箱入り娘の恋の結末
妹視点です
「暑いな…」
ポタリと流れた汗と一緒に、小さなつぶやきを漏らす。
お盆も過ぎ去った8月終わり、夏の盛りは過ぎたとはいえ、またまだ夏の気配は消え去ってくれそうもない。
夏休みももう直ぐ終わってしまう。
家の手伝いと夏休み明けの学校行事の準備に追われた夏休みは、あっという間に過ぎて行った。
今月はよく働いたからといつもより多くもらったお小遣いを奮発して、たくさん花を買って花束を作った。
売り物になるような代物ではないが、心を込めて作ったものだ。親に落第点をもらえた。
お姉ちゃん、喜んでくれるかな?
親に、アレンジメントや花束の制作をしてもいいと言われてから、自分なりに思考錯誤して努力を重ねた。お金は取れなくても、せめて人に渡せるくらい立派なものを作れるようになったら、一番初めは大好きな姉に送ろうと決めていた。
病気にかかって学校にろくにいけなかった姉。
病室からいつも窓の外を眺めていた姉。
辛い生活の中、一度も泣き言を漏らさなかった姉。
私は姉が辛いとか苦しい言ったところを見たことがない。ひどく荒れて怒鳴ることはあっても、そんな自分の言葉に一番傷ついていたのは姉自身だったと思う。
私がいくらひっつき回っても、嫌な顔はしてもけして追い払おうとはしなかった優しい人。今思えば、病気のために否応なしに奪われた学校生活や家庭環境を楽しげにひけらかして話すなんて、最低の行為だ。どれだけ姉を傷つけていたのだろうかと恥ずかしく思う。しかし姉は私の話を遮ったり、私のことをないがしろにしたことはなかった。
そんな姉の様子が変わったのは、外泊許可の一日目に脱走して帰ってきてからだ。母はひどく泣いて、父はものすごく怒鳴った。そんな両親に姉は、頭を下げて謝った。
ごめんなさい。心配かけて、ごめんなさい。
両親はいなくなる前と雰囲気の変わった姉の様子に狼狽えていたが、その後姉を抱きしめて号泣した。
3人から少し離れてどうすればいいか分からず立ち尽くしていた私に、姉はゆっくり歩いて近づき、心配かけたね、と頭を撫でてくれた。
それからの姉は、これまでにないほど穏やかだった。
病室にやってきては話し続けるあたしの頭を撫でてくれて。
無理に笑みを浮かべる母に、姉から笑いかけるようになり。
病気が終わった後の話をする父に、あれもしたいしこれもしたいと意見を出すようになった。
それから、頼み事をされるようになった。プランターを持ってきて欲しいだとか、植え方の書いてある本を持ってきて欲しい、だとか。
あと、どこからか花をもらって来るようにもなった。野花だったり、この辺りでは珍しい花だったり、季節外れのものだったり、とにかく種類はいろいろで。
インパチェンスを見つめて、はいはい。って、呆れたような声を出して。
アスプレニウムを見つめて、はいはい。って、仕方なさそうに呟いて。
ごぼうの花を見つめて、はいはい。って、可笑しそうに笑って。
クチナシの花を見つめて、私もよ。って愉しそうに微笑んで。
いつもいつも、愛おしそうに見つめていた。
その花はどうしたのかと聞くと、貰ったのだと言った姉がとても嬉しそうだったので、細かいことは気にしないことにした。幸せそうな姉に水をさすというか、ご機嫌な姉の雰囲気に下手なことをしたくなかった。その後、花瓶をプレゼントしたらとても喜んでくれた。花瓶は貰った花を飾るのに大活躍した。
病室をこっそり覗くと、姉が窓に向かってブツブツ何か言っているのを何度か見たことがある。
暇なのね。
根っこごと引っこ抜いてこないでよ。
プランターとスコップよ、大事に使ってよね。
ほら、これをよく読んで今度は枯らさないようにね。
いつまでうじうじしてるのよ。
よくは聞こえなかったけれど、とても楽しそうだった。
「お姉ちゃん、嬉しそうだね」
眠っている姉の隣で、花瓶に飾られた花を見てそう言えば、母は微笑んでこう言った。
まるで恋する乙女みたいね。
そんな姉は、6年前にこの世を去った。享年20歳。
余命よりも随分命はもっていたし、容態も急変するまではまるでいつも通りの元気なままだったけれど、最期はあまりにもあっけなかった。
窓の外ばかり眺めていたお姉ちゃんは、病室の箱庭から出て冷たいお墓の石箱の中へ押し込められた。
数ヶ月の間、家の雰囲気は静かで胸がつまる日もあったが、前に進んでいる。姉が最後の最後まで明るかったから。言いたいことも言わずに荒れるだけだった様子から、未来を語りながらも受け止めていたような、ありのままだった姿に、苦しさ以外のものを感じさせていたからだと思う。
何も望めなかった姉に、健康に生んであげられなかったと、両親はいつも悩んでいた。悩んで悩んで、苦しんでいる姉の様子にさらに悩んでいた。きっと姉が、苦しんで苦しんで、すべて我慢したまま死んでしまっていたら、両親は姉のことに一生悩まされて生きていかなければならなかっただろう。しかし、脱走して帰ってきてくれてからの姉は、苦しんでいることもあったけれど、それ以上に楽しそうで幸せそうだった。
そんな姿に、両親は知らず励まされていて、いつまでも悩んでいるのは姉に対して失礼だと感じるようになった。精一杯生きた姉の半生を、苦しいだけのものにしないために、両親も自分たちの罪悪感に決着をつけた。
大きな花束を潰さないように歩く。ふと、空気が変ったような気がした。ひんやりとした涼しさを感じてうつむいていた顔を上げる。
息をのむ。真っ白な着物に身を包み、その上に鮮やかな青い羽織をまとった美しい女の人が立っていた。今まで見てきたどんな人より美しいその人に目を奪われた。
「こんにちは」
微笑まれたのが自分だと、一拍遅れて気がついて、慌てて返事をする。
「こ、こんにちは!」
上ずった声が出て、一気に顔に熱が集まる。女の人は笑みを浮かべながら歩いて近づいてきた。ここでお辞儀でもして別れたらよかったのだが、この時の私はどうしてだか話しかけてしまった。
「お墓参りですか?」
何を当たり前のことを聞いているんだろう!っと、言ったそばからさらに顔が真っ赤になった。
「はい。綺麗に咲いたのでお見せしに来たんです」
居てくださった間には間に合わなくて、怒られてしまいました。
「そ、そうなんですか」
「そうなんです」
女の人は遠い日を思い浮かべるように、目を閉じた。
「思い出の花にそっくりなので育てて見たのですが、なかなかうまくいかず。やっと今年咲かせることができました」
「思い出の…?」
次は何を育てましょうか。
返事を求めていない独り言こぼして、楽しそうにふふっと笑った。女の人はそれ以上は何も言わず、私に一つお辞儀をして歩いて行った。
すれ違ったとき、異様にひんやりした空気が流れた。
女の人がポツリと言葉を漏らす。
「あなたのおかげですよ。ありがとう、妹さん」
はっと振り返っても、そこには女の人の影も形もなかった。
しばしそのまま呆然と無意味な流れるも、腕の中の花束が崩れそうになって慌てて抱え直し、姉のもとへと急いだ。
「あ、れ…?」
姉のお墓に綺麗なネリネが備えられていた。
ベッドから動けなくなって、まともに食べられなくなって、眠ってばかりいて、いつ心臓が止まってしまってもおかしくなってしまった冬の寒い日。姉は私に最後のお願いをした。
クロッカスを持ってきて欲しい、と。
植木鉢に入れて、できるだけ長持ちするように。
私はとても悲しくなった。クロッカスの花言葉の一つは、『不幸な恋』
「お姉ちゃん、失恋しちゃったの?」
自分の言葉にとても胸が苦しくなった。
けれど姉は、笑って言った。
待たせてしまうから、私がいなくて寂しくないように。
黄色いクロッカスを持ってきて欲しいの。
鉢植えを持って病院に行く私を、父と母は根付くから良くないと怒ったけれど、私は言うことを聞かなかった。お姉ちゃんはやっぱり嬉しそうに笑ってくれた。
そうか、お姉ちゃんの恋は叶ったのね。
思い出の中、悩んで悩んで選んだあの日の黄色いクロッカスがパッと花開く。
花を通してたくさんたくさんもらった言葉に、お姉ちゃんが返した精一杯の言葉はさよならではなかったのだ。
汗とは別に、滴が溢れた。
インパチェンスの花言葉は『浮気しないで』
アスプレニウムの花言葉は『あなたは私の喜び』
ごぼうの花の花言葉は『いじめないで』
クチナシの花の花言葉は『私は幸せ者です』
黄色いクロッカスの花言葉は『私を信じて』
ネリネの花言葉は、『箱入り娘』『幸せな思い出』そして、『また会う日を楽しみに』
この話で私の中では完結です。ラスト一話は沙視点です。