸が大きな前田さん。いいにおいがする前田さん。前髪をかきあげるのが癖の前田さん。教室に出没した蜘蛛を、潰さないでそっと捕まえて、窓の外へ逃がしてあげていた前田さん。英語が苦手な前田さん。みんなのことは苗字で呼ぶのに、僕のことは「学くん」って呼んでくれる前田さん。学級会のレクリエーションのハンカチ落としで負けて、本気で悔しがっていた、悔しん坊な前田さん。大人っぽいのに子供っぽい前田さん。本当は優しい前田さん。


 色んな前田さんを見ているうちに、僕は前田さんの全てが、好きで好きで、たまらなくなっていた。ぞっこんなのだ。前田さんに会うと必ず胸が落ち着かなくなった。毎日、家に帰れば、前田さんと初めてのエッチをする妄想をしてしまっていた。でも自慰はできなかった。それをしたら、前田さんを汚してしまうような気がして。

 妄想の中だけじゃなくて、いつか前田さんに本当の彼女になってもらいたい。できれば、今すぐにでも結婚したい。まだ18歳になっていないから結婚はできないけれど、僕が18歳になったら、すぐに君を奪い去ってやりたい。そんなバカなことも本気で考えてしまうのだ。


 でも、現実は、前田さんは、こんな冴えない僕となんて付き合ってくれないよな。

 オタクだし、イジメられっこだし。運動もできないし、歌も下手だし、おまけにみんなからマザコンだと思われている。得意なことは、カンニングと友達を裏切ることだけだ。僕なんかと付き合ってしまったら、それは、前田さんにとっての汚点になってしまう。

 だから僕は、隣の席で、前田さんを眺めていられればそれで十分だったのに。




 それなのに、席替えって、なんだよ。

 

「みんなよく聞けー。クジ引きは角尾が用意してくれた。クジで引いた番号に従い、黒板に書いてある座席表と同じ番号の席へ着席するように。それでは出席番号一番、青木、前に出てクジを引きなさい」

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